本書は、紀元前六世紀中頃から後半にかけて活躍した古代ギリシャの哲学者ピュタゴラスとその弟子たちのピュタゴラス派の理念と哲学を基調とする宇宙論が、古代から現代までの長大な時空間の途上に生じた多種多様な宇宙論の誕生・形成・成立に決定的な影響を与えたと論じたものである。
彼らの理念と哲学は書かれたものがなにも残存せず、プラトンやアリストテレスなどの後世の哲学者の著作物から知るのみであるが、神秘的な輪廻転生の密教宗教、魂の不滅性と救済、数理的思考の宇宙論などを唱えた。それらのなかで、著者が本書で主張したいのはさいごの数理的思考の宇宙論、具体的には「数理の秩序と音階の理論」が調和するという「天球の音楽」の思考が、いかに後世の宇宙論に機能してきたのかということである。
この壮大な「天球の音楽」の宇宙論が古代ギリシャ・ローマの世界にどのように受容され継承されたのか、また、中世・近世の科学者や天文学者(コペルニクス、ケプラー、ニュートン等々)の宇宙論のなかに、どのように生きのびてきたのかを明らかにしている。ひとつだけ感動する場面をとりあげる。自らの家族の不幸と貧困からの救済におわれながらも、あくまで「天球の音楽」に救済の手を求め、近代科学の誕生の曙となった惑星の楕円軌道を発見したヨハネス・ケプラーを述べているところである。
総じてみると本書の特長は、多種多様な宇宙論を独立に読み解き、それらにわずかに潜み流れる「天球の音楽」の細い糸を用意周到に手繰り寄せ、大胆に結合させひとつの宇宙のドラマに仕上げていることであろう。音楽理論に通じたプロの音楽家を出自とするサイエンス・ライターならではの面目躍如たる作品となっている。じっくり時間をかけて宇宙論の歴史を勉強するのにはとてもふさわしい書物である。(猪野修治:湘南科学史懇話会代表)