中等教育における物理教育実践家の目的は、論文の発表や本の刊行を主要な営みとするアカデミズムのそれとは異なる。端的に言えば業績主義ではない。教育実践家の主要な仕事は目の前の子供たちに真正面から体をはって(生活をともにして)、授業実践家自身が人間的側面を赤裸々に表出しつつ全存在をかけて自然的世界を語ることである。そうであるからこそ、いかなる献身的な努力をもってしても、その営みは活字になったり論文になったりと表面にはでない。つまり形として残ったり評価の対象とはならない無形の営みである。これらの表面には出ない教育実践家たちの努力による無形の営みは、どこで報われるのであろうか。人間的な授業実践家の語りと授業は、成長段階の子供たちの内面に深く刻み込まれるのである。その営みをわれわれは教育という簡単なことばでかたづけているが、その内容は授業実践家の自然的・社会的・思想的な認識のベクトルしだいで千差万別になる。本書は著者のそのような認識を具体的に提示していると言ってよいだろう。
本書は32年間(1972-2004)、物理教育にかかわってきた著者が、定年7年前から意識的に実践してきた物理学史と原爆・平和・軍縮・人間等々に関する内容を一般向けにまとめたものである。物理教育実践家としての著者自身の「卒業論文」でもある。この実践報告・卒業論文を丹念に読みこみ、全体構成・各論を眺めてみると、その考察対象がいかに広大であり豊穣であるかに気づくとともに、それを議論する柔軟な科学認識・社会認識・歴史認識には、正直いって頭がさがった。本書で記されている授業を実践することになった動機は、1997年、著者が所属する埼玉県立高校が長崎への修学旅行を実施したことにはじまる。生徒を引率した著者が被爆地に足を踏み入れるのは初めての体験であった。この体験が著者の「考える姿勢」を変え、物理教育者として、被爆地の長崎・広島から「物理学と社会の関わり」をテーマにした授業をやろうと決意するのである。
本書の構成は次のようである。
(Ⅰ)「原子核物理への道・・・舞台はヨーロッパ」
(Ⅱ)「原子爆弾への道・・・舞台はアメリカ」
(Ⅲ)「Hiroshima・Nagasakiからの道・・・舞台は地球」
(Ⅳ)「未来への道・・・いま・くみとることは?」
(Ⅴ)「補足」となっている
(ただし数字(Ⅰ~Ⅴ)は評者による追加)。
Ⅰでは、物質究極粒子の原子、原子核の存在、核分裂を解説しながら、原爆と原子炉の理論的原理が論じられ、Ⅱでは、第二次世界大戦下の原爆開発史(日本、フランス、イギリス、ドイツ、旧ソヴィエト、アメリカのマンハッタン計画)および後半ではウラン爆弾(広島型)とプルトニウム爆弾(長崎型)の原理および日本への投下と被害の実態、Ⅲでは、戦後の冷戦下における核兵器開発競争、科学者の思想動向と平和運動、Ⅳでは、核兵器の非人道性、科学者の社会的責任が論じられている。最後のⅤは、原子爆弾製造に関する数学的・物理的解説と、NPT再検討会議、国連における長崎市長演説などの資料集である。
全編を熟読しての本書の特徴をいくつか述べておきたい。
まず第1は、教育現場の物理の授業を彷彿とさせる臨場感あふれる要領を得た一般向けの原子核物理学の解説書として優れていることである。たとえば、原子核の発見から結合エネルギーをへて核分裂物質と原爆・原子炉まで一気に描写され、力学的エネルギーや化学エネルギーと核エネルギーの質量の根本的な相違を具体的に説明されている。あわせて最近、話題になっている夢の原子炉「高速増殖炉」の原理を述べつつ、しかし、その実現は技術的・社会的に困難な机上のプランであり、原子力産業や電力産業が軍需産業(死の商人)と同様、巨大な利益を生む構造であると指摘することを忘れていない。
