京都の哲学者たちの京都学派はよく知られているが、本書では、京都の化学者たちの世界にも、たしかな京都学派が存在していたことを、その学派の祖と言われる喜多源逸から論をはじめ、その弟子の桜田一郎、またその弟子の福井謙一や野依良治へと至る、京都大学工学部で活躍した化学者たちの1910年代から1960年代までの50年にわたる、主にアカデミズムの世界の化学者たちの群像を事細かくリアルに描いたものである。
まず本書の構成と概要を示しておく。著者自身が要領よく俯瞰しているので、それを眺める。まず、プロローグ、4つの章、エピローグの構成からなり、各論の概要は書きのようである。
第1章「京都学派の形成―工業化学者・喜多源逸の挑戦―」では、喜多源逸の経歴、人物像、教育観、学問観、制度的・社会的背景などを展望し、彼がいかにして京都学派を形成し、どのような学風が学派の伝統となったかを論ずる。
第2章「実験室から工場へ―戦時下の人造石油開発―」では、国策科学に与した喜多の研究活動の中でも自ら最も心血を注いだ人造石油の研究に焦点を当て、戦前・戦中の時代状況下で、喜多と兒玉信次郎を中心に行われた研究の成果が工業化されていく過程を明らかにする。
第3章「繊維化学から高分子化学へ―桜田一郎のたどった道―」では、京都学派の繊維化学の流れをとりあげ、喜多の弟子で日本の高分子化学の草分けとなる桜田一郎の1940年代までの研究活動に焦点を当てる。桜田の研究の重心がセルロース(繊維素)の化学から高分子化学へ、そしてそこから、合成繊維へと移動していった軌跡を論ずる。
第4章「燃料化学から量子化学へ―福井謙一が拓いた世界―」では、京都学派のもうひとつのユニークな展開として、おおよそ1960年代までの喜多と愛弟子の福井謙一による量子化学の研究活動に焦点を当てる。福井の歩んだ道と工学部で開化した量子化学の経緯を、彼を取り巻く人々との関係、研究環境、学問の流れ、そして時代背景などから詳しく論じる。
エピローグ「有機合成化学の系譜―ラウエルから野依良治まで―」では、京大工学部に生まれた有機合成化学の系譜をカール・ラウエルから野依良治までをたどる。(9頁)
そもそも、ここに登場する化学者たちの京都学派の「学派」とは、どのようなものかを考えると、「研究および組織運営に優れた能力を持つカリスマ的な教授が、発展性のある研究プログラムを構築し、それに沿った教育により多くの弟子を育て、かつ潤沢な研究資金とその成果を公表する活字媒体を確保し、多くの成果を発表し、その時代の科学者のコミュニティに強力な影響を与える集団というものである」(13頁)ということになろう。
では、その京都学派の学派に底流する根本的理念は何かを考えると、有機工業化学は一般的に、経験的で実験的な操作と営みであるが、京都学派の創始者・喜多源逸は、経験的で実験的な操作と営みとは、一見すると、無関係で矛盾する、とも思える基礎理論を重視し、若い研究者や弟子に、「応用をやるなら基礎をやれ」と強く述べていることである。つまり、経験科学といえども、理論的な学問が、いかに重要であるかを説いたのである。これが京都学派に底流する根本的理念である。
また逆に、数学が好きな高校3年時の福井謙一は、喜多から「数学が得意なら化学をやれ」と、これまた矛盾することを指示されるが、理論的な学問をやるにしても、経験的で実験的な研究がきわめて重要であるという。この経験科学の世界にいながら、福井はのちに、純粋化学の理学部の研究を超える、フロンティア軌道理論によりノーベル化学賞を受賞することになる。
本書には評価すべき点が三つあると考える。一つめは、先行研究がほとんどないなかで、京都大学とは無関係の著者が、10年間にわたり、調査と情報収集を繰り返し、その全体像を明らかにしたこと。二つめは、48名にもおよぶ関係者にインタビュー、いわゆるオーラルヒストリーの手法を試みていること。三つめは、その結果, 京都大学の工学部化学系の歴史的記録がヴィヴィッドに再現されたことである。学術的にも価値のある労作である。