随想:ビルと私―遊行寺に抱かれての学びの日々(公益社団法人全国ビルメンテナンス協会発行 2015年10月1日 月刊『ビル』掲載)

 新年は恒例の大学箱根駅伝の観戦から始まる。今年は予選から参加した青山学院大学が驚異的な強さを発揮し、往復路を10時間49分27秒で走り抜け、同大学史上初の総合優勝を果たした。とりわけ往路最終五区(小田原―箱根芦ノ湖、23.2km)の山登りでは1時間16分15秒で走り抜け、新たな山の神となった神野大地(3年)の雄姿は記憶に新しい。

 藤沢湘南地域に生息するものは、往路第3区間と復路第8区間(平塚―戸塚、21.4km)にある「遊行坂」を走る選手たちに限りない応援の声をあげる。

 この遊行坂は有名な遊行寺に由来する。正式名称は藤沢山無量光院清浄光寺であるが、時宗の遊行上人の藤沢道場であったことから、通称、遊行寺と呼ばれる。この寺は、浄土念仏門の一流である一遍上人(1239-1289)を宗祖とする時宗の総本山である。宗祖の一遍上人の行状については、国宝『一遍聖絵』と『一遍上人絵詞伝』の二種の絵巻に画かれているが、身を山野に捨て風雲漂白の念仏賦算の旅を続ける捨聖の遊行生活で生涯を遂げた人物である。

 遊行寺が開山されたのは、一遍上人を祖師とし、孫弟子にあたる遊行上人第四代目の阿呑海上人(1265-1327)で1325(正中2)年のことである。呑海が相模国俣野荘の地頭俣野五郎の実弟である縁から藤沢の地に寺院を建立し、住んだのが藤沢山清浄光院(後に清浄光寺)である。遊行の旅を続ける遊行上人は引退後、遊行上人または藤沢上人となるが、これが遊行寺と呼ばれる由縁である。いくたびかの焼失や倒壊を繰り返すものの、1937(昭和12)年、本堂が落成され、現在に至っている。

 さて、この遊行寺を抜きには藤沢市の歴史も文化も語れない。その遊行寺の歴史的な建造物の境内で長年、開催されてきた遊行フォーラム(会長:高野 修)という市民主体の文化活動がある。この文化活動は二つの企画から成り、ひとつは「遊行かぶき」であり、もうひとつは「遊行大学歴史講座」である。

 前者の遊行かぶきとは、劇作家の白石征が主宰する「遊行舎」の演劇である。この20年ほど「中世悪党伝」(三部作)「しんとく丸」「さんせう太夫」「きつね葛の葉」「小栗判官と照手姫」など、説経節政太夫の弾く三味線に導かれる中世の説経節や軍記物語を現代に蘇生し、民衆の願望と無常の世界を表出し、情愛に満ちた民衆意識を現代に復権させることに挑戦し続けている。