エッセー・レビュー:安藤昌益研究三部作を読んで(約10,000字)


2024年4月30日『科学史研究』第Ⅲ期第63巻(No.309)pp.83-90
 
 

安藤昌益研究三部作を読んで 猪野修治 *湘南科学史懇話会(代表):shujiino@sd5.so-net.ne.jp

Ⅰ 東條榮喜『安藤昌益の「自然正世」論』農村漁村文化協会、1996年2月、249頁、ISBN4-540-950800-0、定価4,800+税
Ⅱ 東條榮喜『互生循環世界像の成立 安藤昌益の全思想環系』御茶の水書房、2011年2月、ISBN978-4-275-00917-3、385頁、定価8,500+税
Ⅲ 東條榮喜『安藤昌益の思想展開』東京図書出版、2022年8月、ISBN978-4-86641-550-5 、248頁、定価1800円+税

キーワード:安藤昌益、江戸中期の医師・思想家、日本思想史、科学技術者、市井の科学史家

 

はじめに

 安藤昌益(1703-1762)は江戸中期の医師・思想家・自然哲学者である。秋田藩出羽国秋田郡二井田村(現大館市二井田村)の豪農家に生まれた。青年期に京都に出向き仏門に入るも、その腐敗と堕落ぶりに辟易し、仏門を捨て医学を学び医師となる。その後、現在の青森県八戸市に移住し十数年間、医師を稼業とするも、晩年期にふたたび二井田村に帰郷し病没する。享年60。

 そもそも安藤昌益の自然の思想と哲学に関心を向けるようになったのは、このたび紹介する安藤昌益にかんする三部作の著者・東條榮喜氏を、評者が主宰する湘南科学史懇話会(第67回、2014年3月2日)にお招きし、「安藤昌益の循環思想と自然概念」という講演を拝聴してからである。その講演の概要は、昌益の自然思想・社会思想・医学論・音韻論など、壮大な諸分野にわたる詳細な議論である。具体的な各論の項目は、「四行」と「三回」による包括的循環思想、三浦梅園・伊藤仁斎と昌益の大きな違い、循環諸原理の設定、昌益の自然概念(実存総体の生生運動)、漢字文化圏の自然概念の多義的展開、「通横逆」自然運気論の循環観を現代に生かす、などというものであった。

 この講演を拝聴した直後、正直に言って、かなりのカルチャー・ショックを受けたことを今でもはっきりと記録している。なにしろ昌益の思考世界は、評者のそれとは別次元の世界にあるような印象を受けたからである。そのカルチャー・ショックから抜け出すため、その講演レジュメおよび著者の論考と著書に真正面からいどみ、さいど学びはじめることになったのであるが、冒頭(標題)の三番目の著書『安藤昌益の思想展開』は、最後の著書になるだろう、ということをお聞きしていたので、こんかい、あらためて上記の三部作を読み直し紹介しておきたいと思ったしだいである。

1.科学技術者の安藤昌益研究の意味

 著者は正真正銘の科学技術者である。職業科学史家(科学史を教えて飯を食う)ではない。そこで、おおまかなプロフィールを紹介しておきたい。1943年、江戸後期から幕末にかけ庄屋をしていた新潟県の農家に生まれる。東京理科大学を卒業しているが、少年時代から極微の世界への関心と興味から東京大学原子核研究所(通称:東大核研)に入り、加速器の管理と開発の職務に従事する。その後、組織が変わった高エネルギー加速器研究機構(通称:KEK)内の素粒子原子核研究所で、ECRイオン源の開発と短寿命核加速器実験等に従事する。

 こうした現代科学最先端の科学技術者である一方で、現職時代から安藤昌益の思想と哲学やひろく日本・中国思想史に大きな関心を持ち続けられ、現在も研究に専念されている。今日のいい方をすれば二刀流の世界を生きてこられたことになろうか。それはともかく、安藤昌益研究に関しては、手作り自腹の不定期通信雑誌「互生共環」(第1号、2000~第56号、2022)を刊行されているとともに、多数の重厚な論考と著書を刊行されている。なお、同雑誌の第45号(2015)~第56号(2022)は、湘南科学史懇話会のHP「アゴラ」欄に掲載しており全文を読むことができるので、関心の向きはのぞいてほしい。

