書評:R・P・ファインマン『ご冗談でしょう、ファインマンサン』(Ⅰ、Ⅱ)-ノーベル物理学者の自伝(大貫昌子訳、岩波書店、1986年)

理論物理学者の道化的思考のなかの真実
-R・P・ファインマン『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(Ⅰ・Ⅱ)-
ノーベル物理学者の自伝

 物理学者の自伝でこれほど奇想天外な本を私は知らない。本書はいかにもアメリカ人物理学者の周辺に起こったあれこれをユーモラスで軽妙な語り口で披露された自己暴露の自伝である。いかなる権威や社会的ステイタスにもとらわれなく自由奔放であり、直接、自然科学や物理学に触れずとも、その自由で奇抜な思考様式に唖然とするとともに、この思考方式・様式がノーベル物理学賞をもたらしたのか、とも思う。R・Pファインマン(1918-88)は日本のノーベル物理学賞受賞者湯川秀樹(1907-81)や朝永振一郎(1906-79)、同じくロシアの物理学者サハロフ(1921-89)と同時代に活躍したアメリカの物理学者である。朝永振一郎、シュヴィンガーとともに量子電磁気学を完成させた功績により65年度のノーベル賞を受賞する。

 物理学の世界の表現手段は数学である。つまり数学を物理学の言葉・手段として使う。だれでも物理の本を一度でも手にとってみるとわかることだが、なにがなんだかわけも分からない数学が並んでいる。これが「普通の教科書」だった。これに対してファイマンの本はこれとまるっきり違う趣をもっている。ファインマンは、学生や一般の人々に難解とされる物理の世界を誰にでも分かる言葉で語ることを「無上の喜び」とした人として、つとに有名である。それは証拠にノーベル受賞の対象となった量子電磁気学を一般の人々にそのまま、ずばり説明した講演『光と物質のふしぎな私の量子電磁気学』(邦訳、岩波書店)には、数式がほとんどない。そのかわりかれ独特のファインマン・ダイヤグラムという技法が示される。そう言えば、ファインマンが61年からカリフォルニア工科大学ではじめた物理学序論の講義は、物理の世界にセンセイションをまきおこした。これをまとめたのが『ファインマン物理学 全5巻』(邦訳、岩波書店)である。かつて、この本を手にしてこれが物理の本だろうかと思ったことがある。昔から「文は人を表す」というが、唯一無二と考えていた物理の世界が語る人によってこうもちがうものか、と今さらながら思う。まさに「文は人なり」である。このことは音楽・絵画・詩・小説などの芸術の表現にも通じることなのであろう。

 本書はファインマンの唯一の回想録になってしまったが、この回想録も底抜けに明るく奇想天外である。ファインマンの教え子でカリフォルニア工科大学・ジェット推進研究所のアルバート・R・ヒップスは、次のように述べている。「ぼくは自分が学生だったころの彼の講義の様子をいまだにまざまざと思い出す。教室正面にたった彼は、入ってくる学生に笑顔を向けながら、教壇代わりに横長く据えられた黒い実験台を指でたたいて複雑なリズムを打ち出している。少し遅れてきた学生が席に着く間、彼はチョークを手に取り、何か秘密の冗談でもあるかのように、嬉しそうにニコニコしながらまるでプロの賭け事師がポーカーのチップをもてあそぶように、指の間で凄いスピードでくるくる回しはじめる」。ファインマンの様子が目に見えるような描写である。このようなキャラクターの持ち主のファインマンの回想録のとなった本書には、随所にプロの賭け事師の「思考」が垣間見られる。本気で金庫破りのまねをやり、女の子を口説き、マフィアの親分と付き合ったり、等々である。こんなことを世間の風評を気にする日本の物理屋には書けないことだろう。が、その奇想天外な出来事を自ら作り出しては、相手がどうでるかをすぐさま予測してしまう。

 その予測の仕方・方法がこれまたおもしろい。それは、落語の世界を思わせるが、何事にも興味を示すいたずら好きのファインマンの、このような「道化的思考」が量子電磁気学を完成させたともいえる。つまり、ファインマンにとっての物理学は、これまでのある理論を覆すなどという深刻なことではなく、「いつもやりたいことをやったまでで、それが核物理学の発展のために重要であろうがなかろうが、そんなことはしったことではなかった。ただ面白く遊べるかどうかが決め手だった」のだ。

 ところでファインマン」は、アメリカの国家的原爆研究として知られる「マンハッタン・プロジェクト」に無邪気にも自ら進んで関わっている。国家が戦争状態にあるとき自分にも何かできることがないか、と軍当局に申し出ているのである。いまから振りかえるなら、軍当局の手先になったともいえるだろうが、なにしろ、戦争相手国ドイツのヒットラーが原子爆弾を開発しているという情報が満ちあふれているおり、ヨーロッパを追われアメリカに亡命したユダヤ系のすぐれた科学者達が、ドイツよりも早く原爆を作らねばならないと、躍起になっていた時期でもあった。今日からみればフィンマンの行動は、科学者の社会的責任を問われる大問題であるが、当時の彼には、お国のために働くことが科学者の社会的責任であると考えたかはともかく、余りにも単純な行動であった。この自伝で彼は「社気的無責任」であったと述べている。が、ファインマンのような人物をも原爆研究に関わらせることになったことの一つには、日本帝国主義がアジア侵略や真珠湾攻撃に奔走したことにあることも忘れてはなるまい。

 それはともかく、ロス・アラモスでの原爆研究に従事するが、ここで彼は当時の一流の科学者に出会う。コンプトン、オッペンハイマー、セグレ、フェルミ、ノイマン、ボーア等々。20世紀は戦争の時代であったが、科学が戦争とともに作られ発展していく典型的な歴史的実例をここに見るのである。先に旧ソ連の物理学者サハロフの苦難にみちた回想録について述べたが、サハロフの回想録が読むのも中断せざるをえないような科学者と国家との苦しい物語になっているのに対して、ファインマンの自伝となった本書がいかに楽天的なことか。もっとも、ファインマンにとっては、本書が最後の回想録になるとは思いもよらず、他界してしまったという事情があるにしても、語り口はともあれ、アメリカの一人の科学者の日常がまじめに語られている、と見てよいだろう。

 その意味では、旧ソ連とアメリカという超核大国で同時代を生き、自他ともに一級の科学者と認められたサハロフとファインマンの回想録の内実と文体は、そのまま20世紀中頃の冷戦構造下における科学者と国家の有り様を語っていると言える。ファインマンが陽気で奇想天外で天真爛漫であればあるほど、サハロフの苦悩が鮮明に私の脳裏に浮かび上がってくるのである。
(大貫昌子訳、岩波書店、1986年)