書評:石橋克彦『原発震災-警鐘の軌跡』(七つ森書簡、334頁、2012年2月14日)

書評:石橋克彦『原発震災-警鐘の軌跡』

主な目次は次の通りである。

巻頭口絵 世界の地震と原子力発電所の分布
日本の原子力発電所
プロローグ いまこそ「地震付き原発」との決別を
第1章 福島第一原発を地震・津波が襲った
第2章 地震列島の原発震災
第3章 科学と科学者の責任
第4章 安全神話と危機管理
第5章 自然の摂理に逆らわない文化
エピローグ 浜岡原発震災で何が起こるか
「原発震災」に関する著作・論文・講演の一覧

われわれは現在、「原発震災」のまっただなかにいる。「原発震災」という言葉と概念は本書の著者の石橋克彦さんが1997年に提唱したものだ。著者によれば原発震災とは「地震によって原発の大事故(核暴走や炉心溶融)と大量の放射能物質放出が生じて、通常の震災と放射能災害が複合・増幅し合う人類未体験の破局的災害である。そこでは、震災地の救援・復旧が強い放射線のために不可能になるとともに、原発の事故処理や住民の放射能からの避難も地震被害のために困難をきわめて、無数の命が見殺しにされ震災地が放棄される」(188頁)ものだ。その人類未経験の破局的災害が福島第一原発で起こったのであるが、その概要は誰にでも明らかなように、あってはならないことが現実に起こったという厳然たる事実である。

本書の冒頭部分で地震学者として今回の原発震災を真剣に考えるのが遅かったことは恥ずかしいことだったと悔やみながら、「1997年に原発震災の危険性に心底気がついてからは、それを絶対に起こしてはならないという一心で、原発からの脱却を訴え続けてきた。しかし、結局福島原発震災を未然に防ぐために何の役に立たなかった」(29頁)と述べ、厳しく自らをせめているが、たしかに地震学者としては痛恨の極みであったろうと推察する。ここには、いったい全体なんのために地震学なる学問にかかわるのか、あるいはかかわってきたのか、という深い懺悔と危機の意識がある。

また、プロローグの表題にもなっているように、まったく安全性が保証できない「地震付原発」との決別を声高く訴えつつ、津波の前に地震動で重大事故が起こった可能性を指摘し、現在政府が原発再稼働を進めるための科学的根拠とするストレステストなる仮想の計算を全面的に批判し、「作業の仕様が曖昧で評価結果の客観的な判断基準がないなど、問題点だらけである。地震動が強くなれば一般に強振動の継続時間が長くなったり揺れの性質が変わったりするが、大余震などの続発も含めて現実的なことは考えていない。要するに、きわめて形式的な計算に過ぎず、その結果から、想定を超える「生の」の大地震・大津波に襲われても安全だとはまったく言えない」(23頁)と述べている。たしかにそのとおりだろう。

ともかく現在の著者はあくまでも地震学の立場から、業界団体電気事業連合会(電事連)・政治家・御用学者・原子力推進官庁・地方行政関係者などの諸団体がもくろむ原発再稼働を全面的に批判するのだが、この原稿を書いている時点の朝日新聞(2012年4月2日)の報道によると、電事連は日本原子力研究開発機構に、1998年から2011年度に2・5億円もの多額の寄付をし、原発事故後も継続しているというから、何が何でも原発を再稼働させるつもりである。電事連の言いなりの構造が明確だ。なんと愚かなことか。著者を含む地震学者の警告・警鐘に一向に耳をかさないのである。

本書を構成するほとんどの論考は、3・11以前の15年間、著者が多くの雑誌・新聞等々で発言してきた論考を再編集したもので重複もかなりある。しかし、この重複があることでかえって、その時々の著者の問題意識と論点が繰り返えし展開されていて、きれいに整理された論考などよりも切羽詰まった危機意識が臨場感をもって伝わってくる。

地震学の観点から原発批判を展開中であるが、1994年以前はそうではなかった。ほとんど原発問題を論ずることはなかった。しかし、理由は不明だがなにがしかの動機から思考様式を転換させはじめ、地震学者が原発問題を語らないことは原発が地震に安全だと言っているのと同じだと考えはじまる。この地震と学問に関する思考的転換を著者にもたらしたのは、おそらく『大地動乱の時代―地震学者は警告する』(岩波新書、1994年)を刊行したことだろうと推察する。この書物を読んだときの衝撃は今でも忘れられない。私事で恐縮だが、自然に恵まれ緑が多く温泉が豊富に湧き出る箱根周辺で行う唯一の楽しみでもある読書ができなくなる事態が遠からずやってくるという現実だった。地下の深いところで徐々にジワジワと断裂が進行し、大地震が起こる可能性を実証的に論じ予言していたからである。

