書評:小柴昌俊『物理屋になりたかったんだよ』(朝日新聞社) 2003年1月17日『週刊朝日』(新春増大号)掲載

 一九八七年二月二三日、岐阜県神岡の鉱山地下にある「カミオカンデ」で世界に先がけて「超新星ニュートリノ」を観測した功績で、先ごろノーベル物理学賞を受賞した実験物理学者の回顧録である。

 小児麻痺を克服して入った東大の学生時代、文学と音楽に惹かれていた著者に物理の落第点をつけた教員から、「小柴は物理の出来が悪い」と陰口をたたかれたことに腹を立て、一念発起して物理を専攻する。なにかと可愛いがられた朝永振一郎氏(物理学者)の推薦状をもらい米国に留学したのが実験物理屋になる発端であった。弱冠三三歳で米海軍も動員する当時としては大規模な国際共同研究プロジェクト(宇宙線中の元素分析)を統括・指揮した希有な体験を持つ。

 「カミオカンデ」を構想し、底面に何千トンもの水と壁面に何千個もの光電子倍増管を張り付けた巨大タンクを作るに至る経緯はすさましい。各界の要人を説得し了解させ動員するには著者のような「親分肌の荒っぽい実験屋」を必要とした。星が寿命を迎え生涯を閉じるとき突然、莫大な光を出し輝きだす超新星を観測したのは近代になって最初だ。

 その半面、国際共同研究を伴う実験物理学には多額の税金が投入される。だからこそ、五千億もの莫大な血税が使われ大量の放射性廃棄物が出る「国際熱核融合実験炉(ITER)」の誘致に絶対反対するなど、その社会的発言は実直そのものである。

 内外の物理屋と各界の友人との交流、弟子の育成、艶っぽい話で英語を学び仲間を増やすなど、赤裸々な発言がぽんぽん飛び出す。著者の人柄を彷彿させる。