書評:佐々木 力『科学論入門』(岩波新書、一九九六年) 1997年4月20日『現代思想史研究会通信』第3号

科学技術史論から環境社会主義を展望する

 本書の内容は、佐々木氏が一九九二年から、日本看護協会看護研修学校で行なっている講義「科学論」がもとになっているという。『科学論入門』には「数学の医学史モデル」、「科学技術論の医学史モデル」、あるいは「科学技術の前線配置の転換」、「環境社会主義」などという思考的認識論的にキーワードとなる概念が展開されている。前者は、現代科学技術の諸矛盾の前線が混迷すればするほど、現代科学技術の有り様がいかなるものであり、それをどのように捉えていくべきかを考えるさいの思考的規範的モデルとなるものである。また、後者は、現代科学技術の諸領域を医学史モデルで考察したのち、さらにそれを発展させ実現しうるために導入された「社会的政治的プログラム」である。

 まず科学技術論の医学史モデルについてだが、著者は一九世紀ドイツの医学者ルドルフ・ウィルヒョウと日本の医学者・医学史家の川喜田愛郎氏から学んだと述べているが、前者を私は読んでいないのでなにも言えないけれども、後者については、著者と川喜田氏の共著『医学史と数学史の対話』(中公新書、一九九二)が大きな手がかりを与えてくれる。この数年間というもの、著作の随所で展開している「医学史モデル」でもあるので多少言及しておこう。

 医学史と数学史という対極をなすと考えられる対話がなされること自体、希有なことであるが、この対話は、「若い世代」に属する著者に対する「古い世代」である川喜田氏の、いわば遺言となったともとれる長時間にわたる実りある対談である(川喜田氏は一九九六年十二月六日逝去された)。著者が川喜田氏とその大著『近代医学の史的基盤』全二巻(岩波書店、一九七七、現在絶版)と接触をもつのは、一九九一年春のことで、それは下村寅太郎氏を媒介してのことであったと考えられる。

 この著作は医学者でありながら一九六九年春、大学闘争時代の千葉大学学長を「大人の世界がつくづくいやになり」辞任したのち、独学でなされた医学史研究の成果である。川喜田氏との対談および川喜田氏の上記の著作から「病の癒しの科学技術論」の発想をもとにして、佐々木氏がそれを緻密化してものと考えられる。

 さらに本書(『科学論入門』)の目的は、明治以降の近代日本の科学技術と西欧近代科学の性格・特性等々の科学史的考察を動員にて、転換期にある現代科学技術を医学史モデルを媒介させ、環境社会主義を提唱することにある。そのさい、著者がよく引き合いに出すのが原子力批判運動家・高木仁三郎氏の「専門的批判の組織化」である。原子力問題はチェルノブイリ原子力発電所の事故をまつまでもなく、現代日本の「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故(一九九五年十二月)、動燃の火災爆発事故(一九九八年二月)を見れば明らかなように、科学史などという「あまっちょろい」教養主義的な学問を展開している場合ではない、という見識もありえ、私はこれぞと思える若い科学史学徒に、やや挑発的にであるが、現代科学技術を批判的に捉えるために科学史や科学哲学を研究するのも結構であるが、それならば、なおいっそうのこと、科学史家の責務としてきわめて現代的な原子力問題をはじめとする、科学技術の諸問題の反環境性を訴える物理的な街頭行動を起こすことも重要ではないかと言うのである。

 一九六0年代後半以降、原子力問題に対する専門的批判運動に一貫してかかわる高木氏にしろ、ヴェトナム戦争時にきわめて犯罪的役割をはたした在日米軍に対する反基地闘争を闘い、こんにちでも核兵器・核実験批判などの軍縮問題の最前線で活躍する梅林宏道氏にしろ、彼らはすべて、六〇年代後半の世界的な大衆的文化思想の価値転換運動に自らの生き方をもってこたえてきたのである。私は生涯にわたり彼らを支援する。

 さらに、『科学論入門』とのかかわりで言及すべきことは、彼らの問題意識には、「文献主義」の博識ぶりを披露してやまない学者とその生活に、完全に「見切りをつけた」ところから出発していることを忘れてはいけない。そういえば、かつてアカデミズムの「学者」の原稿は掲載しないという雑誌がいくつもあったのを思い出す。現代の科学論や科学史や科学哲学という「学問」は、専門性をそなえた彼らの市民運動とつよく連帯したものでなくてはならない。また、そうあってほしいというのが、私の長年の希望なのであり、六0年代の諸運動が提起したもろもろの成果を継承しなくてはいけない。

