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第87回懇話会のお知らせ

2018年1月28日(日)藤沢市民会館 14:00~18:00
『源氏物語』はなぜ千年を超えて読み継がれてきたのだろうか?
講師:三上晴夫さん(文芸コラムニスト、国文学)

講演概要

 『源氏物語』は奇しくも丁度千年前に世に出た大変浩瀚な物語文藝です。いかに長大であるかを一つだけ示せば、この物語に詠み込まれた歌の数は795首。古今集入撰歌が約1,200首、万葉集約4,500首であることに思いを致せば、歌物語の趣きを色濃く残したこの物語の規模を想像して頂けるのではないかと思います。

 主人公光源氏(光君)50数年の生涯が、時の帝の最愛の皇子として生まれながら母更衣の身分ゆえ臣籍降下して源氏となり、しかし宮廷社会の寵児として奔放な快楽的関係をまさに織物(テクスト)として紡ぎ出しながら、そのテクストの背後に「王権への侵犯」=父帝の中宮藤壺への犯し、不義の子の誕生(後の冷泉帝)の冥く甘美な宿命を潜め、貴種流離としての須磨(畿外)流謫を経て、冷泉帝即位後、その実の父親として太上天皇に準ぜられ、栄華の頂点を極めることになる「藤裏葉の巻」までの第一部……………そして、ここからが本当の『源氏物語』とも、「若菜の巻、上下」「柏木」だけ単独で読んでも充分なのではさえ言われる、光君四十の賀以降、はっきりと人生の秋、凋落を描き切る第二部と、巻が進むにつれてテクストの目が詰み、どんな人間的感情の綾も濃淡も自在に織り込める「語り」の円熟と、物語の時間的深化が照応しているのではと錯覚されるばかり、深く静かに語られてゆきます。

 実は第二部では、晩年に娶った正妻女三宮の不義の子を、自らの若年の過ちを抱き合わせるようにあやさねばならぬのですが、それすら物語の時間の中に溶け込んでゆくかのような印象を受けます。最後に所謂「宇治十帖」と呼ばれる、光君亡き、子や孫の世代の新しい物語が始まります。この段階で、物語は「神」の世界を完全に脱し、人間の世界を正面から描くことに集中してきます。超人光君の不在ゆえでなく、作者の内的表現欲求がそこまで到達したと思わせる充実です。女三宮の生んだ実は不義の子、「薫君」が30才直前でこの浮舟の物語も終わりますから、実に『源氏物語』は三世代70数年に及ぶ時間を扱っていることになります。

 あるレヴェルを維持したこれだけ長大な文藝作品が果して、一人の作者に帰せられるものだろうか?その問いは所謂「源氏学」、研究史の中で長く議論されてきました。例えば折口信夫は「宇治十帖」隠者作説ですし、与謝野晶子は「若菜」以降、紫式部の娘大弐三位説です。近年では折口シューレの西村亨氏が、「宇治十帖」関白頼通説を発表、注目されました。一方で、上述第一部には濃厚に神話的要素が看取され、より神話的な「原(ウル)源氏物語」の存在を想定する和辻哲郎などもおりますし、現在種々の古典文学全集版の底本になっているのは主として、藤原定家系の青表紙本と呼ばれる写本と、源光行、親行父子が校合した河内本によるものですが、ともに王朝最末期、鎌倉武家政権との葛藤の最中であり、その成立は政治的社会的情勢とも決して無縁とは言えません。

 この時代の読みがどのように反映されているか、それ自体が大問題です。以上、駈足で『源氏物語』の概要と成立、そのほんの一部を辿りましたが、それでは『源氏物語』はなぜ千年を超えて読み継がれてきたのだろうか? 一体何処にその魅力は存するのでしょうか?

