西條敏美『測り方の科学史Ⅱ 原子から素粒子へ』(恒星社厚生閣、2012年3月15日)
ISBN979-4-7699-1270-5 定価(本体 3,200円+税)全175頁

本書は同著者の『測り方の科学史Ⅰ 地球から宇宙へ』(恒星社厚生閣、2011年11月21日)の後編である。著者は、元徳島県立高校教諭(物理学)で物理学・物理学史・物理教育の世界では「徳島に西條敏美あり」と言われるほど著名であり、現役中の35年間にわたり、科学史の原典を紐解きそれらを物理教育の実践に取込む実践的な授業と研究を主導的してきた。現在は徳島科学史研究会会長・日本科学史学会四国支部長の任にある。その活動は学問的にも社会的にも多様な広がりを見せていて、それらの功績の歴史を考察するのも意味のあるものだが私はその任ではない。しかし、その大まかな研究と活動については、著者の『理科教育と科学史』(大学教育出版、2005年10月31日)を『科学史研究』(2007年3月27日、第46巻No.241)に論評した際に記したので繰り返さない。ともかく多数の実践的著作があり物理教育への功績は多大であり学問的にも相当な実力者で、同業者であった私など、とても著者の足元にも及ばない。私自身現職時代に著者の著作物から多くを学び多大の栄養を獲得してきた経験がある。著者は現役中の実践と研究の結果を種々の雑誌等々に連載してきたが、本書はそれらを収集し再編集したものである。フリーになった現在の私はもう授業の準備に追われることもなく、純粋な物理学の著作としてじっくり読むことができ、大変に勉強になった。

本書の冒頭に著者の学問的姿勢を象徴する切実な知的欲求が詩的表現で記されている。詩的表現とは言うまでもなく著者の精神が欲する内的全貌を端的に物語るものであり本質的であるのであるので挙げておく。

「宇宙は銀河団から 銀河団は銀河から 銀河は恒星系(太陽系)から 太陽系は太陽と惑星(地球)から 地球は岩石と大気から 岩石や大気は分子から 分子は原子から 原子は原子核から 原子核は陽子と中性子から 陽子と中性子はクォークから その大きさは、1026m(約137億光年)から10-18mまで広がっている。その倍率は1044に及ぶ。身長1~2mのヒトが、大はその1026倍もある宇宙の大きさから、小は10-18倍という素粒子の大きさまで 気の遠くなるような階層構造を1つ1つ読み取った。ヒトの叡智の何と素晴らしいことか。どのような方法でその構造を読み解いたのか、その測定方法の原理と歴史を私は知りたい。」

ヒトが存在しなければ学問はない。「その測定方法の原理と歴史を知りたい」という欲求は、広大な宇宙の中でヒトとしての存在を知ることでもあり、人間が人間であることを自覚化することでもある。現職時代の著者が生徒たちから「どのように測ったのですか」と発し続けられた素朴な問いは、心にズシリと響く本質的で根源的な問いであったに違いない。そこで著者はその本質的で根源的な問いに答えるため「測り方を知ること」の一点に向かうのであるが、その時間的・空間的な複雑な発見の歴史的過程の枝葉的議論をそりおとし、ズバリと発見の結論までに至る首尾一貫した論述を行っている。このような「万物を測ること」だけを対象化した類書を私は知らない。

主要な項目は次の通りである。

第1章 原子 1.原子の質量の測り方 2.原子の大きさの測り方
第2章 分子 1.分子運動の速さの測り方
第3章 光 1.光の速さの測り方 2.光の波長の測り方
第4章 1.電子の質量の測り方 2.電子の電荷の測り方
第5章 1.原子核の質量の測り方 2.原子核の大きさの測り方 3.放射性原子核の寿命の測り方
第6章 中性子 1.中性子の質量の測り方
第7章 中間子 1.中間子の質量の測り方
第8章 素粒子 1.クォークの大きさと質量の測り方 2.ニュートリの質量の測り方 3.素粒子の寿命の測り方
参考図書案内
科学史年表Ⅱ 素粒子・原子
主な素粒子一覧
あとがき
事項索引
人名索引

特に原子核、中性子、中間子、素粒子の質量を、先人の科学者たちが、どんな問題意識からどんな理論的予測をもとに、どのように測定することに成功してきたかのエッセンスを、あまりにもコンパクトに整然と論述していることに感嘆するばかりである。そしてタイムリーなことに、本書の読み込み中の7月初旬、世界の新聞各紙はいっせいに第一面のトップ記事で、何やら万物の質量の起源とも言われる「ヒッグス粒子」の存在が確認され、今世紀の大発見であると大々的に報じた。たとえば朝日新聞朝刊(2012年7月5日)は、次のように報じた。「万物に質量(重さ)を与えると考えられてきたヒッグス粒子とみられる新粒子を発見したと、スイス・ジュネーブ近郊にある欧州合同原子核研究機関(CERN)が4日、発表した。素粒子物理学の基礎となる「標準理論」の中で唯一見つかっていなかった素粒子だ。物質が質量を獲得し、宇宙がいかにして現在の姿に至ったか解明する意味がある。ヒッグス粒子は、137億年前の「ビッグバン」によって宇宙が誕生した直後に、光速で飛び回る素粒子に対してみずあめのように作用して、動きにくくしたと考えられている。この「動きにくさ」こそ、質量を持ったことを意味する」と。

しかし、この「ヒッグス粒子」の発見には巨額の税金と巨大な実験装置を要し、また2900人もの研究者が投入された。日本は140億円を拠出して実験装置「ATLAS」を提供し大きいな役割を演じた。ひとつの粒子の発見のために莫大は財政的・人的な経費を必要としたのであるから、世俗の人々に簡明に説明する社会的責任もある、とも専門家のコメントを掲載している。ともかく各種の素粒子の質量を決めることは巨大科学を要するのである。

話が脱線したようだが、現代における質量の起源とされる「ヒッグス粒子」を発見するのに、これだけの長大な時間、莫大な費用、そして大量の人的資源を必要とするのが現代の科学の特徴であるが、本書に示された物理的諸実体を発見する科学史的過程も程度の差はあれ、質的な難題性においては同様のものであったろうと推察される。ともかく、重要な原典を読み解き諸原典の相互関係を読み取り結合させ、当時の「最先端の現代科学」を理論的・実験的に探求する諸様相のエッセンスを簡潔に描き出すことに成功している。たとえば、ひとつのテーマの「ニュートリの質量の測り方」だけを読んだだけでもでも明らかだ。「放射性原子核のβ崩壊の実験結果」→「パウリによるニュートリノの存在の予言」→「ニュートリの存在を証明したライナスの実験」→「3種類のニュートリの発見」→「自然に存在するニュートリノの研究」→「ニュートリノの振動とニュートリノの質量」→「ニュートリノに質量があることの二つの証明実験」→「β崩壊の理論によるニュートリノの質量の測定方法」→「ニュートリノの質量の精密値」と言った具合に、ニュートリノの精密な質量を決定するまでの科学史的過程を要領よく論述している。その重厚な学問的思考と慎重な筆さばきは見事というほかない。

総じて本書を結論すれば、物理的事象の確固たる学問的研究、生徒・学生たちの素朴ながら本質的で根源的な問いにたいする真摯な対応、そして何よりも著者自身の宇宙の万物の存在構造を知りたいという内的欲求等々が、うまく複合的に絡みあい見事に結晶化した作品であると私は思う。あっぱれ脱帽する。