書評:佐々木 力『デカルトの数学思想』(東京大学出版会、2003年2月27日) 2003年12月25日『科学史研究』第42巻、No.228 掲載

1.はじめに

 待望の『デカルトの数学思想』が刊行された。何年も待たれていた作品だ。筆者の佐々木力氏(数学史)の「本来の専門」は16・17世紀の科学史とりわけ数学史、それも近代哲学の父ルネ・デカルト(1596-1650)の数学思想である。本書は筆者がプリンストン大学大学院に提出した博士学位論文(歴史学)の大幅な増訂版である。学位(Ph.D)の授与は1989年1月21日である。あらたまって、本来の専門と述べたのは、これまで著者はおびただしい優れた多様な領域の重厚な学術的思想書を刊行しているからである。

 ざっと眺めて見ると、『生きているトロツキイ』(東京大学出版会、1996年)、『科学論入門』(岩波新書、1996年)、『マルクス主義的科学論』(みすず書房、1997年)、『学問論-ポストモダニズムに抗して』(東京大学出版会、1997年)、『科学技術と現代政治』(ちくま新書、2000年)、『二十世紀数学思想』(みすず書房、2001年)等々である。

 これらの多様な作品群をみると、佐々木 力は3人いると錯覚するほど著者の学問対象は幅広い。これらの刊行書の著作のなかで、著者はことあるごとに、「自分の専門は数学史とくにデカルトの数学思想」であることを表明してきた。しかし、肝心要の「デカルトの数学思想」なる本格的な論文を読んだものはほとんどいない。本来ならば、まず科学史家の原点である本書が刊行されてよいはずであったが、そうはならず、それ以前に著者は次々と重厚な作品を刊行するものだから、何が専であるかよく理解できないでいるという声も聞くほどである。本書で著者が科学史家を生業とする出発点となった学問的挌闘の結晶の全貌を明らかにする。

 評者にとっては著者がどんな専門であるかにはあまり関心はない。しかし、評者は1980年初頭、著者がプリンストンから帰国直後にある研究会で知り合った。それ以来、著者の作品が刊行されるたびごとに、すべての作品を真剣・真摯に読み込み熟考し著者におびただしい批判的議論をぶつけてきた。その批判的議論から獲得した学問的内容は高密度である。この20数余年というもの、評者の学問的営みは事実上、真正面から本気になって著者のすべての作品と知的格闘すること、そのものであった。それだけ評者にとって筆者の存在は大きく重たい。

2. 本書の概略と構成

 さて、著者の《近代科学史論》は三部作からなる。第一部は『科学革命の歴史構造』全2巻(岩波書店、1985年;講談社学術文庫、1995年)、第二部『近代学問理念の構造』(岩波書店、1992年)である。第三部は本書『デカルトの数学思想』(東京大学出版会、2003年)である。第三部の本書が一番最後の刊行になったのは、本書が、まもなくオランダの出版社(Kluwer Academic Publishers)から刊行される英語版(Descartess Mathematical Thought)の翻訳であること、デカルトが愛したホラティウスの『詩作術』のなかのことば「書きしたためなば、それは秘めて9年以上も温められんことを」に従ったものだからだ。

 本書は第Ⅰ部「デカルト数学思想の形成」と第Ⅱ部「歴史的パースペクティヴから見た普遍数学の概念」構成で、さらに各論として全17章の詳細な項目からなっている。著者によると、第Ⅰ部の中心的問題はつぎのようである。「デカルトの初期の数学思想を再構成するためには、1637年の『方法序説』に随伴して世に問われた『幾何学』の時点までの彼の数学的著作を分析するだけだけでなく、彼の同時代の数学者で彼がひもといたと推測されるものをかなり包括的に検討してしなければならない。とりわけ、彼が近代の代数解析的数学の創始者であるフランソワ・ヴィエトを読んだかどうかを確かめることは、私の長年の念願であった。この問題を解決することは、近代西欧数学誕生にまつわる、いわゆば"秘密"に等しいように私には思えていたのであった。」(序文、ⅷ)