 元来は現代科学最先端の科学技術者の著者はなにゆえに、江戸中期の得たえの知れない独特で奇特な思想家の安藤昌益に関心を向けるようになったのかであろうか。紙数の関係上、手短に言うと、若き時代に在職した東大核研が東大闘争の影響下にあり、科学技術者とは何か、学問とは何か、等々を厳しく問われた時代であったことである。このあたりは同じ時代状況を生きてきた評者にはよく理解できるし、評者自身も同じ時代状況下でもんもんと苦悩し続け、結局は大学の世界から離れることになった。しかし、ここではこれ以上、触れる余裕はない。

2.東條榮喜氏の安藤昌益研究三部作

 さていよいよ、著者の安藤昌益研究をとりあげる。これまで昌益の著作とその研究書や解説書は膨大にある。それらのなかで、もっとも重要な書は、安藤昌益研究会編『安藤昌益全集』全21巻別巻1(農山漁村文化協会、1982-1987)である。安藤昌益研究会による編集と執筆は、寺尾五郎(代表)・東 均・石渡博明・泉 博幸・新谷正道・和田耕作の各氏である。いまでは世界にほこる画期的な自然思想家・哲学者の安藤昌益を語るには、本書をたたき台にすることが重要であり、評者自身なけなしの身銭をきって購入し、おりおり読みついでいるものであるが、その各巻の冒頭にある寺尾五郎(代表)の詳細な解題と解説を読み、おおいに勉強し学んだことは言うまでもない。

 そのほかに多数の昌益研究の書が乱立しているが、ここでは挙げる余裕はない。著者の書がほかの多数の研究書と趣を異にする最大の特徴は、昌益の全著作に内在する学説と論理を具体的に整理し、論理整然と論述していることである。そこはやはり、長年の科学技術者であった著者の身体に沁みついた実証精密研究の姿勢が論述にも色濃く反映されているというべきだろう。

 これから、冒頭にあげた三冊の書物の全体の構成と目次をあげ、それらの概要を述べていくことになるのだが、その際、昌益の論述は独特な用語と造語に満ちあふれ、評者も何とか努力はしたものの、とても手に負えない場面もあり、不正確な概要になることを恐れる。そこで、本書群において、著者自身が自著の概要を明確に述べているところでもあり、本誌の編集部には、まことに恐縮なことではあるが、その部分を再現することで、それにかえさせていただくことにする。どうか、ご容赦をお願いしたい。

 

Ⅰ 『安藤昌益の「自然正世」論』農村漁村文化協会、1996年。

全体の構成と目次はつぎのようである。

目次
まえがきー昌益思想の把握から
   第Ⅰ部 安藤昌益の自然正世論
起章 自然正世論の成立―親鸞から安藤昌益へ
第Ⅰ章 自然循環と再生循環―農耕社会から拡張循環社会へ
第Ⅱ章 民衆主権と協働社会―地域協働体運動の全世界的追及
第Ⅲ章 万人一人と正人皆成―直耕の衆人から正人への過程
第Ⅳ章 活真互性の矛盾認識―対等な関係と相互転化の視点
結章 自然正世論の展開―近未来的発展の追及
   第Ⅱ部 安藤昌益とマルクスと近未来
第Ⅰ章 安藤昌益とマルクスの過渡期社会論
第Ⅱ章 始源思想から高次思想の成立へ
あとがきーユートピア論を超えて

 上記のように、本書は第Ⅰ部、Ⅱ部の構成からなる。では概要をみてみよう。

 「第Ⅰ部の起章では日本の民衆史において親鸞と並んで昌益を500年に一度の結節的人物として捉え、初めて民衆が信仰という形態を脱し、士農工商の身分秩序も否定し、現実の社会を「直耕」の民衆本位に変える思想体系を切り開いた人物として、巨視的位置づけを行った。親鸞の「自然(じねん)」と昌益の「自然(しぜん)」の基本的違いと一部面での共通性の両面について、不十分ながら触れた。本書では昌益の生涯と思想の形成について、詳しく論じる余裕がないので、必要最小限の事項をごく簡単に述べた。

 第Ⅰ章では昌益の自然論の全般的概括を行い、次いで自然生態論と労働社会論の結合関係を捉え、彼の「自然世」再生構造が単なる復古的自然回帰論ではなく、狭義の農耕を自然循環に即して拡張した再生循環論であり、今日の環境論者が提起している循環性社会構造構想の、江戸中期における先駆的主張と見なされることを強調した。昌益は農耕社会から工業社会ではなく、近世相応に拡張された再生循環性社会に向かおうとしていたことである。この分析を通じて、昌益の人間労働観が没主体的どころか極めて積極的・主体的であることを示すことができたと考えている。

