書評:栗木安延著『アメリカ自動車産業の労使関係ーフォーディズムの歴史的考察』 (社会評論社、1997年) 1998年10月『社会理論学会機関誌』創刊号

 本書は著者がフォード社の社史 Allan Nevins and Frank Earnest 編著の3部作を15年の歳月をかけて読みこなして、フォード自動車会社の歴史的実体を詳細に検討することで、アメリカ資本主義の形成を社会経済理論的に論じたものである。私は著者がたびたび引き合いに出しているパリ・レギュラシオン学派のフォーディズム論との比較検討など、フォーディズムの解釈論や方法論を議論する立場にはないしできることでもない。私のかんしんは、そもそもフォーディズムとはいかなるものであるか、その冷徹な現実を知りたいこと思ったことである。それというのも、一般の政治学・経済学の著書などを一見すると、解釈論・方法論という「なになに論」がはなざかりで、その裏付けとなるデータとその事態が実証的・具体的に示されず、経済学的前提となる素養がないものにはまったくてが手が出ないのがふつうだからである。

 本書もそんなものであろうかと、ある種の思いこみで読み始めたのであるが、さにあらずである。まず、主な項目を見てみると、序章「フォーディズムの社会理論的考察」、第1部「フォーディズム初期段階」(大量生産方式の確立、高賃金と企業内福祉)、第2部「フォードテロ」(企業ファシズム、UAW体フォード・テロ、フォード社とナチス・ソ連技術援助)、そして、終章「フォーディズム本格段階とその崩壊」である。

 読み進むうちに、先の私の思い込みはどこえやら。流れるような文章力に引き込まれていることに気がつく。そこには、フォード自動車会社における破格の高賃金と高福祉を受給する労働者貴族の姿と、徹底的にアトム化・抑圧化された奴隷に近い強制労働という極悪な労働条件の労働者たちの姿が共存する、というきわめて「いびつな世界」が、ことこまかな資料を示しながら実証的・具体的に描かれる。この奴隷強要化された労働者の世界は、労働者の個人の人間的資質の要素などはまったく入る余地はない完全に機械化・ロボット化されたものである。あまりの過酷な世界から抜けだそうとする労働者には、ナチスのユダヤ人狩り「フォード・テロ」が待っている。近代の自然科学の世界像の基盤となった機械論世界像を徹底して企業の労働者に適用したものと解釈できる。まさにC・.チャップリン『モダン・タイムス』の世界の再現を見ているようである。

 フォード側の奴隷強要労働にたいする労働者側の苦難にみちた戦いの歴史は感動的である。H.フォードはユダヤ人にたいする嫌悪とナチス・ヒトラーの支持共鳴を受けドイツ最高の勲章まで受けている。このことから推し量っても、フォード労働者側の反ナチスと労働者の人権確保と民主主義を承認させる戦いは至難のわざである。そのありさまを論述する著者の文章には感動の念を禁じ得ない。その戦いの結実はのちに第二次世界大戦後の「アメリ自動車産業の協定の基準」となるのである。

 こうしてフォーディズムの搾取労働・疎外労働・大量消費・大量生産という哲学が作り出されていくのであるが、この過程でおそらくとてつもない数の科学者と技術者の「頭脳」と「学問的業績」が投入・導入されたにちがいない。私は思うのには、科学者や技術者の科学技術にたいする「無意識の思想」は、科学技術史的観点からいえば、現代の科学技術思想の基盤を作り出してきた機械論的世界像そのものだったのである。それは時代的空間的な制約と限界はあったものの、企業における搾取労働・労働疎外・大量生産・大量消費等々といった事態は、逆説的にいえばアメリカを先導とする「豊かな世界」を作り出してきたのも事実だが、その豊かな世界という価値が形成されるのは、戦争とフォーディズムの思想・価値と表裏一体である。

 21世紀の世界を展望するとき、現実的な未来的展望はあくまで歴史的事実の継承と批判と転換の厳格な作業にもとづいて行わなければならない。自然環境と社会システムの共存を具体的・実践的に進めるべき21世紀は、われわれの精神と身体の最奥まで染み込んでしまった「豊かな世界」をひとつひとつ払拭しつつ、新たな「豊かな世界」を獲得していくことである。その作業ははじめに「なになに主義」ありきの抽象的な政治的革命論ではなく、種々の歴史的事実の詳細な考察を踏まえつつ、現実の自然と社会のなかに多少なりとも実現できる可能性を見いだし、それを永続的に追求することいがいにない。

 私は自動車会社の労働体験もないし過酷な労働条件下にも置かれたこともない。その私が言いうることは、現実の自然と社会の深刻な諸問題に遭遇するときには、フォーディズムの犠牲者となった無数の労働者の戦いの質を継承して、果敢に戦うだろうことぐらいである。本書は今世紀はじめからこんにちまで、アメリカ自動車産業で現実に起こり現代資本主義世界でいまも、大きな勢力をもつフォーディズム形成の緻密な学問的労作「フォード・ドキュメンタリー」である。

 最後に本書を読了後、著者から『近代社会運動史序説』(専修大学出版局、1989年)をはじめ『労働運動研究』、『専修経済学論集』掲載論文をお送りいただいた。門外漢の私のようなものまで、物理学や科学史のほかのことも「勉強しろ」と励ましをいただいたことに深く感謝しております。このようなことになったそもそもの始まりは、著者の弱者にたいするあたたかいまなざしと、私の長年の友人で自然科学学徒でありながら、ひろく社会科学の諸理論にも通じている山根大次郎氏のご推挙による。彼にも厚く御礼申し上げます。