 そして第二部の目的はデカルトの数学の哲学を考察することである。著者はつぎのように述べている。「彼の数学論はとりわけアリストテレスのと対照的である。私が、デカルトが無慈悲に捨て去ろうとしたアリストテレス並びにアリストテレス主義者の数学の哲学をも検討するのは、このためである。私はこの問題を、デカルトの「普遍数学(mathesis universalis )」の概念に対応する考えが17世紀までにいかに展開してきたのかの問いに文献学的並びに哲学的に検討する手順を介して取り組む。この遠回りの手順は、大局的な歴史的パースペクティヴのもとでデカルトの数学思想を理解するのを助けることだろう。」 このように取り組むべき大きな科学史的考察の概念的枠組みを示した後、これらを総じて著者は、「普遍数学」概念が枢要な役割を演じるとしたのち、「事実、それは17世紀においては、最も基礎的な数学的学科を表す概念であり、デカルトにとっては、新規の代数解析的数学へとい導く鍵概念であった」(同上)と結論する。

 さらに上記の序文で提起した科学史的考察の概念枠組みをさらに絞り込み、序論「デカルトと近代西欧数学」で具体的な資料を明示しながら、精密化させている。これ以上の考察はとどめもなくなるので、次に本書全体の主要な項目を面倒がらずにあげておこう。

編者から
序文
序論「デカルトの近代西欧数学」
第Ⅰ部 デカルトの数学思想の形成
 第一章 デカルトとイエズス会に数学教育
 第1節 デカルトとイエズス会のラフレーシュ学院
 第2節 ラフレーシュ学院のカリキュラム
 第3節 『学事規定』における数学の学習
 第4節 イエズス会学院における数学教育の動機
第二章 クラヴィウスに数学思想
 第1節 デカルトとクラヴィウス
 第2節 クラヴィウスの数学の哲学
 第3節 クラヴィウスの著作の中のパッポス
 第4節 クラヴィウスの著作の中のディオファントス
 第5節 ベークマンとの邂逅以前のデカルトと数学的背景
第三章 数学改革の最初の試み
 第1節 「まったく新しい学問」-算術と幾何学の統一構想
 第2節 『思索私記』の中の数学
 第3節 『立体の諸要素について』
 第4節 デカルトの1619年の数学的・哲学的夢
第四章 『精神指導の規則』の数学的背景
 第1節 旧『代数学』-「まったく新しい学問」の最初の成果
 第2節 『精神指導の規則』における数学
 第3節 普遍数学
第五章 1637年の『幾何学』
 第1節 パッポス問題
 第2節 『幾何学』の執筆
 第3節 近代の解析的伝統形成期におけるデカルトの位置
 第4節 デカルト的数学を超えて

中間考察 デカルトと近代思想における数学主義の始原

第Ⅱ部 歴史的パースペクティヴから見た普遍数学の概念
第六章 アリストテレスにおける「普遍数学」
 第1節 アリストテレスの『形而上学』と『分析論後書』
 第2節 ギリシャ語の注釈者たち
 第3節 中性の注釈者たち
 第4節 ルネスサンスの注釈者たち
 第5節 アリストテレス主義的学問構造の中の数学の地位
第七章 16世紀の「普遍数学」
第1節 プロクロス・ディアドコスとフランチェスコ・バロッツイ
 第2節 アドリアン・ファン・ローメン
第八章 17世紀の「普遍数学」
 第1節 デカルト「普遍数学」概念の数理哲学的観点からの見直し
 第2節 ライプニッツ的総合

結論  デカルトと近代学問構造

3. 評者の所感

 デカルトは近代哲学の創始者もしくは父と言われる。その近代哲学の根本は数学である。こういうのは簡単だが、では、デカルトの数学の内実はいかなるものかと問われると、現代の数学の専門家にも容易には答えられない。しかもデカルトが生きた時代前後の学問を網羅する仕事は至難の業である。デカルト数学の起源とその思想である。その鍵概念は「普遍数学」にある。普遍数学なる概念がのちの『精神指導の規則』や『幾何学』における代数解析を通底する思考的枠組みを創り出す。それはやがてはデカルトの思想、近代哲学の思想として結実することになるが、中世のスコラ的・神学的学問体系を近代科学が自己運動できる思考的・学問的枠組みに作り直したのだ。その過程を同時代に刊行された著作及び研究書を手がかりに詳細・綿密な文献を狩猟し論じる。