 第Ⅱ章では昌益の皆労協働の社会構想は貨幣否定・商業否定の自治自律論ではあるが、地域間の互恵平等の交易を積極的に追及し、国際間の交易にも肯定的に論じているところから、閉鎖的な退行主義ではないことを指摘した。併せて昌益が自然世への過渡期においては、民富が重んじられる限りでは、貨幣流通・商業経済に柔軟な一面も持ち合わせていたことを指摘した。またその過渡期=準自然世は、一国規模の民衆権力を確立して皆労共有の政策を定着させた後、逐次に全世界的に波及させる期間であることを明確化した。「自然世」が単なるイメージではなく、目的意識的努力の後に初めて実現できる未来社会だとする思考を明確化するため、筆者は「自然世」を"自然正世"と補訂的に表現している。正世という語もまた昌益の用語である。これが本書の題目を"自然正世論"とした由縁である。

 第Ⅲ章では昌益の言う「正人」とは、一部の傑出した民衆指導者というよりも、本来「直耕の衆人」の社会的・人格的・心身的に完成した姿として、正世の人・正道の人・正常の人という意味をもっていることを明確にした。このような人間形成の視点で正人概念の大衆性・一元性・多層性を捉えなおし、「法世」の自然正世への変革にとって、正人形成・皆成が不可欠な内在論理性を辿った。

 第Ⅳ章では昌益の全思考を貫く世界観・方法論としての「活真互性論」を概括した。「互性概念」は今日の弁証法的矛盾の概念に相当し、伝統的な陰陽・五行概念の根本的変革としての「進退・四行」概念と、宇宙大の適用範囲をもつ独特の「通横逆」概念とで構成されている。天地万物から理性感情を含めた一切の運動に貫徹していると昌益一門は主張した。筆者はその互性論理を自らの観点で整理し、昌益の思考の先駆性・革命性を把握すると同時に、事物への具体的適用段階で、一定の形而上学性も残していることを指摘した。

 結章では昌益思想のユートピア性を云々する論調を超えて、その積極面と限界性を考慮しながら、今後の日本と世界に有為な思想展開をめざした。昌益の思想が過去の日本にあった先駆的思想として定位されるのみではなく、近未来的にどのように継承展開されるべきかについて論じなければ、昌益研究者として責務を果たしているとはいい難いと筆者は考える。

 このようにして、極めて多岐にわたる昌益の思想を生態循環性労働論・地域協働社会論・正人皆成論の三点で集約的に把握し、その現代的展開について端緒的提起を行った。全般的に重視したことは、昌益思想を個々の字義解釈や直接の定義だけ重視せず、著作全体を貫く内在論理の把握に努めたことである。例えば「互性」や「正人」といった需要な用語・概念については、単にこれらに対して昌益が下した定義だけに限定せず、もっと広い範囲で内容を検討して得られた論理性の構造性を述べておいた。

 第Ⅱ部では第Ⅰ部の結章の議論の更なる展開として、昌益思想とマルクス思想を相乗的に概括し、近未来への展望を論じた。それに伴なって、既成のマルクス「主義」に対する、筆者のかねてからの批判的見解を述べ、今後の目標としての、人間活動のより広い視野からの捉え返しとしての"高次マルクス思想形成"の必要性を論じた。」(本書、pp.4-7)

 

Ⅱ 『互性循環世界像の成立 安藤昌益の全思想環系』御茶の水書房、2011年

さて、次は第二作の書物をながめておこう。全体の構成と目次はつぎのようである。

目次
まえがきー昌益思想環系の全一性に挑む
起章 思想形成の諸段階
第Ⅰ章 転体循環と央宮論
第Ⅱ章 転定循環と央土論
第Ⅲ章 生態循環と生物論
第Ⅳ章 人為循環と耕道論
第Ⅴ章 人体循環と真医論
第Ⅵ章 声韻循環と言語論
第Ⅶ章 直耕史観と正世論――社会思想の段階的深化を辿る
結章 理論原理と統道観
付論 行基と親鸞と昌益――矛盾観思想史上の三大結節
あとがきー通横逆の文気論と併せて

