書評:ピーター・ウイリアムズ/デヴィド・ウォーレス『七三一部隊の生物兵器とアメリカ-バイオテロの系譜』(西里扶甬子訳、かもがわ出版)
書評:西里扶甬子著『生物戦部隊731-アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪』(草の根出版会、2002年5月7日)
2004年9月15日『化学史研究』第31巻第3号(通巻108号)掲載

 当初の予定では上記2冊の本のうち訳書の本を書評する予定であったが、読み進めているうちに、両書が不可分の関係にあることがわかったので、まとめて2冊を書評・紹介することにする。著者のひとりのデヴィッド・ウォーレスはイギリスのテレビ局(TV South)の企画者・構成者、もうひとりのピーター・ウィリアムズは同局の重役でデヴィッドのボスである。訳者の西里氏は海外メディアの日本取材のコーディネーター、インタビューアー、プロデューサーとして活躍する国際ジャーナリストで、BBC、ITV、CH4(以上イギリス)、NBC、ABC、CNN、PBS(以上アメリカ)、ARD、ZDF(以上ドイツ)など、海外の主要なテレビ報道のスタッフとして海外向け日本報道取材の最前線で活躍している。その傍ら一貫して、戦争犯罪・戦争責任の問題を追求してきた。

 まず初めの本を論評する。訳者は、2001年9月11日の世界貿易センタービルとアメリカの国家中枢の国防総省の爆破事件後に起こった炭疽菌入り手紙のバイオテロ事件の真相を探る旅に出た。仕事目的ではない久しぶりの休暇を利用した個人的な旅であったが、著者の足は自ずからアメリカ反戦市民運動団体ANSWER活動家のリチャード・ダンカン、細菌戦部隊を執拗に追いかけるジャーナリストのダニエル・バーレンブラット、アメリカ科学者会議(FAS)を主宰する細菌学者バーバラ・ローゼンベルク博士等々の元に向かった。さらに、わずかの残り少ない休暇を惜しんでミューメキシコ州アルバ-カーキーに飛び、旧日本軍捕虜(アーサー・キャンベル夫妻他)たちとも交流している。

 この取材で明らかになったことは、炭疽菌入り手紙の犯人は米軍内部のバイオ・ディフェンス関係者である確率が高く、9.11の恐怖の記憶が生々しいうちに、アラブテロリストの脅威をあおり、ブッシュ政権下の軍事国家体制を強化させるためのパフォーマンスだというのである。驚くべきことである。アメリカの炭疽菌などの生物兵器は朝鮮戦争中も使用されたという説が根強いが、日本軍の細菌戦731部隊の研究データを、アメリカが、その中心的存在であった石井四郎などの軍人科学者の戦犯免罪と引き替えに入手し、前進させたものだ。

 ここに本質がある。現代における細菌戦部隊のバイオ・テロと日本軍の細菌戦部隊の「研究成果」がつながってくる。本書は、テロと報復テロが繰り返される現代の戦争下における細菌戦部隊の研究動向の歴史的源流、具体的には、作家の森村誠一の三部作『悪魔の飽食』や、科学史家の常石敬一らの731部隊における細菌戦の実体研究を引き継いだルポである。1985年、イギリスのテレビ局(TV South)が制作したドキュメンタリー番組「731部隊-天皇は知っていたか?(Unit731 -Did Emperor Know ?)」のために収集された膨大な資料と証言に基づいている。この番組が放映された5年後の1989年、UNIT 731 Japanese Armys Secret of Secretsとして出版されたものである。

 訳者の西里氏は、この番組の日本国内取材において「決定的な役割」を果たした。日本人取材のセッティングを行い、すべての取材現場に立ち会った。訳者はつぎのように述べている。

 私はデヴィッド(著者のひとり)と共に、証人を捜し、証言を集め、真相を探る作業を続けた。当時は関係者の口は重く、地位も名誉もある元幹部隊員や、医学者・科学者とは会うことさえも難しかった。一年近い調査活動の末、いよいよ撮影隊の到着を目前にして、何人の日本人当事者に直接取材する了解がとれるかは、ひとえに私の力量にかかっていた。テレビカメラの前で命を犠牲する人体実験や生体解剖の事実を証言してくれる医学者が果たしているかどうか、半ば絶望的な試みだった。そして、一本の電話で、当時北里大学の名誉教授だった笠原四郎博士に「流行性出血熱についてのインタービュー」の了解をもらった日、デヴィッドがバラの花を私に渡してくれたことを今でも覚えている。(訳者前書き)

 こればかりではない。番組が終了し、著者たちが本書の執筆にかかると、訳者は日本側の石井四郎の長女石井春海、終戦直後の細菌戦捜査官マリー・サンダース中佐の受け入れ役だった陸軍中佐新妻清一、戦後GHQお抱えとなった陸軍参謀有末清三等を補足取材している。こうして訳者は本書の刊行に重要で決定的な役割を果たした。したがって訳者は事実上の共著者ともいえる。訳者なくして上記の番組も本書の刊行もあり得なかった。その具体例が第六章「訳者による終章-生物兵器は今も-底流する731的なもの」に端的に述べられている。

 本書は日本軍の隠蔽された「悪魔の兵器の秘密」を執拗に追求する。本書が森村誠一『悪魔の飽食』以後を描いたのは、日米癒着の原点として生き続けることになった「細菌戦データを巡る日米の取引」の実体を明らかにし、「朝鮮戦争でアメリカは細菌戦をやったのか?」という疑問を検証し、さらに「40年後の731部隊関係者」の証言から戦後日本の医学者と731部隊との脈絡を明らかにするためだった。

