書評:ニコラ・テスラ『テスラ自伝-わが発明と生涯』(新戸雅章訳、テスラ研究所) 2003年7月31日『湘南科学史懇話会通信』第9号 掲載

ニコラ・テスラ(1956-1943)研究の第一級の史料

 藤沢市在住の作家・新戸雅章氏が「テスラ研究所」(2002年)を設立した。その第一弾『テスラ自伝-わが発明と生涯』(新戸雅章訳、テスラ研究所、2003年3月15日)を刊行(自費出版)した。

 数年前、私は新戸氏と知り合い大きな影響を受けた。新戸氏は根っから「藤沢人」である。私は山形から出てきていらい各地をてんてんと歩きまわった「流れ者」ある。

 小説を書いていると聞いて、湘南科学史懇話会の講師にお願いしようと思って個人的にご自宅の近くの喫茶店であった。お互いに中年を過ぎた藤沢原人(新戸氏)と流れ者(猪野)が「共鳴」するには、お互いの人生を述べなければならなかった。懇談はいっぱいのコーヒーで、延々4時間も続いた。まず、新戸氏がこれまでどんな少年時代を過ごし、どんなことに関心を持ち、いまどんな仕事をやっているかを聞いた。新戸氏は私の目を捕まえながら真摯に語ってくれた。この人は信頼できると確信した。私も新戸氏の目をしっかりと捕まえながら、流れ者の人生を真剣に語った。山形から上京し、学生運動、住民運動、学問への関わり等々をつぶさに語った。新戸氏は真剣に聞いてくれた。なにがしかの創造活動している人の感性はきれいだ。

 そして懇談の共通の問題意識は湘南藤沢地域から発する文化運動をどうのように創って行くかということに絞られてきた。新戸氏はコスモポリタンでない藤沢地域に根ざした文化運動を目指すならば協力すると言ってくれた。ありがたいことだと思った。その後、新戸氏が長年、藤沢発の文化運動「遊行寺フォーラム」に深く関係していることを知った。これにはいまだ参加できないでいるが、いずれそのときが来るだろうと私はもっている。これが新戸氏との出会いの様子である。

 最近はすっかりご無沙汰していた。たまたま、ひさしぶりに新戸氏のホームページを訪問した。そこでテスラ研究所の設立と『テスラ自伝』刊行を知った。お祝いを申し上げたところ、すぐさま本書をお送りくださった。本誌の読者には周知のことだが、私の唯一の読書書斎になっている通勤電車のなかで一気に読んだ。テスラをご存知でない人もおられると思うので、簡単に紹介しておこう。

 テスラとは天才的発明家ニコラ・テスラ(1856-1943)のことであ。「発明の天才」「電気の天才」「電気の魔術師」「交流の父」などと言われた。テスラは1856年7月5日、旧ユーゴスラヴィアのスミリャンに生まれ、1943年1月7日夜、ニューヨークのホテルで孤独のうちに亡くなった。清掃メイドに発見された淋しいものであった。まさに天才であるがゆえの波瀾万丈の86年の生涯であった。その波瀾万丈に満ちた生涯については、新戸雅章「わがテスラ--エジソンを超えた発明家の真実」(『湘南科学史懇話会通信』第7号、2-14頁、2001年11月22日)で知ることができる。なお、本論文は第14回「湘南科学史懇話会」(2002年2月11日)で行った同名の講演を基にしたものである。

 それと本書の「解説」(自伝成立の背景)によると、テスラは交流電力システム(回転磁界、交流誘導モーター、交流発電機変圧器等々)と無線分野の研究(高周波発電器、無線電信、遠隔無線操縦等々)で先駆的な業績を上げたという。「その衝撃は21世紀になても衰えることはないだろう」と新戸氏は述べている。バルカンの神童と呼ばれ、異常とも言える早熟な知能をもったテスラは「世界システム開発」の夢をもつものの、前半の栄光は後半は一転して挫折を体験する。そこには、テスラの奇妙な精神生活(脅迫観念、細菌恐怖症、感覚過敏症等々)も影響していたという。

 さて、本書『テスラ自伝』は、テスラ研究の第一級の資料であると、新戸氏はつぎのように述べている。「近代史を顧みるとき、科学者や技術者がその作業を怠ってきた結果が、無際限な殺戮兵器や環境破壊に結びついたことは否定できないだろう。創造力に満ちたテスラの発明のあり方は、その検証のためのよきテキストとはるはずである。本書はそうしたテスラの創造性の秘密が発明家自身の言葉によって明らかにされた唯一の自伝であり、テスラ研究の第一線の資料であることは間違いない。その翻訳はテスラ・ファンや研究者のみならず、広くアイデアや発明に関心を持つ読者にとって待望久しいものと言えるだろう。」

 この言葉は重い。新戸氏は長年にわたりテスラを研究している日本のテスラ研究の第一人者であるからである。その実、大作『超人ニコラ・テスラ』(筑摩書房、1993年、のちに『発明超人ニコら・テスラ』ちくま文庫、1997年)を書いている。日本で初めて本格的な「テスラ伝」を書いたことで、新戸氏は押しも押されぬに日本の代表的なテスラ研究者となったのである。本書を読むと、新戸氏のテスラ研究にかける意気込みがいかに大きいかが知れる。