 ここでも著者が述べる概要を見ていくことにする。

 「まず起章では、昌益の思想形成が八戸登場以前から始まって、四つの段階を逐次経て深化していったことを示した。早期(医師として自立した頃から、八戸登場の翌年頃迄の時期)には既に「自然」「真気」「通横逆」の原型概念が成立していることを重視した。早期の昌益がまた儒医であっても、思想家として成長して内部矛盾・内部動力を持っていたことを論じた。当該人物の思想形成は、常に内因と外因の両面認識が必要であろう。

 第Ⅰ章では昌益の転体論の形成と特徴を論じた。永く人々の頭上に君臨してきた、天帝と王宮の観念=天界における階級支配の思想的残骸を悉く一掃し、代わって一切の生命力の根元として「転真」と「央宮」の観念を立て、尊んだ事を明確にした。また先行研究で不明確だった"四行論の四重適用"という実態を明確にした。昌益の転体思想は科学思想史的には、運動の恒存性認識や可知可測論などの積極面がある一方で恣意的後退的側面との両面を持っている事も指摘した。

 第Ⅱ章では「転気」と「定気」の相互運動論を整理し、「中土」論の特徴も整理した。「転気」の四行循環と「定気」の四行循環が交感することで万物生成が進むという昌益の論述を分り易く図式化した。併せて金石塩灰の鉱物論も取りまとめた。鉱山開発は否定するが、生活・医療用の鉱物利用を肯定する昌益思想の柔軟性も示し得たと思っている。人為論・医学論との連続性もあるがゆえ、転定論が両方面への基礎的な役割を持つことについても示し得たと思っている。

 第Ⅲ章では「通横逆」論における生物分類・生態論を整理し、昌益の所論が本草学から博物学への中途にある事を論じた。生物分類に関しては、単に「通・横・逆」の運気論だけでなく、人用・棲息地・共生の観点、発生・転生・再生の観点も加えて行っていることから、本草学的枠組みにとどまらない積極性を指摘した。しかし四堺生物論に見られるようにユーモアな一面と共に、昌益も近世日本の制約を負った、時代の子である事もまた浮き彫りになったと思う。

 第Ⅳ章では安永寿延氏による「直耕」=正耕論の誤りを指摘し、代わって昌益における人為活動の諸原則を原典に即して明確にすると共に、「直耕」の諸方面を論じた。「工」と「鉱」の区別も論じ、昌益の"農工"論を明確にした。昌益は工業一般を否定したのではなく、農と共存する工は肯定している。また食生文化論としては従来、昌益が米食・穀食主食主義者であると強調される場合が多かったが、これは日本一国内のみに目を奪われた議論と言わざるを得ない。本書ではむしろ昌益が穀食を基本としながらも、地域的偏食傾向を戒めつつ、各国各地の地理に応じた"身土不二"論の側面も相応に持っていることをも示した。

 第Ⅴ章では昌益の膨大な医学論をトータルに把握する事に努めた。薬方論だけが昌益の医学論ではないこと、人相論(望診論)が昌益の"真医論"の重要な環節であること、精神医学と音声医学の先駆的内容もあることを強調した。ただ一章で膨大な昌益医学論を総括的・集約的に示す事は、大変骨の折れる作業だった。また昌益の医学論を正当に理解するには、医学分野の記述を追うだけでは不十分であり、自然真営真の全理論の中での開かれた医学論として理解される必要条件を強調した。社会思想と切り離した技術医学論や、音韻論と切り離した薬方だけの昌益医学論では、その全貌を正しく把握したことには到底なり得ない。

 第Ⅵ章では昌益の音韻論が三十六韻論→五十韻論→四十四韻論と変遷した一方で、当初から自然音韻論の基本思考が一貫している側面との両側面を統一的に辿った。肉声言語の文字文化への基礎的先行性を重視する立論内容を整理するとともに、文字再編論の分野での特徴と昌益の若干の行き過ぎを論じた。文字文化の階級性を鋭く指摘する一方で、漢字制限論の立場から、昌益なりの文字改革・造字論が提起されているが、新たな造字が文字を増やす自己矛盾も引き起こしている事を率直に指摘した。

