書評:高木仁三郎『核の世紀末』(農文協、1992年)

科学技術の負の側面を描く指針
-高木仁三郎『核の世紀末』-

 今年は、アメリカのイタリア人亡命科学者フェルミをリーダーとするグループが、アメリカで人類史上、最初の核分裂反応に成功してからちょうど50年目にあたる。その後、米ソ両大国は核抑止力を背景として、長い間、冷戦状態にあったが、昨今のソ連邦の崩壊と共和国共同体の誕生という、今世紀最大の政治情勢の転換により、世界戦争が回避される状況となった。その原因は、主にソ連邦の解体にあるが、その背景には、国家体制を問わない深刻な環境問題があったことを忘れてはならない。

 チェルノブイリの原発事故は、1000万人から2000万人もの被爆者を作りだすとともに、すべての生態系を破壊していまい、その後遺症が今、具体的に現われており今後もつづく。時間の経過とともにその深刻さが明らかになっているが、これは旧ソ連の問題だけではない。環境問題はボーダレス(国境のない)な問題である。深刻化する環境被害をまともに受けた人々が、それを容認している社会構造を変えなければ、その状況から、けっして抜け出せないことを知ったのである。21世紀まで8年という世紀末にあって、環境問題を憂慮してきた人々が、それをキーとして、科学、社会、学問、教育、そして生活の在り方、といったもろもろを見直すという作業に、真剣に取りかかりはじめている。このことは、数多くの原発を抱えている日本において、科学や教育に関わる者には避けて通れない作業であろう。

 核分裂反応後50年、ソ連邦崩壊、そして21世紀まで8年という現在の時点で、上記のことがらをどう見ればよいかという一つの構想を、著者はしなやかに提唱している。人間が自然のなかでどう生きていけるのか、という命題をたて、それに真剣に取り組むことを思想界に求めている。湾岸戦争でのアメリカのイラク原子炉攻撃は、広島、長崎への原爆投下への反省が生かされず、非人道的だったこと。一触即発の状態であった日本原発史上最悪の美浜原発事故の分析。深刻な環境問題は、国家体制の対決というような従来の枠組みでは解決しないことと、科学技術のネガティブな側面への批判的作業の必要性。市民的科学者の立場から自然観の変遷を描いた前著『いま自然をどう見るか』(白水社)で問題提起した「共生」のイメージを、具体的な現実との関わりを背景に、科学の世界のみならず、文学、哲学、法律、といった世界まで拡大し、グローバルな共生型社会を構想している。年来の共生(ともに生きる)のイメージの具体化的深化がうかがえる。

 因みに、著者は「原子力資料情報室」の代表として、内外の反原発運動をになうとともに、市民の立場からの本格的な科学運動を定着させた。その功績に対して1992年12月12日『多田揺子反権力賞』を受賞した。
(農文協、1992年)