 私は、素朴に『源氏物語』を読むことが大好きなだけです。愛読者を出ようと思ったことはありません。それでも、いつしか、紫式部という女人に魅かれ、その文藝的な力の源泉を考えるようになりました。対談『光る源氏の物語』で、大野晋、丸谷才一は、『紫式部という人は、Aと考えるとほとんど同時に非Aが頭に浮かぶ、そういう人だ。』と言っています。早稲田でヘーゲルをやった国文学者の赤羽根龍夫さんは、彼女の中に日本人には稀な弁証法的思考の萌芽を見ています。わたしも、長くそうしたイメージを抱き、そこに紫式部の天才の由縁を考えてきました。

 冒頭述べたように、物語は神の世界から人間の物語に、第一部から第二部へ、そして宇治十帖へと二度の変容・脱皮を遂げますが、物語を一貫して背後で支える「語りの息遣い」から看取される、さながら【複数光源による世界照射。その光と影の揺らぎと相互浸透】の様は、時間意識の言語的定着と云う秘儀を派生しつつ、54帖全編に通貫していると、今では感じています。その目眩く多義的な達成を、『とても一人の文藝的営為とは思えない。』と考える方々も多いのでしょうが、『一人だからこそ可能であった。』とも考えられるのではないでしょうか。

 仮に、そのただ一人の作者としての紫式部をイメージ出来るならば、いわば創作ノートの存在を疑う訳にはいきません。それだけの用意があって書かれたものに違いありませんし、その用意を意識的に行った女人がいたことになります。年立や人物系図は言うまでもなく(その正確さは驚嘆に値します。)、敬語表現を始め日本語運用についての独創的なメモ、万葉・古今、後撰・拾遺、私家集や和漢朗詠集、史書や漢籍・白氏文集などからの膨大な抜書。…………就中「仏教」(浄土教・源信と言ってよいでしょう。)に対する、冷静な相対化視点を失わぬ覚書(『源氏物語』は誨淫の書でないのと同じくらい教化の書でも「女人成仏」の物語でもありません。)…………ぎっしりと書き込まれていたはずです。そのノートには「物怪についての文化記号学」なんて項目もあったかも。何故なら、物怪を物語展開の枢要な要素として扱いながら、現代の読者が読んでも、ギリギリのところで荒唐無稽と感じないように書いている。この節度も考えて見ればまことに異様であり、周到なことです。……………切りがありません。物語を読みながら幻の創作ノートの存在を考えて見るのは、実に楽しいことでした。

 読み慣れて来るにつれて、紫式部一人の天才に由来すると思われた物語の多義性、その妙趣、曼荼羅模様が、実はそこで駆使されている日本語ということばの仕組みの様々な特性、霊妙に深く係わっていると、感じられるようになりました。考えて見れば当たり前のことで、文藝は、何時だって、何処だって、言葉のすがたが総てであるからです。その辺の呼吸のほんのさわりの部分を、あくまで本文に即しながら、つまり頭で理解するのでなく、言葉のすがたを感じ取ることを通して、お話しできたら幸いです。

 終りに、二十年以上前某地方紙に友人の手伝いで書いた源氏に関するコラムを2本添付しておきます。偶々懇話会の主宰猪野さんの目に触れ、それが今回の機会を与えて頂く契機となったからです。


【資料1】

秋涼随感 1995

 秋も深まってきた。家人も寝静まった夜更け、独り夜空を見上げる。秋涼の夜気が迫る。夏の星座が冬の星座へと移り変わってゆく成行は、壮大なドラマだ。日々の活計に右往左往しているちっぽけな我が身を顧みずにはいられない。思わず深呼吸している自分に気付くのも、そんな時だ。
 我が国には夜空の神話が少ない。全篇これ星の神話ともいうべきギリシャ神話と趣を異にする。星をテーマに詠まれた和歌を探すのもまた難しい。だから、これは元禄期の発句だが、「夕すずみ星の名を問ふ童かな」のようなのに偶々出合うと、何だか嬉しくなる。

 さて、アマテラスは、イザナギが禊ぎをし、清浄の身となって左の目を洗った時にお生まれになった。鼻から誕生したのがスサノオである。そして、二神の天つ国での確執と、高天原を追放された弟神スサノオのその後の活躍が、日本神話の核心を形成する。しかし、実はこの二神と同時に、右目から生まれたとされる神がいらした。ツクヨミ(月読命)である。これは月神で、読とは暦を読むことに由来しており、その名は農事の為の月の運行の観測を意味するから、本来農耕に関わる神格化であると考えられる。日本書紀の一書によれば、ツクヨミは穀物神であるウケモチイを殺してアマテラスの怒りをかい、神話の世界から姿を消す。まことに影の薄い存在といわねばならない。