 第Ⅶ章では社会思想の方面を形成段階的に総括した。社会思想の一部はⅣ章の直耕論でも論じたが、早期の雑記類に、既に社会思想形成上の核心に触れる事項も含まれる事を、これまでどの研究者よりも直視する結果となった。中期における主体観の確立の強調も、本書の特徴である。様々な理解のある、通称「契ふ論」に関しては、狩野亨吉以来の過渡社会論の継承に尽力した。昌益の社会思想に関しては、勿論この章で取り上げた事項だけでは到底、尽くせるものではない。既に解明された分野に限らず、新しく開拓すべき分野は多々ある。その一つとして、昌益の自由概念について初発的に言及した。

 結章では昌益の全思想展開を三つの基本原理に集約し、昌益思想の原理的一貫性と環系性を強調した。昌益の自然真営道の思想・理論は様々な分野にわたりながらも、相互連関性の強い単一の学問である。決して様々な分野での言及の単なる寄せ集めではなく、連環性・単一性をもった総合的理論である。筆者はこの事を特段に意識し重視する立場なので、最後に原理的集約を行った次第である。そして昌益の自然真営道理論の全分野を、通称的な"思想体系"という言葉で表すのは不適切であると考え、新たに"思想環系"という用語を用意した。

 付論では昌益の互性論を日本史上の矛盾論の歴史の結節として大まかに定位しようとした小文で、元々は寺尾五郎氏の没後十周年を記念して作成した「寺尾氏の唯物弁証法論から受け継ぐもの」という論考の付論として作成したものであるが、本書に付け加えることで、不十分ながら、昌益の活真互性論の歴史的位置づけに役立てる事を期した。本書は昌益思想の全分野の取り扱いで既に紙数が尽きているので、こうした史的定位の本格的作業は別途行わざるを得ない。

 以上、各章ごとに概要を逐次述べてきたが、総じて各章の末尾に「小括」を付し、それぞれの内容を集約して記した。各章における具体的な議論を煩雑に感じる向きには、この「小括」で最低限の結論的概略を知ってもらえるように努力したつもりである。」(本書、pp.ⅱ―ⅴ)

 

Ⅲ 『安藤昌益の思想展開』東京図書、2022年

 さて最後の書に移る。冒頭で三部作と命名したのだが、著者は明確には三部作とは言っていない。評者がかってにそう命名したものである。本書は前の二作とはかなり趣が異なり、上記で述べてきた昌益研究をふまえ、これから新たに安藤昌益の世界を研究しようとする人々のために書かれた、いわば水先案内の役割を担うものである。それだけ教育的な配慮がなされているものの、それでも高密度の論述となっている。全体の構成と目次はつぎのようである。

はじめに―安藤昌益思想の全面的理解を深めるために
    序論 昌益の生涯と思想形成
第1章 安藤昌益の生涯―在野の賢哲、周還型の移住人生
第2章 昌益の思想展開―大器晩成、四段階で熟成域へ
    本論 昌益思想の諸方面―晩期思想を中心に
第3章 転定自然(自然論)―自然は四行の尊号、自然と転定は同自
第4章 転人直耕(人為論)―人間直耕は転定直耕の継続
第5章 勤働世界(社会論)―直耕無ければ世界無し
第6章 音韻言文(言語論)―肉声言語は文字に先立つ
第7章 神医天真(医学論)―医道は諸道第一、至重の業
第8章 活真互性(根本義)―活真は元気の親、互性は進退顕伏関係
第9章 活真道論(人生訓)―直耕を怠らず、二心二行を為さず
    外論 現代自然真営道へ
第10章 東西の自然概念と安藤昌益の自然概念
第11章 現代科学・社会への接続―現代自然真営道論
主要文献
おわりにー安藤昌益と共に五〇年、次世代の若人に託す事

 最後の三部作目の概要はつぎのようである。

 「序論の第1章では安藤昌益の生涯をめぐる伝記的研究に関して、何がどこまでどのように進展したのか、その総括を行った。また現在までに多くの研究者によって解明された、昌益の伝記的生涯についての知見を簡潔に記述した。短い記述ながら、これによって昌益という人物が郷里の大館から京都・八戸での生活を経て、晩年再び大館に戻った周還人生が分かると思う。

 第2章では昌益の思想形成過程を四つの段階に区分して明示した。この四区分は『安藤昌益全集』の監修者・寺尾五郎氏の区分を継承しつつも、独自の判断を加えて修訂した内容である。今日では昌益思想の形成過程を段階的に区分し、どの段階にどのように深化変容していったのかを辿る事が必要不可欠である。それはマルクスの思想・理論形成を初期―前期―後期―晩期と段階的に把握するのと同様に、研究が深化したことの帰結でもある。