 こうしてみると、脳死移植技術にしろ原子力技術にしろ薬害事件にしろ、「責任ある科学技術のあり方を問い直す」ための学問的作業とはどのような営みなのか。科学史家は現場の科学技術者や市民の広範な運動を無視すれば、まさに「教養のための科学史」に陥ってしまい、「何のための科学史」と、問われることは自明である。著者はこの営みを、高木氏が実践に基づいて提唱している、市民による専門性をもった批判的運動組織に希望を見い出している具体的な言明があるので紹介しておこう(佐々木氏と高木氏の対談「臓器移植と原子力技術」、『図書新聞』、検証・戦後五0年ー戦後科学技術思想、一九九五年一月二一日参照)。

 私の問題意識との関連で、この両者の対談の後半はきわめて示唆的なので要約して読んでみよう。高木氏はこう述べている。

 科学史家の廣重徹氏は一般論として原子力批判をやったが、その先まで食い込む作業をやっているのは我々である。原子力技術は終末に来ているが、政治がそうさせていないのだ。最近、東大の若手教授らは、僕らがあれほど否定的にとらえたはずの「技術としての知識」、「技術としての学問」を非常に肯定的にとらえていると、佐々木氏の属するアカデミズムの学者を批判する。

 これに対して佐々木氏はつぎのように応対している。六0年代後半はいかに啓蒙主義を否定するかが科学論の主流であった。現にある科学技術中心の社会システムは危険なところがあり、本当にまじめに誰もが納得しうるような別の社会システムを考える地点に来ている。高木氏の話を聞いていると、私(佐々木氏)の専門の科学史や科学哲学が本当にめざさなくてはだめな議論とは、どんなものかを考えさせられる。それは議論だけでは済まなく、今後の労働運動とつながることが重要である、と。

 現代科学技術とくに日本の場合におけるそれを考える場合、著者のいう医学史モデルの観点からみると、病いを癒すどころか徹底した外科手術の連続である。原子力技術問題ひとつだけをみても、「インフォームド・コンセント」などはないに等しい。いまや捉え直さなければならないのは、科学技術の価値観総体、責任ある理性的な研究主題の変更つまり科学技術の前線配置の転換なのだ。環境問題は単なる自然環境の問題ではなく、すぐれて社会的政治的経済的な問題であることが明確になっている現代社会において、その社会的政治的経済的な価値観の転換が求められるのは当然のことである。著者はその具体的な価値転換のプログラム「環境社会主義」なる政治経済学を構想する。

 「社会主義」なるものは旧ソヴィエトのスターリン体制の崩壊とそれに伴う民族紛争の問題や経済破綻によって、いまや語ること自体がタブーになっているような時代状況にあり、それに便乗する論者があとを絶たないが、われわれにいま求められていることは、一九一七年ロシア革命以降のスターリン体制下における政治・経済・環境・文化等の詳細な分析と批判から、環境を基調とする社会主義の価値観を探求することである。実際、著者は『生きているトロツキイ』(東大出版会、一九九六)や『スターリン主義科学哲学の成立』(『思想』一九九六年四月、六月、十月、みすず書房から刊行予定)などの著作において、旧ソヴィエト官僚主義的専制主義国家の政治・思想・文化・哲学等々と、その日本への歴史的受容がどのように形成されてきたかを詳細に論じている。

 日本は明治維新以来というもの、近代西欧科学の結果のみを総力をあげて急速に導入することに邁進してきたが、いまその反省のうえにたって、新たな科学技術論を作るためには、それらの思想状況の詳細な分析的総括と、それに寄ってたつ現代の「科学技術現場の最前線」の状況を、十分に考慮しつつ、科学技術の価値転換を実践を伴った諸般の運動と連動させながらなされるべきなのである。要は科学論がさきにあるのではなくて、科学技術の問い直し作業のなかに新たな科学論なるものを自ずから作り出すもので、しかし、その問い直しの作業には終点がないのである。

 さいわいなことに著者の初めての新書版である本書は、多くの読者を獲得してきているが、私の持論である、アカデミズムの世界で学問的な戦いを挑む者と、こまごました日常の生活の現場でさまざまな厳しい運動を担っている市民運動家が、「生活世界の転換」という大きな課題に挑むさい、共通のたたき台となることを願っている。物理学の世界と同様に、理論と実践の双方がある時点で相互作用・批判したり、共鳴したりすることが、ぜひとも必要なのである。

 それというのも、市民運動の現場世界と学問的営為の世界を「じっと」見てきた私には、両者の相互交流が欠如しているのが、見えるのである。これまで調査研究費の出所などまったくもたない市民運動家(私もそのひとり)がいかに身銭をきり、生活を切り詰めながら、生活世界の転換の運動を担っているかをよく知っているからである。

 この数年、私が、私の問題意識とつながる若い世代で、高い志操と見識にもとづいた市民運動研究団体「科学と社会を考える土曜講座」(代表 上田昌文氏)を支援しつつ、そこから「市民運動と学問の有り様」の双方を学ぼうとしているのも、実はその理由からである。本書『科学論入門』は、生活現場重視のひとびとからの批判の声に、謙虚に耳を傾けることで、あらたな「健康的な科学論」の息子・娘を生み出すだろう。