 『記紀の世界では、太陽神の天照大神が皇祖神とされて天上世界を支配するあまり…………月にまつわるさまざまな伝承は、むしろ記紀の神話体系から外れて、民間的なレベルで伝えられたといってよいだろう。』(国文学者鈴木日出男氏)との指摘もある。それでも月は、長い伝統を誇る我が文学世界では、あたかも通奏低音のように隠然たるその呪力を保ち続けてきたようである。

  『八月十五夜、隈なき月かげ、ひま多かる板屋、のこりなく漏り來て、見ならひ給わぬすまひのさまも、珍しきに、あかつき近くなりにけるなるべし。…………』
(八月の十五夜であった。明るい月光が板屋根のすき間だらけの家の中へさしこんで、狭い家の中のものが源氏の目に珍しく見えた。もう夜明けに近い時刻なのであろう。…………与謝野晶子訳による。)

 時代は千年を超えて遡る。当時京の都心とはいいかねた五条辺のいぶせき小家に住む女のもとに、男君はわざわざ身をやつして通いそめた。女は驚くほど柔らかでおおような性質で、深みのあるような人でもない。若々しい一方だが処女であったわけでもない。男君は、自分が何故この女にかくも強く魅き着けられるのか、訝しくさえ思う。

 八月十五夜のことである。男君は女を、近くにある帝室の後院である某院へ強引に連れ出してしまう。その院も荒れるにまかせた凄いような邸宅であったが、恋人たちは、ここで初めて誰に気兼ねすることなく、逢瀬の一日を過ごすのである。しかし翌晩、女は物の怪に魅入られあっけなく頓死してしまう。
 男君は、帝の皇子として生まれ、皇太子に立つ器量を持ちながら、臣籍降下し源氏となっている光君。十七歳の貴公子である。女は、通例夕顔と呼び慣わされる出自不明の薄命の佳人。男君より二歳ほどの年長であろうか。

 男が女を誘い出そうと願ったのは、まさに仲秋の明月のけざやかな夜であった。その時の女のためらう心持は、次のように表現されている。
 『いさよう月に、ゆくりなくあくがれんことを、女は思ひやすらひ、(源氏が)とかくのたまふほど、(月が)にはかに雲がくれて、明け行く空いとをかし。』
 この箇処、与謝野現代語訳は以下のようで、さすがである。
(月夜に出れば月に誘惑されて行って帰らないことがあるということを思って、出かけるのを躊躇する夕顔に、源氏はいろいろに言って同行を勧めているうちに、月もはいってしまって東の空の白む秋のしののめが始まっていた。)

 訳の当否はしばらく措く。「月夜に出れば月に誘惑されて行って帰らないことがある…………と(女は)思って」とあるのが肝腎なので、カグヤヒメの伝説を思い起こすまでもなく、当時の人々にとっても既に非常に微かな記憶となっていたかも知れぬ、月の呪力に呪縛されているという古層の心理と、若い女の恋のおののきが、不可分なものとして美しく交響しあっている。逢瀬に偶々月が皓々と照っていたのではなく、八月十五夜の晩だからこそ、恋人たちの共有する時間は切迫したものであり、抜き差しならぬ事件も起こり得たのである。換言すれば、恋の場面に月は欠かせぬものであるとしても、それは単に物語の《あはれ》を印象づける小道具、あるいは舞台の書割の如き装置ではないのであって、紫式部の筆力の根底には、月(自然)を扱うに叙景に流れるのを拒絶する明確な意志があった。自然を安直に対象化して事足れりとすることほど、彼女の天才と懸け離れた思想はなかったと思われる。源氏物語五十四帖の実現したものは、内在化した自然であるとでも言いたいところだ。日本語がかつてその役目に堪え得たという事実に私は感動する。

 民俗学の成果によれば、男女の逢瀬と月との関係が意外なほど濃密なのは、周期を同じくする月の運行と女性の生理を関連づけようとする発想が、古代からあったからだという。女は月の障りの間、男を避けて清浄を保たねばならぬが、そうした禁忌期に、実は神々の世界から訪れた客人(まれひと)に奉仕する花妻の資格に立っている。その古代的発想が、源氏物語の月光のさし込む恋の場面を、背後から支えているという林田孝和氏の論は魅力的である。
 紫式部は、恋人たちが互いに相手にとってのすべてではあり得ないことを認めていることから、快楽よりも苦痛を多く伴うのが普通になっているような、ある意味では極めて現代的な恋愛心理、人間関係を描き尽くした。それ故、日本ばかりでなく世界の、現代の読者をも魅了してやまぬ。しかしこの作品は、古代的発想と物語的表現が意外なほど緻密に結びついており、源氏を読む愉しみの重層性は、その辺りにかかっていると思うのだが、如何であろうか。

