書評:佐高 信『現代を読む』(岩波新書、1992年)

現代社会の裏面を鋭く告発する評論集
-佐高 信『現代を読む』-

 経済や政治分野の著者はほとんど読むことのない私がなぜこの著書を取り上げたかというと、これまで『経済小説』(現代教養文庫)や『日本官僚白書』(講談社)などで日本の企業社会や官僚社会における裏表の実態を大衆にこびることなく、ホンネで語っているその姿勢に対して共感しているからである。経済分野をフィールドとしている佐高の視点は、今日の大量消費社会を肯定しているような企業・支配層のお墨付きを得たインチキ作家ではなく、マスコミの世界ではあまり登場することのない、いわば埋もれ切り捨てられた部分に光をあてるという点にある。

 それともうひとつ。私と同年令で同じ時代を生きてきたこともあり時代認識や感じ方がなにか共通性があるように思われるからである。佐高の思考方法は、少し上の世代に属し『自動車絶望工場』、『日本の兵器工場』、『国鉄処分』などのすぐれた作品を世に出した硬派のルポライター鎌田慧の視点にも通じるところがある。

 この本を読みながらまず「感じる」ことは、そこに示された文章・文体がルポ作家のそれというよりも、作品の主役が自らにのり移ったような雰囲気があることだ。そして切り口がまことに鋭い。ここに取り上げられている作品は佐高の言葉を借用すれば「時代の鼓動を伝え、現代に生きる人々の息づかいを伝え時代に挑む」ようなものばかりである。著者のメスの入れ方は私の青春時代に培われた社会に対する視点と同位相であり、軽薄で無内容な本が横行する時代状況下で、今時このような角度の問題意識のある経済評論が読まれること自体不思議なくらいである。

 著者は「のむたけじ」によほど大きな影響を受けたらしい。のむたけじは、戦後新聞記者をして戦争責任を感じ朝日新聞に辞表を出し、郷里の秋田県横手市で新聞「たいまつ」を手作りで出し続けたことで有名である。そして、こう述べている。

 「歴史的視点を欠くノンフィクションは、たとえどんなにおもしろくても、読者の胸に食い込まない。それを『たいまつ16年』(理論社)は教える。まさに、熱いダイナマイトのようなノンフィクションだが「現代」の鼓動を伝えるそうしたノンフィクションを私は選んだ」。佐高の思考の哲学は冷徹である。

 このような視点から著者が取り上げた100冊をあらためてながめてみると、アカデミックな社会に身を置き安住な場所にいる学者先生の著作などが一冊もなく、すべてがなんらかの仕事を持ち書くことが生きることだ、という強い問題意識の持ち主ばかりである。このような現代社会の裏面を鋭く告発する評論集が岩波新書にはいったことがうれしい。というのも岩波とともに育ってきた、いわゆる岩波文化人の感性をも撃つ内容のある作品となっているからである。そういえば佐高はどこだったか忘れたが、学生時代に哲学者久野収から大きな影響を受けた、と書いていたのを思い出した。なるほどと納得がいくのである。
(岩波新書、1992年)