 そのような貴重な自伝ならば、本書の中身を丹念に読んでいく必要があるだろう。テスラは自分の仕事(発明)をやり終え125歳まで生き、その後に自伝を書くつもりだと公言していたという。しかし、それも無理と思ったのか、編集者の薦めもあったのだろうが、60余歳を過ぎた1919年、「エレクトリカル・エクスペリメンタリー」誌の2月号から一時期中断して10月号まで掲載された。それが、半世紀以上もたった1977年、旧ユーゴスラヴィアのベオグラードにあるテスラ博物館から単行本が出版された。本書はこの単行本からの翻訳である。

全体の構成は次のようになっている。第1章:青春の日々、第2章:最初の発明、第3章:その後の努力、第4章:テスラコイル、第5章: 拡大送信機第、6章:テロートマチックス技術、付録、名言集「テスラかく語りき」解説「自伝成立の背景」、訳注、訳者あとがき

 そんな長くはない自伝であるので、是非とも読者には手にとって読んでほしいのであるが、新戸氏がこれまで書き下ろしの単行本で書いている信じがたい超人テスラの「天才ぶりが」、本人の言葉でずばり述べられている。解説にも述べられ繰り返しになるが、少し上げておこう。子ども時代のイメージ出現による特異な葛藤、発明品はすべて脳内で完全にできあがっていた、三部屋離れた時計の音がはっきり聞こえた、10キロ先の汽車の汽笛が椅子を揺さぶる、野生の鳩の溺愛、闇の嗜好、等々である。これらは感覚過敏症の病的現象である。まさに天才の典型的な精神病が終生つきまとった。

 このような病的側面をもったテスラであるが、その発明の数々はエジソンをしのぐ画期的なものだった。しかし、新戸氏は一般の人はもちろんだが、電気工学者や電気通信学者にさえよく知られていないことを不当であると力説する。あげくの果ては「電気の魔術師」などとも呼ばれ、オカルト集団からも持ち上げられたと嘆いている。

 新戸氏のテスラ研究歴は長きにわたっている。子ども時代は卓球少年であり熱烈なSF小説ファンでもあった新戸青年は高校時代になって宇宙工学を専攻する希望を持っていた。しかし、諸般の個人的事情から心理学に専攻を変更する。それと同時に文学にも精通する学生時代を送った。いわば文化と理科の両方に関心を持つ続けてきた。その感性と素質が新戸氏の作品には無数にちりばめられている。先に紹介した『超人ニコラ・テスラ』はもちろん、膨大な科学技術を縦横に論じた『逆立ちしたフランケンシュタイン』(筑摩書房、2002年1月6日)などはその典型である。まずなによりも膨大な科学技術分野の科学的事実を手際よく要約し、それに対する新戸氏の見解を非常に読みやすい文章で「びしっ」と決めるあたりはさすがである。私は新戸作品をほとんど読みこんできたが、いずれの作品もそうである。私もこんな文章を書ければいいなあと思っている。

 最後に、新戸氏の作品は本書の主役であるニコラ・テスラに限らず、著作に登場する科学者たちは、これまで、科学史上では、あまりにも不当な扱いをされていると、新戸氏は指弾する。たしかに科学史家はニコラ・テスラを本格的に論じていない。しかし、テスラに関しては科学史家などは及ばないほど、新戸氏の手によって解明されていると言っても良いかも知れない。

 多くの新戸氏の作品を読んでいつも想うことは文体と文章の流れの明晰さだ。すらすらの読み込める。不思議である。読みずらくなりがちな翻訳本でも同じだ。これは何だろういつも考えている。理科系出身の作家・池澤夏樹氏は傑作『ハワイ紀行』(新潮社、1996年)なかで「小説を書く時、その内容はぜんぶ頭の中から出てくる。体験と知識と記憶が素材のすべて」と書いている。そうなのだ。おそらく新戸氏は小説を書くときだけではなく、ニコラ・テスラのような発明家を書くときにも、基本的に小説家の世界で書いているのだと思う。新戸氏は基本的に小説を本業とし科学技術の問題に心底から関心をもっている作家だ。ここに文科と理科の融合がある。

 人間の内面には本来、文科と理科の分離などあるはずがない。この分離は人為的にねつ造されたものだ。文科と理科の融合の問題は、私にも重要な課題だ。私が主宰する「湘南科学史懇話会」の基本的スタンスの根幹に関わる課題であるからである。私は永続的に新戸ワールドから学んで行くだろう。(テスラ研究所、2003年3月15日)[定価1500円(送料+税)]

【編集部注】この本は自費出版なので購入希望者の方は、下記に問い合わせていただきたい。
  テスラ研究所(〒251-0053 神奈川県藤沢市本町1-4-24  新戸雅章方 電話0466-27-3267)