しかし、こんな些細な個人的な不安を言いたいわけではない。日本列島に住むすべての人間にかかわる重大な事態が記されていることだった。要約すれば、「幕末にはじまった首都圏の大地震活動期は、関東大震災(1923)をもって終わり、その後は、東京圏は世界有数の超過密都市に変貌した。しかし、まもなく再び大地動乱の時代を迎えることになることは確実である。小田原地震が七十年ごとに発生することを明らかにした地震学者がその根拠を明快に説き、東京一極集中の大規模開発に警鐘ならす」(背表紙案内)からである。

それによると、地震の歴史の研究者でもある著者は西相模湾断裂の過去5回(1632、1704、1782、1853、1923)の大規模な震源断層運動の時系列を示し、平均くりかえし時間が約73.0年で横軸に発生回、縦軸に発生年を取ると、それが見事な直線に乗ることを示しているからだ。驚くべき結果である。いわゆる著者の有名な「駿河湾地震説」であるが、これによると、2012年はまさに周期73年を10年も過ぎていることになる。このことからわが愛する箱根周辺の断裂がいつ起こっても不思議ではないのである。日本列島に住むものはそのことを肝に銘じなければならない。いつ巨大地震が起こるかわからない状態なのだ。関東・東海地方の大地震発生のしくみを解説し、ふたたび迫る動乱の時代が到来したことを告げ、大地動乱の時代をどう迎えるか、と結んでいる。

半年ばかり経過した1995年1月17日に「阪神・淡路大地震」が起こったのであるが、まさに予測した事態が発生した。その2年後に『阪神・淡路大震災の教訓』(岩波ブックレット、1997年1月)を刊行するが、この中で初めて「原発震災」なる概念と言葉を登場させ、それ以来、原発震災の恐るべき実態をことあるごとに論じ始めることになる。

再び書評本に戻ると、著者は「原発震災」の概念と言葉がもつ重大性に広い社会的関心を喚起するため、1997年10月25日付で、朝日新聞「論壇」に「今こそ原発震災に直視」というタイトルで投稿した顛末を述べている。内容は「見過ごされている原発震災の現実的可能性を直視すべきことを訴えたい。それは、原子力発電所(原発)が地震で大事故を起こし、通常の震災と放射性災害とが複合・増幅し合う破局的災害である」(166頁)とするものだった。しかし、結果はボツになったというが、日本列島を滅亡させかねない重大な指摘を隠蔽する日本のマスディアを評して、「原子力をめぐる社会的状況は、昭和10年代の日本のように酷似している。軍国主義の時代が広島・長崎の核の惨劇でようやく終焉したように、今の原発主義の時代も、やがて起こる原発震災の破局をくぐらなければ終らないのであろうかという、悲劇的な気持ちになってしまう。しかし、絶対にそうさせてはならない」(170頁)と述べている。現在進行中の原発報道も錯綜している。

しかし、著者の心配する原発震災の破局的惨劇が現実のこととして福島の原発で起こったのであるが、それでも原発再稼働を演出するマスディアが存在することを著者はどう思うのであろうかと推察すると、心が痛むばかりだ。しかし、著者はそれにもめげず、3・11以後も精力的に全国の反原発運動を担う場所に出向き闘い続けている。このことは本書の最後に記された「原発震災」に関する講演一覧で知れるが、いずれそれらの講演内容の刊行も期待したい。著者の原発震災への闘いは今後も続くがそれは地震学者の良心でもある。

現在も放射性物質の垂れ流しは終わってはいない。それどころか、いつ何時、再び地震による原発事故が起こる可能性が高いのだ。大地動乱の時代にあるに日本列島に生きるわれわれは良識ある地震学者の警告と警鐘に真摯に耳を傾け、原発全廃の運動を推進しなければならないのである。まさに原発戦時下にある。地震列島日本と原発は共存できないことを実証する学問的闘いなのである。現在著者は猛烈に多忙で本づくりをやっている暇はない。長きにわたり、環境と人権の諸問題の書籍を刊行する七つ森書館の中里英章明氏がその仕事を担った。評者の書評の執筆は偶然のことだが、ささやかでも中里氏の労に報いたいと思い、この文章を書いたことを記しておきたい。(猪野修治)