第2は、第二次世界大戦中の原爆開発製造計画「マンハッタン計画」を軸に、冷戦構造下における各国の原爆開発の様相、科学者の運動を詳細に論述していることである。たとえば、ウラン爆弾(広島型)、プルトニウム爆弾(長崎型)の原理と製造過程およびそれらが日本に投下される国際政治の動向、原爆投下後の被爆調査の実態を批判的にとりあげている。ここでは日本への原爆投下がソ連を牽制するためであったこと、日米合同の被爆調査は被爆者の治療や救済のためではなく高度な戦略的軍事研究だったことを指摘し、その意味では日本はアメリカの軍事活動に荷担したのだと断定する。日本の被害者意識ばかりを強調するのではなく、日本が中国大陸、東南アジア諸国に侵略し残虐な殺戮を行った重大な加害責任を明示している。これは重要な視点だ。
第3は、戦後の冷戦構造と原水爆および核兵器開発競争を詳述・批判し、それと連動・並行して登場した科学者の平和運動・思想を詳述していることである。前半では米ソ両大国による核抑止論の考え方「冷戦力学の基礎法則」を開陳し、この基礎法則は国防予算・軍需産業を肥大化させるとともに人々の恐怖心を煽るだけだと批判する。また、こうした原水爆・核兵器開発競争の激化にたいして人類滅亡の危機を感じた世界の科学者達が積極的に核廃絶運動を組織し活動していく様子を丹念に描いている。第1回原水爆禁止世界大会(1955年8月6日)、ラッセル・アインシュタイン宣言(同年7月)、ゲッチンゲン宣言(1957年)、パグウォッシュ会議(同年)等である。これら科学者の平和をもとめる会議や宣言が起きる動向を、著者は「戦後、核開発競争が激化するのと並行して科学者の平和思想も鍛えられていった」と述べている。さらに、著者は「19世紀末、ノーベル個人が晩年に持った思想、信頼と寛容と人類愛を他のすべてに優先する思想は、20世紀の最後になってようやく社会的地位を獲得した。100年を要した」と評しているが、評者もまた、科学者の平和運動という現象は、20世紀が物理学の革命と戦争の時代であったことと表裏一体のものであったことを、あらためて確認せざるをえない。
第4は、広島・長崎における原爆被爆の原点に立ち返り、核兵器の非人道性を訴えつつ、科学者のみならず市民の平和運動の必要性を呼びかけていることである。この後補足のひとつとして、格調の高さで知られる伊藤一長長崎市長の国連での演説(2000年4月~5月)の全文が掲載されているのは注目してよい。伊藤市長の演説は秋葉忠利広島市長の演説とともに核抑止論に基づく欺瞞的平和を批判し、絶対平和を求める全世界に誇れる格調の高い演説であるからである。
総じて、物理学を愛する物理学徒でもあり物理教育の実践家でもある著者の立場は、自らが知り尽くした物理学の理論が基盤になっている原発・原爆・核兵器の全廃を求めていると評者には思える。それにしても先にも述べたが、著者の考察対象の広さには圧倒されるばかりである。原子核物理学の理論と歴史、戦後の科学技術をめぐる国際政治学、科学者の平和運動・・等々、これら広大な考察対象を高校生・大学生を含む若者および教育者・研究者に本質を崩さず手短にズバリと描く力量は並たいていものではないと推察する。その力量と努力に敬意を表したい。そして高校生・大学生・一般市民が科学と社会をめぐる諸問題を考えるさいの「重要な資料」として本書を活用されることを切望したい。
初めにもどって、著者の授業を受けた多数の高校生たちは何を得たであろうか。それは誰にも分からない。評価も算定もできない。著者の教え子たちが、21世紀の科学技術社会でどのような生き、どのように生活していくかを見るしかないのである。定年7年前から、教師生活の総決算の仕事として全精力を傾け描いた本書は大変な労作であることはまちがいない。最後に蛇足ながら、多少気になった編集上のことをひとつ指摘しておきたい。せっかく多数の重厚な内容の記述があるにもかかわらず、あまりにも文字がつめこみすぎていて読みづらい。若者が手にとって読みたくなるようなくふうがほしかった。