 本書が刊行されのち、ただちに評者は三度ほど読み直し熟読した。しかし、本書の内容を逐一追いかけるのは至難の業である。いや評者には不可能である。そんなはずはないと叱責し熟読したが、論の展開が相当に入り込んでいて行き先不明の迷路に入り、その迷路にはまり込んだらもう出てこられない。こうなると、もう少し、読み手を考えて書いてくれないかと文句のひとつも言いたくなってきた。著者がこれまで刊行して著作とは文体がそうとう隔たっている。これも仕方がないのだろう。これは博士論文であることにはたと気がついた。そもそも学位論文などはいずれもそのようだからだ。

 そう思いつつも、読書渡世人の評者はなんとして読み切らなければならない重要な書物だ。職業数学史家になるために外界から遮断された規律正しい学問修業という意味での学問刑務所と言われる有名な「プリンストン・ピリズン」に入獄し禁欲的な立場から書いた論文であるからである。評者は著者のように「入獄体験」をもつ機会はなかった。むしろ悔しい思いである。

 そう思ってあらためて内容を子細に検討すると、デカルトの数学思想の解明のために、古代ギリシャ、中世アラビア、中世ラテンの世界、そしてデカルトの同時代と前後に生きた学者の膨大な文献を読み解き執拗なまでに考察する。デカルト数学の鍵概念は「普遍数学」だと先に述べたが、この概念を上記の壮大な歴史的な学問的パースペクティヴで描いた数学思想史である。

 その実、著者は、次のように述べている。「「普遍数学」概念は、デカルトの初期数学・哲学思想の形成において極めて重要な役割を果たし、また、その代数解析としての役割を通じて、彼の後期の新しい学問構造を基礎づける試みにおいて依然として意義深い位置を占めた。すなわち、デカルトの代数解析を中軸に据えた数学論は、新しい近代学問の権威の極限と考え続けられたのである。」(本書511頁)

 デカルト数学思想を解明しようとする著者のそもそもの目的はなにか。歴史的知識を軽蔑したデカルトの数学と哲学は近代社会に決定的な影響をもたらしたことは論を待たない。いわゆる近代合理主義思想である。そのためには現代的観点から、デカルト思想の欠落部分の補完とその世界に転回を迫り、近代哲学思想構造総体の変革を迫るためである。前世紀(20世紀)の科学技術史と思想・文化を振り返ってみると、種々の多様な学問活動はデカルトを創始者とする近代哲学ひいては近代哲学思想構造からいかに脱却するかという思想的・実践的な苦闘の歴史であった。

 その有り様は著者が先に刊行した『科学革命の歴史構造』や『近代学問理念の誕生』等々の著作のなかで執拗に論じてきたことでもあるので、評者はこれらの書物を真摯に読み込んでほしいと熱望する。そこで展開された科学史的・思想的な深い考察と議論を踏まえた現代社会の思想・文化・政治にたいする激しいまでの言論活動をみると、その原因を創り出してきた近代哲学の創始者デカルトの思想を壮大な歴史的パースペクティヴのもとに細密・緻密に分析・考察を果たしてきたという著者の自信の現れであるとも考えられる。その意味では「佐々木力科学史学」の原点はここにあることは間違いない。

 ともかく、これで事実上、佐々木力科学史学の3部作が完結した。『科学革命の歴構造』『近代学問理念の誕生』そして『デカルトの数学思想』(本書)である。そのほか、近年の活躍はめざましいものがあるが、いずれの作品をものしてきた背景には、上記の3部作の考察が著者の思想と哲学の背景となっていることは言うまでもない。

 そこで、ここらへんで、佐々木力科学史学総体の分析と総括をする時期であると考える。このシンドイ知的格闘の営みを著者が所属するアカデミズムの世界に期待するのは無理である。というのも、これまで著者が刊行してきた重厚な学問的営為にたいしてだれひとりとして本格的に論じたものはいなかったからである。それは不思議なことである。しかたがないから、デカルトの数学と哲学の幾人かの専門家をお呼びして私がやるしかない。全作品を読み込み熟考と議論を重ね、拙いけれどもそのつど真摯に批判的評論を書き付けてきた評者のやるべきことだと考えている。その議論の空間はもちろん評者が主宰する市民的学問所「湘南科学史懇話会」である。国家税金を使い知的特権階級の学問的営為は市民人民大衆の厳しい批判にさらされなければならないである。そして著者は本質を崩さす平易な言葉で市民人民大衆に語る義務を負っている。