 石井四郎を初めとする細菌戦部隊の軍医たちは非人道的な人体実験・生体解剖を行い何千人もの人間を殺戮した。その重大な戦争犯罪にもかかわらず細菌戦部隊の軍医たちは、日米の取引に守られ、いっさい裁かれることがなかった。日本の医学界の倫理的欠陥にはこのような背景がある。だからこそ、細菌戦部隊の医学者は戦後、日本の大学や巨大企業の重要な存在となり、医学会・製薬業界・薬事行政の腐敗を招き、エイズ患者を創り出し平気な顔をしているのだ。

 人体実験・細菌戦で多数の中国人を殺戮した厳然たる戦争犯罪が日米の取引で免責されたことで、日本の医学界はなんら内部批判・自己批判をすることなく戦後にその体質を引き継いできた。現代の日本の医学研究にかかわる人たちへの重大な警告である。本書は諸般の事情から翻訳・出版に12年の歳月を要した。訳者の執念の告発の書である。

 つぎに2つ目の本を論評する。著者(西里氏)は、上記のイギリスのテレビ局番組の日本側コーディネーターとして生物戦と化学戦の実態を取材するうちに、ABC兵器の残虐性と非人道性に衝撃を受け、気が付くと、「戦争」がライフワークとなっていた。森村誠一『悪魔の飽食』の後、「日本軍の細菌戦の実態」「戦後の日米戦犯免責取引の真相」を追えば追うほど、つぎつぎと新たらしい証言が飛び出してくる現実を前にした著者は、これは現在を生きる自分たちの問題であると思い知る。また一方で、先に触れたように、諸般の事情から上記の翻訳本の刊行が、長年にわたりもたつき、業を煮やした著者は、自ら『生物戦部隊731-アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪』執筆を決意する。

 著者は強い使命感を表明しつぎのように述べている。

 本書の目的は、今の目線でこの残虐な戦争犯罪を見ることだ。日本医学界・科学界の選りすぐりの頭脳が集まって何をやったのか。彼らはなぜ他の1000人に及ぶABC級戦犯と同じように処刑されることなく、私たちの町や村で「尊敬」される市民として暮らしているのか。なぜ医療や行政、教育などの中枢で支配的な立場を守っていられたのか。彼らは血で汚れた手を洗うこともなく、そ知らぬ顔で天寿をまっとうしようとしていた。反省することのなかった彼らは、敗戦で一新されたはずの医学界や教育界、医療や薬事行政を、見かけはともかくも、内実において旧態依然たるものにしてしまった。その延長の上に私たちの現在がある。

 実にまっとうな見識である。評者の思いも同じである。そして著者自身が16年間にわたり取材・調査した証言をまとめたのが本書である。

 序章「731部隊とその今日性」はそれを端的に表現している。新宿の人骨、日本軍の遺棄毒ガス兵器の発見、オウム事件、免罪医学者と薬害エイズ事件、病原性大腸菌0-157型の大流行、そして米国における炭疽菌レターの恐怖等々を検証する。

 第1章「細菌戦戦犯免責・日米取り引きの背後にあるもの」では、細菌戦の親玉・石井四郎の動向を探るため中国・アメリカに取材する。その取材で得た資料をもとに、戦後の現在にまで通底する日米の構造的政治的戦略を実証する。要するに、石井四郎の細菌戦研究の資料はアメリカ軍情報部によって極秘とされ東京裁判からも免除される。さらに、石井は朝鮮戦争時アメリカに協力し、アメリカまで出向いて細菌戦研究の講義までしていたふしがあるというから驚きである。

 第2章「細菌戦部隊の実態」では、著者が直接取材した多数の証言を中心に構されている。鎌田信男、篠塚良雄、松本正一、三尾豊、湯浅謙、榊原秀夫、山中太木、松本博等々の証言が詳述される。読む者は息を呑む。

 第3章「新しい証言者と新資料の出現」では、1989年初頭の昭和天皇の死去以降、堰を切ったように出現した中国の細菌戦犠牲者の遺族と日本国内の戦争責任を問う種々の運動がリアルに紹介されている。その大きな原動力となったのが、1993年7月から94年末まで全国62箇所で開かれた「731部隊展」であることは言うまでもない。

 こうして丹念・委細に本書を読み進めていくと、本書のなによりの特色は著者の直接取材に基づいて書かれていることである。そしてそれぞれの証言者の現在の立場とかつての「生き方」を冷静に分析し、戦争犯罪の実相を明らかにしようとするジャーナリスト魂に満ちあふれていることである。

 実は私は本誌会員の山口直樹氏(現在北京大学大学院博士課程)から、著者の西里氏を紹介されていて、ぜひ一度会って見てくれと言われていた。その一ほど後の2003年夏、大きな台風が日本列島を襲った日に、私は東京の町田で著者とはじめて会って、逆取材した。著者の話からその行動力に感銘した。すぐに中国に再び取材に行くと言っておられた。12年の歳月をかけることになった、コーディネート・翻訳本『731部隊の生物兵器とアメリカ-バイオテロの系譜』、そして著書『生物戦部隊731-アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪』は、分離不可分の書物であると私は新ためて思った。このふたつの本は、著者が生涯をかける仕事となった戦争告発の原点となる仕事である。

 最後に一言。日本医学界・科学界に秘められたこのようなむごい医学・科学の犯罪は、日本政府はおろか医学界内部ではまったく問題にならない。日本政府も医学・科学の世界も、一刻も早くこの重大な戦争犯罪の実態を認め、内外にむけて自己批判し、公的に謝罪すべきである。