『黒田寛一 辻哲夫 往復書簡』上下
(こぶし書房、2011年5月30日、2012年3月15日)

『黒田寛一 辻哲夫 往復書簡』上 『黒田寛一 辻哲夫 往復書簡』下

戦後日本の自然科学の言論界に多大な影響力を与えた人物に理論物理者の武谷三男(1911-2000)がいる。武谷の論考に「自然弁証法、空想から科学へ-自然科学者の無遠慮な感想」(「唯物論研究」1936年2月)や、「自然の弁証法(量子力学について)-問題の提示」(「世界文化」1936年3月)がある。そのなかで武谷は自然弁証法を獲得するに至る過程とその内実を詳述している。要約すると、自然弁証法は自然科学自体に内在し、自然科学者自身が自然弁証法の反映であり、量子力学の哲学的分析を通じてカント主義を脱し自然弁証法を獲得したこと、また量子力学の数学的基礎に関する認識論的考察から「本質と現象」「部分と全体」「必然と偶然」等々が弁証法的に結合するのだとする。

この段階ではまだ荒削りな議論であるが、他者と交流を深め徐々に議論を煮詰め、数年後の論考「ニュートン力学の形成について」(「科学」岩波書店、1942年8月)で、西欧の近代科学の形成過程を考察・論述するなかで、いわゆる武谷の三段階論を初めて提唱する。三段階論とは、かいつまんで述べれば、自然科学の認識は三つの段階(第一は現象論的段階→第二は実体論的段階→第三は本質論的段階)を経ながら循環を繰り返し進展するが、人間の認識がつかさどる多くの場面(経済、思想、芸術等々)にも有効だとする。

粗雑な言い方だが、三段階論の循環が弁証法的唯物論であり、それを社会に適応したのが史的唯物論だが、これらの弁証法的・史的唯物論の根本思想はマルクスの『資本論』の商品論の構造的分析から武谷自身が獲得したものだ。かくして武谷の哲学や思想や価値観は「資本論」「三段階論」「弁証法的唯物論」「史的唯物論」が循環的一体観をなし、自然科学のみならず社会科学の学問の世界に多大な影響を与えた。

武谷から17年ほど遅れてこの世に生をうけ、多感な20代に武谷の著作から絶大な影響を受けたのが、本書の主役の独学の思想家の黒田寛一(1927-2006)とのちに物理学史家となる辻哲夫(1928- )である。彼らの往復書簡は1952年5月30日~1958年4月19日の間に合計120通におよび、24歳~30歳までの6年間に交わされた書簡集は名実ともに経済学と物理学の若き学徒の青春群像そのものを彷彿させる。主要に武谷の三段階論のもとに経済学や社会思想の体系的理論の再構築をもくろむ黒田と、三段階論を物理学の学説史的研究に徹底的に活用し発展させようとする辻との真摯な議論が展開されているが、自らの学問や思想を構築するよう切磋琢磨する往復書簡になっている。

それにしても、60年も前に交わされた青年同志の公開を意識しない私的な手紙がよくもまとまって残っていたことに驚く。総論的に言えば、二人とも、先に述べた武谷の哲学や思想や価値観を、彼らの経済学や物理学にいかに具体的に適用し発展させるか、また武谷の科学論と認識論を乗り越え、その呪縛からいかに抜け出し、新たな諸理論を創造するという問題意識から交わされた書簡だと言ってよい。あえて、私の独断的な言い方をすれば、独学的思索ゆえ初めから大風呂敷を広げ、経済と思想の体系的理論の構築を先走る黒田に対して、物理学の個別的・内在的・実証的な研究を経なければ体系的理論の構築などはできない、と呼びかける辻の方が説得力を持つと思えるが、しかし、それは書簡中の一場面に過ぎず、内実の議論は多様であり同世代の同好の学徒への賛同と批判なども飛び交っている。

専門分野も異なり相手の人間性まで踏み込む書簡を交わした二人の若者が6年にもわたり喧嘩別れもせず、真摯な議論を持続させたこと自体が稀有である。しかも欲張りなことに、経済学と物理学に通底する普遍的な統合理論までも一緒に構築しようなどと、書くだけでも労を要する長い書簡で真剣に交流する二人の若者を見ると、自らの知識と学問を創造し社会革命を渇望した当時の青年知識人の精神的状況を知るおもいである。ともかく二人は大真面目である。(猪野修治:湘南科学史懇話会代表)