 星空の下での随感はここで急に卑近になる。この世紀末《自然》保護とは誰でも唱えるところ。万人異口同音の正義なぞ、常に幾らか胡散臭いものとは、骨身に沁みているはずなのに…………。世の自然保護派の見識を殊更疑ってかかるものでは決してないが、単に対象化された外なる自然について、科学的世界観と同じ土俵で議論をするのでは、即自的な反撥に終始してしまうのが落ちだ。西洋近代が築き上げてきた思惟を、資本の論理を甘く見てはいけない。無論よりよい解決の道を放棄してしまう怠慢も我々には許されていない。この際、内在化した自然を、散文であれ韻文であれ、表現思想にまで高めようと沈潜してきたに相違ない先達たちに思いを致すのは、回り道とばかりはいえないように思われる。俊成卿は、『源氏読まぬ歌詠みは遺憾なり』と言った。それに倣い、源氏を読まぬ自然保護派は遺憾であると言ったら、ないもの強請りということになろうか。


【資料2】

雪の朝 1996

 私は、常陸宮の姫君のファンである。…………源氏物語の愛読者として。

 「あな、かたは」と見ゆる物は、御鼻なりけり。ふと、目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。(あヽみっともないと思われるものはお鼻でした。ふとそれに目が留まります。普賢菩薩の乗物のようです。)………その醜怪な御面相ゆえ、末摘花(すえつむハナ)と呼び習わされることとなった、光源氏の数ある愛人の一人だ。普賢菩薩の乗物とは白象のことで、彼女の高く長く伸びた鼻は、先の方が少し垂れ下がって赤く色づいていた。おまけに、のっぽのお痩せ。肌つやも悪く、おでこで下ぶくれの面立ち。趣味はひたすら古風で若々しさに欠け、気の利いた恋の和歌ひとつ詠めやしない。よくぞここまでと思うばかり、彼女の醜さ、鈍さを描く紫式部の筆は、情け容赦ない。唯一の取柄は、裾から床に曳かれている部分が一尺もあろうかと思われる見事な髪だが、当時の美人の第一の要件が、愛人たちを隔てる御簾(みす)から溢れるほどの、長く艶やかな黒髪であったことを考えれば、紫式部は案外巧妙にバランスをとって、末摘花を造型しているようにも思える。この姫君に残酷かつ皮肉な視線は注がれるが、冷たく突き放してしまう一方ではない、とも言えよう。光君も、そして紫式部も、色々不満があり、仕方ないなあと思いながら、この醜い姫君を認めている。何やら身につまされるような話である。

 末摘花は常陸宮の遺児で、荒廃した故父宮の邸にただ独り、時勢に置き捨てられたように住んでいる。源氏が一時政治的に失脚し、須磨に流謫の日々を送るようになると、ただでさえ源氏に顧られることの薄かった彼女の生活は、庇護者を失い、窮乏を極める。由緒ある邸の有様も、雑草がはびこり放題、崩れがちな周囲の築地(ついぢ)は馬牛などの踏み馴らした通り路になって、牧童が放し飼いをする不埒さ。盗人だって寄りつきもしない、というのだから凄まじい。お付きの者たちも次々に去ってゆく。

 ひたすら亡き父母の面影に寄り添い、この荒廃を甘受して、絶望的に源氏の訪れを待ち続ける彼女の受苦の運命を、紫式部は珍しくも、当時の貴族社会の現実を克明に語ることによって、際立たせる。姫君には受領の妻になっている叔母がいた。受領とは地方長官とでもいえばよいか、身分的には宮や公卿に及ぶべくもないが、やり方次第では随分と実入りがよく、成金も多かったらしい。その叔母はかつて常陸宮家から侮られたことを根に持ち、この落魄した姪を、自分の娘たちの侍女にしようと企てるのだ。彼女の底意地の悪さ、陰険さのリアリズムは、充分に社会批評たり得ている。

