書評:加納 誠監修/田井正博著『時間の不思議』(東京図書、2005年6月25日) 2005年8月1日『物理教育通信』NO.121 掲載

「教育・物理学・人間」の時間学

はじめに本書の構成は次のようである。
推薦の言葉(小出昭一郎)
監修者序(加納 誠)
第1章 古代の哲学者が考えていたこと
第2章 科学としての時間のはじまり
第3章 光とは何か
第4章 特殊相対性理論
第5章 一般相対性理論
第6章 ブラックホール  
参考文献
索引

 ロシアの自然科学書の翻訳家・科学啓蒙作家として知られる著者がコンパクトな科学読み物を刊行された。著者の翻訳書は末尾にあげてあるので参照していただきたい。これらの翻訳書一覧をご覧になればわかるように、学生時代より物理学とロシア語の勉強に専念・習得され、ロシア語翻訳家として独立された。しかし、一口に翻訳と言うが簡単なことではない。体験者にはおわかりのように、きわめて労の多い地味なしんどい仕事である。ましてやロシア語の翻訳では生活できないことは常識である。著者も例にもれず、東京の下町できわめて「人間的な学習塾」を営みながらロシア科学の啓蒙に努めてこられた。

 こうした二つの正業を両立させながら、あの有名な天才理論物理学者レフ・ダヴィッドヴィチ・ランダウ(1908~68)が活躍した時代以降のロシアの最前線の物理学の研究に入り込んでいった。ランダウの愛弟子であるア・べ・ミグダル(1911~91)を中心にした翻訳活動であった。しかし、翻訳者はあくまでも翻訳者であっていわば黒子のような存在である。当然に、自分で書きたいという欲求不満が募る。そのはけ口を著者はそれぞれの書物の訳者あとがきにさらりと書き次いで来たのだが、それでもそれは著者の思い入れからすると「焼け石に水」の感であった。今回の書き下ろしの本書は、その鬱憤を晴らす営みのはじめとなるものだ。

 私は一気に読んだ。古代から現代まで「時間を軸」にした物理学理論の史的展開は、著者の意識の高ぶりを冷静に抑制する論述に魅せられてしまった。文章はやさしいが高密度の内容である。本書の圧巻は特殊相対性理論、一般相対性理論、そしてブラックホールの部分の論述であろう。この部分の論述ではじめて時間概念を展開する。「時間の不思議」が端的に現れるからである。時間概念は物理学的にも科学哲学的(認識論)にも議論の尽きないこところである。その大胆ともいえる論述には、著者が翻訳を手がけたロシアの物理学者の思想が色濃く反映されている。

 前半はヘラクレトス、アナクシマンドロス、プラトン、アリストテレス(1章)、コペルニクス、ガリレイ、ニュートン(2章)、レーマー、フィゾー、マイケルソン、モーリー(3章)、後半はアインシュタイン、ホーキング、ソーン、ノヴィコフ等々(4~6章)の科学者の考え方がこころにくいほど簡潔に述べられている。

 2005年の今年はアインシュタインが奇跡の三大理論の「光量子仮説」「特殊相対性理論」「ブラウン運動」を提唱してちょうど100年にあたる。世界の物理学会は今年を「世界物理年」と定め、世界中で100年記念のシンポジウムは開催される。日本でも同様で2005年3月末に開かれた日本物理学会(東京理科大学野田キャンパス)でも「三大理論」の物理学史の発表があり多くの聴衆を集めた。著者が日々親身に付き合っている子供たちの中から、われわれが想像のつかない創造的な考えを持つ子供が出てくるかもしれない。著者には今度は本書をさらに噛み砕いて目の前の子供たちに、熱く語ってほしいと切望する。

 ところで、本書は時間をめぐる物理学の読み物であるが、近年、学際的な時間論が盛んである。数学者の広中平祐が山口大学に「時間学研究所」を創設した。この数年は熱心な市民を巻き込み大学を超越した本格的な学術センターとなっている。そこではタコツボ  化した窮屈な専門に限定せず多様な専門分野の研究が自由活発に議論される。その意味で本書は「教育・物理学・人間」のカテゴリーで時間学研究のひとつとなるであろう。詳しくは、広中平祐・井上槇一・金子 務編『時間と時-今日を豊にするために-』(発行:日本学会事務センター、発売:学会出版センター、2002年1月10日)を参照してほしい。

 著者は本書の「おわりに」で、夏目漱石の『坊ちゃん』の出身校で著者の母校でもある東京理科大学(旧東京物理学校)に愛着を持って触れている。このたびの監修者の加納誠さんが物理学校を象徴する恩師(故大竹周一教授)の言葉「自然に謙虚に」を取り上げ、また著者はその膝元で監修者との会話を懐かしく思い出している。こんにち、著者がロシア語翻訳者・科学啓蒙家としてあるのは、そのときの監修者との親身な会話であったという。一方の監修者は長年にわたり、職場も生きる場もことなる著者をかげながら励ましてきた。物理学の専門家というよりも教育者としての監修者には、正直いって頭が下がる。若い時代に苦楽を共にした両者の信頼関係と深い友情が結晶した作品である。

 最後に日本語と外国語の教育のことについて述べておきたい。本書を読みながら強く思ったことは日本語教育の重要性である。日本語の書物をたくさん読み、それらの内容を蓄積し、自分のこころになかで練り直し、自分の心と頭を十分に使い、自分の考えをしっかしりした文章で書けるようにすることである。空気のように無自覚に使っている日本語であるが、言いたいこと、伝えたいことを、的確な文章で書くことはそんなに簡単なことではない。こども時代にこれを習得することである。外国語の学習はそれからだ。昨今、早期の外国語教育を推奨する風潮があるが、本末転倒である。はじめに日本語ありきである。

著者のロシア語翻訳書
□トミリン『おもしろい宇宙進化論』東京図書、1977年
□アルツィモヴィチ『プラズマ物理学者の常識』現代工学社、1979年
□ペレリマン『おもしろい天文学』東京図書、1980年
□ティエムコ他『地球の秘密を探る現代物理学』現代工学社、1980年
□ゴレフ他『理科のおもちゃ箱』(共訳)東京図書、1980年
□ゴラント他『プラズマ物理学の基礎』(共訳)現代工学社、1983年
□チェルニン『時間のはなし』東京図書、1989年
□ペレリマン『おもしろい宇宙の話』東京図書、1990年
□ミグダル『量子物理のはなし』東京図書、1991年
□ミグダル『理系のための知的好奇心』東京図書、1995年
□ミグダル『理系のための知的発想法』東京図書、1996年
□ミグダル『理系のための美をもとめて』東京図書、1997年