 本論(第3-9章)では、いくつかの点に特に留意して、現在までの昌益思想の各分野の研究成果をとりまとめた。そのことが本書の特徴にもなっているとも思う。

 第一に、昌益の社会思想に関しては、勤働・平等の「活真世」を目指す"主体の成長"に昌益が如何に心を配っているかを重視し、本書において"昌益の人生訓"の一章を特に設けたこと。晩期昌益の「活真道論」が現代人にとっても極めて有意義な"人生訓"として機能しうることを論じ、簡潔ながら逐条解説も加えた。この部分は今後、昌益の人生訓として更に本格的に扱われることを望んでいる。筆者は昌益の理想社会論がユートピア思想だとか、実現性に乏しいとする見解は採らない。

 第二に、昌益の自然概念の理解に関しては、生生運動の側面と実在物総体=天地万物の側面を二項対立的に捉える思考を排し、一元的把握に努めたこと。この論展を通じて近代自然界概念と昌益の自然概念の比較における共通性と同一性の概念的区別を提起した。これは昌益自然概念の議論だけに限らず、広く東西の自然概念の比較を行う上での、極めて重要な観点だと自負している。

 第三に、昌益の医学論を、従来の『真斎謾筆』(=川村真斎による筆記)中心の理解から解き放ち、『神医天真』諸巻の医学論を併せて扱うことで、より総合的な昌益医学論の理解に努めたこと。『真斎謾筆』では昌益の配合・命名した薬方が大変多く記載されていることから、それぞれの病症に対する薬方処理の方面に関心が偏りがちだが、本書では『神医天真』諸巻の内容と併せて記述した事で、より総合的な医学論の理解に進めると思われる。

 第四に、昌益の環境思想の方面では、単に乱開発・鉱山開発公害の糺弾といった個別的・直接的な言論よりも、自然真営道の理論的思考における均衡調和・能毒分別・資源の抽出復士といった人為活動の諸原則を明確化して、現代に通じる積極性を提起したこと。

 第五に、昌益思想の全分野に通底する哲学・論理の方面では、互性論と循環論の結合が昌益の特徴であり、それによって進退四行の"二分思考"と通横逆の"三分思考"の論理的統一が図られていることを論じた。一と二の関係、一と多の関係を論理的にどのように理解するかは、古代中国・古代ギリシャ以来のテーマと言えるが、昌益もこの問題に強く執着した事を簡潔に示した。

 外論(第10~11章)では、まず第10章で「自然」の語義について中国思想史と日本近世思想史での用例の多義的展開を示した。昌益が自然の語を名詞形と動詞形で両用し、その自然概念が近代自然界概念と現代の生成的自然概念の何れにも通じる柔軟性を持つ事を強調し、中国・日本での自然概念の展開に関する従来の通説への批判を行った。

 最後の第11章は、昌益の近世思想を現代科学と現代日本の社会課題に接続させ、その積極的有意性を発揮させるべく論じた。筆者は科学技術者なので、職業的近世思想史研究者とは立場を異にし、近世思想を単に近世社会に閉じ込めておかずに、積極的に近未来に向けて活かしたいという意図からこのような一章を設けた次第である。こうして小稿ながらも、本書を一通り読んでいただければ、昌益思想の各方面全般について、釣り合いの取れた包括的理解が得られると確信している。」(本書、pp.2-5)

3 おわりに

 もうこれで各論は十分であろう。しかし、安藤昌益の論述もそうだが、昌益研究書のどれを読んでも、とにかくむずかしく、なかには、何が何だかわからない、などの声も聞こえてくる。無理もないことで、安藤昌益の稿本『自然真営道』をたまたま、古本屋で発見した哲人・狩野亨吉(1865-1942)が一読したさい、はじめは狂人の書ではないかと疑ったほどだからである。それだけ昌益は江戸中期の階級社会の時代に、あらゆる諸権力・諸宗教・諸古典を激しく批判し、時代を画する自然観と世界観を展開した証でもある。

 著者・東條榮喜氏は50年余にもおよぶ持続的な研究により、その昌益の自然観と世界観に内在する諸学説の全貌を明らかにしたのである。その持続的な研究の成果である安藤昌益研究三部作は、現代の自然観と世界観の有様を議論するさいの重要な基調となるはずである。