現代技術史研究会編(責任編集=井野博満・佐伯康冶)『徹底検証 21世紀の全技術』(藤原書店、2010年10月30日)

日本の戦後の産業社会で、現代技術史研究会が果たしてきた役割は大きい。技術者が自由に発言する場所を一貫して確保してきました。1951年、技術評論家の星野芳郎氏(1922-2007)が都立大学や東京大学等々の学生に呼びかけ立ち上げた「技術史ゼミナール」に起源を持ちます。数年後の1955年、上記の学生以外の各種の多様な職業を持つ人々にも呼びかけ拡大し今日の現代技術史研究会となり、技術と社会の多様な諸問題を取り上げ議論と提言を繰り返してきました。研究会の目的は、会則文によると、「技術発展への広い見識」、「技術と社会の関係」、「勤労者の立場・視点からの技術」、「技術者の社会的位置と役割」などを強く意識した研究を探求することだと述べています。

その研究会の結果と報告は、機関誌「技術史研究」や星野氏の友人で会員の高橋昇氏が立ち上げた雑誌「技術と人間」にも多くの研究論文を掲載するなど、戦後の企業現場の技術者の自立的支援と運動に大きな役割を果たしてきました。本書は、その発起人である星野芳郎氏が死(2007年11月8日)の直前まで関わった企画と構想をもとに、後輩の井野博満氏と佐伯康治氏が編集し、既存の全技術の総括と21世紀の全技術の展望を網羅的に論じた書物です。

その内容はあまりの広範な領域に及ぶため、とても各論の要約は不可能なので、主な項目をあげるに留め、最後に、編者(井野博満氏)執筆の「序論 技術とは何か」と終章「21世紀の技術はいかにあるべきか」を要約しつつ論評しておきます。

はじめに
序論 技術とはなにか
第Ⅰ部 生活圏の技術
第1章「安心できる住居をつくる」
第2章「食の安全、その基本は何か」
第3章「水と暮らし」
第4章「家庭電化はどこまで必要か」
第5章「望ましいクルマ社会は可能か」
第6章「袋小路に入った現代医療技術」

第Ⅱ部 変わりゆく産業社会の技術
第7章「材料の大量生産は変えられるか」
第8章「エネルギーはどうなるか」
第9章「高速・大量輸送の行方」
第10章「コンピューターと通信の未来」
第11章「大量生産システムは労働をどう変えたか」
第12章「自己増殖する軍事技術」

第Ⅲ部 技術がもたらす自然と社会の崩壊
第13章「開発が脅かす人間社会の存立基盤」
第14章「廃棄物問題はリサイクルでは解決できない」
第15章「頻発し巨大化する事故の恐怖」
第16章「漂流する技術者」
第17章「化石燃料を主動力とする近代経済社会はどうなるか」

終章 21世紀の技術はいかにあるべきか
おわりに
索引

何よりも本書の特色は、日常的には社会的には発言することなく黙々と働く企業の現場で、現実的な技術を知り尽くす多数の技術者が集い共同討議・共同執筆(総勢22名)によって生まれたもので、同種の他の技術論とは色彩が異なり、限りなく企業現場の多種多様な技術者の発言・思想が色濃く反映されたものです。また、これらの技術者たちの共同討議・共同執筆を集約し統括するふたりの編者の問題意識は、大量の化石燃料と材料資源を投入することで始まった現代技術は、自然破壊の激化をもたらし、その結果、急速な地球の環境負荷を必然化し持続可能なシステムは不可能になり、このまま進歩させれば、人間が制御不可能で想像を超えた恐ろしい世界の到来を予感させると述べています。そのためには人間の身丈にふさわしい技術とそれを可能にする社会を構想することを提言しています。

序論で編者(井野博満氏)は、今はどうゆう時代なのかと問いつつ、いかなる時代でも技術の変遷の考察を抜きには現在は語れないし将来も語れないし、技術はあくまでも産業社会の要請で誕生してきたと総括し、さらに、面白い技術概念を開陳している。それによると、技術の目的には、「根元的目的または本来的目的」と「経済的目的」がある。根元的目的または本来的目的とは、人類の誕生から連綿と続いてきた営み、例えば、衣食住を確保し健康な生活を守ることなどの行為であり、「経済的目的」とは「金儲けの目的」と言い換えてもいいが、企業社会のもとで技術開発した製品を市場社会で売りさばきり利益を挙げることだという。その上で、現代技術が抱える問題は、経済的目的が技術者の意識を支配し、本来の根元的目的は消失し、いわば人間にとり逆転した目的が社会的通念になってしまっていると指摘しています。

したがって、技術はあくまでも目的を実現し達成するものですが、いかなる目的を設定するかが重要になります。技術は価値中立的ではなく技術者の価値観や倫理観が色濃く投影されるので、産業社会の要請と技術者の価値観と倫理観が複雑に関係し交錯することになります。利益追求の価値をだけを求められる産業社会の要請に抗して、技術者の本来の価値観と倫理観をいかに実現していくか、それは技術者の生き方、人生観の問題にも繋がってきます。編者の主張を要約すると、本書の目的は、各種の技術の特徴と社会的役割を具体的・詳細に分析・説明し、人間の根元目的を強く意識しながら、いかなる技術が望ましいのかを示すことであるという。

第Ⅰ部では「生活圏の技術」を、第Ⅱ部では「変わりゆく産業社会の技術」を具体的に論述していますが、ここで詳論することは不可能なので、編者が上記の各論を十分に踏まえ総括し展望している終章「21世紀の技術はいかにあるべきか」を簡単に見ていくことにします。細い項目は次のとおりです。

  1. 「生産局面においてどのような技術を選択すべきか」(「省力技術は資源浪費と人減らしにつながる」、「省資源・省エネルギー技術は環境保全技術への展開が求められている」)。
  2. 「生活局面においてどのような技術を選択すべきか」(「生活を支える技術が基本である」、「生活圏の重要さ」、「生活圏での生産活動と外部との結びつき」、「自然(生存基盤)を保全する技術は持続的社会の前提条件である」)。
  3. 「資本と国家に駆動される技術はやめにする」(「消費を呼び起こす技術は脇役に退いてもらう」、「国益重視の技術にはだまされない」)。
  4. 「公正な社会システム構築の重要性」。
  5. 「むすび-持続可能な社会のために技術はいかにあるべきか」。

総じて本書は現代社会に現出する「全技術」(エネルギー、資源、材料、交通、食、医療、産業等々)の具体的な諸問題を総括し、持続可能な社会を実現するにために、根元的技術を希求し、いかに産業構造を変え実現していくかを提示・展望しています。戦後の現代技術史研究会の悪戦苦闘の貴重な歴史的な提言でもあります。評者自身、実に多くのことを学び新たな技術の見方を知りました。企業社会で黙々と働く技術者と一般市民に一読してほしいと思います。(猪野修治、2010年12月11日記)