 実は、あまり注目されないのだが、も一つ、孤立した姫君に社会が干渉して、彼女を押しつぶそうとするかのような筋が語られる。「この頃受領などの、面白い家造りを好みます者が、この御殿の木立ちに目をつけまして、お手放しになりませんかと、つてを求めて申し込んで参る」というのである。私は、以前からここの箇所が気になって仕方なかった。この荒れ果てた御殿の木立ちは、後に帰京後の源氏の君が久し振りに末摘花を訪問する場面で、次のように描出されているものである。

 日頃降りつる名残の雨、いま少しそヽぎて、をかしき程に、月さし出たり。………かたもなく荒れたる家の、木立繁く、森の様なるを過ぎ給ふ。大きなる松に、藤の咲きかヽりて、月かげに靡きたる、風につきてさと匂ふがなつかしく、そこはかとなき薫りなり。
橘には變りて、をかしければ、さしいで給へるに、柳もいたうしだりて、築地にもさはらねば、みだれふしたり。「見し心地する木立かな」と思すは、早う、この宮なりけり。

(数日降りつづいた名残りの雨がぱらぱらと落ちて、やがて美しく晴れた空に、月が上がりました。………すっかり荒家になってしまった家の周囲に木立ちが繁って、森のようになった所をお通りになります。大きな松に藤の花が咲き懸って、月影に揺れながら、風に吹かれてときどきさっと匂って来ますのがなつかしく、ほんのりとした薫りなのです。橘の花とは違ってまた趣がありますので、車から覗いて御覧になりますと、柳の枝さえ低くしだれて、築地が邪魔にならぬように都合よく崩れています上へ、蔽いかぶさっているのです。何だか見たような木立ちだがと、お思いになるのも道理、それこそこの姫君の御殿なのでした。)

 源氏物語における典型的な自然描写、中でも比較的、緊密で破綻のない文体が効果をあげている場面のように思われる。源氏物語が、それ以降の日本人の美意識に与えてきた影響の大きさを思うとき、かかる文体こそ我らが自然観の規範として尊重されてきたわけでもあろう。しかしここに表現されているのは、決して裸形の自然でない。京(みやこ)の中に存在し、かつては由緒正しい貴顕の邸宅の一部を構成していたが、主の没落によって、売買の対象とさえなり得るものなのである。この物語で都に対する鄙が扱われる事は極めてまれで、紫式部の意識に上っていた自然は、徹底して、共同体あるいは都市における人為の自然であったことに注意せねばならぬと思う。作為された自然、人間や社会との関係の中でしか成立しない自然、と言い換えてもよい。
 人は言葉を通して世界を認識するのみならず、言語によって世界を象っている。それは、人事、心事に限定されまい。自然とてその規矩を逸脱できるものではない。我々は日本語の語彙と、その言葉の仕組みの中で、自然をも含めた現実世界と交渉し、自然すらも実は、表現として生み出している。そう考えて末摘花の物語に接すると、源氏物語の射程の深さをあらためて認識させられるのである。

 今朝、庭に降り積もった雪をながめながら、ふと末摘花のことを思い起したので、これを書き始めた。かの醜貌が光君の目に曝されたのは、庭に雪を踏み分けた跡もない大雪の朝だった。白い雪に赤い鼻という趣向だが、「邸内の荒廃を白一色におおう雪景色の基層に、雪をもって万象の生命の甦る春の到来を予祝する瑞祥とみる古俗を読むことができるとすれば、この雪の風景も源氏と末摘花の契りを深く意味づけるものでありうる」とする見方のあることを、我が姫君の名誉のために、付け加えておきたい。

講師プロフィール

三上晴夫(みかみ はるお)
1949年東京神田生まれ。一橋中学校・日比谷高校・東北大学経済学部。
1980年頃から、「今氏乙治塾」を念頭に、深川越中島で私塾「學而舎」主宰。その後鎌倉腰越に転居。拠点を神奈川県に移す。歌仙連衆から付けられた別号は「御隠居」。
数年来パ氏病闘病中。御聞き苦しい点は御容赦ください。

日時/会場

日時:2018年1月28日(日)14:00~18:00
会場藤沢市民会館 和室(〒251-0026 藤沢市鵠沼東8番1号) 電話 0466-23-2415
参加費:1,000円
連絡先:猪野修治(湘南科学史懇話会代表)
〒242-0023 大和市渋谷3-4-1 TEL/FAX: 046-269-8210 email: shujiino@js6.so-net.ne.jp
湘南科学史懇話会 http://shonan-kk.net/