書評:佐々木 力『マルクス主義科学論』(みすず書房、1997年)  1998年10月『トロツキ-研究』No.27 掲載

われわれはなんとスターリンの亡霊呪縛の歴史にいたことか

 佐々木力氏は、この数年、科学史家の立場から「ロシア革命とマルクス主義」をめぐるさまざまな考察を世に問う作業を精力的に行っている。その第一は『生きているトロツキイ』(東京大学出版会、一九九六年二月)であり、第二は本書『マルクス主義科学論』である。前著は、旧ソヴィエト連邦や日本における政治的左翼運動の過程で、「反革命」とか「極左主義」とかのレッテルで常識化し、ロシア革命期以降、問答無用に排除されてきたトロツキイの政治思想・行動・世界を冷静に再考・分析し、再評価するものである。反革命と極左主義なる常識が、実は、スターリン主義的政治体制が意図的・捏造的につくり出した「イデオロギー神話」であることを明かにしたものだが、二十一世紀社会主義再生に思いをかけるひとりの科学史家の執念の学問的労作である。この学問的労作はマスコミ・言論界の一部の良識ある人々に少なからずの関心を呼び起こした(1)。

 本書『マルクス主義科学論』は、前著で明示的に論じたトロツキイの政治思想・行動・世界を、意図的・捏造的に排除し「異端分子」として常識化させることに成功したスターリン主義体制の政治・経済・科学・思想等々を、決して政治党派の教条主義的・ドグマ主義的でひとりよがりの論脈ではなく、科学史・科学哲学・科学論の視座から冷静かつ虚心坦懐に考察したものである。

 私は、私と同世代の著者による一連のロシア革命とマルクス主義の考察は言うに及ばず、本来の専門の科学史・科学哲学の著作のすべてを読み込む作業に本気で取り組んでいる。私の身辺に降りかかった過去のいまいましい出来事から脱却し、健康的であらたな社会的展望を見いだそうと思うからである。いまいましい出来事というのは、60年代の青年時代からこのかた、自分の感性と自分の言葉で信頼し得る他者と自由に論じたいことが、上記のような一枚岩的な「社会的常識」によって封じられてきたという苦い体験のことである。その社会常識の呪縛から開放されるためにも、学問的・歴史的営為の著作と見識を真摯に学ぼうとし、一九八0年いらい、自ら身銭をはたいて「現代思想史研究会」(主宰)を組織し、そこから多くのことを学びつつ、こんにちに至っている(2)。

 したがって、本書の紹介をするにあたり、はじめに述べておきたいことは、本書の内容にかんして、著者と同じレヴェルないしそれ以上の「高み」から「評論」などすることではないし、できる相談ではない。そうではなく、本書を通じて「社会的常識」を問い直し、自分の感性と言葉と思想を取り戻したい、いや、あらたに作り出していきたいという一念にほかならない。

 さて本書は、第一章「マルクス主義科学論ーそのバランスシート」、第二章「スターリン主義科学哲学の成立」、第三章「トロツキイの科学思想ーその可能性」の構成よりなる。

 旧ソ連をはじめとする社会主義政治体制の崩壊という際、その社会主義とは、スターリン主義的ドグマの政治体制の自己崩壊であった。本書の全編を通じて著者が論じるのは、マルクス・エンゲルスの、いわゆる「古典的マルクス主義」の観点からいかにロシアにおけるスターリン主義政治体制が逸脱し、官僚主義支配の政治に科学や文化が支配されてきたのかを詳細に分析することである。スターリン主義は西欧型の民主主義を許容できない政治思想であったのであるが、権力を手中にしたスターリンは、ロシア革命の立役者レーニンのもとで、もう一人の革命家トロツキイを排除することに成功する一方、トロツキイを後継者と目する「レーニンの遺書」を改竄・捏造し、国家独占支配体制をしく。さらにレーニンの有名な『唯物論と経験批判論』を神聖化し、レーニン主義を神にまつりあげることで、その後継者として自らを見事に演出する。その結果、想像を絶するおびただしい殺人権力集団と化すのであるが、それは、政治、経済、科学、文化、思想のあらゆる領域に貫徹されていく。 こうしたロシア革命のスターリン主義の政治体制が外国とりわけ日本の左翼陣営にいかに受容され、今日に至っているかを歴史的・実証的に論証する。

 その一方でスターリンに排除され後に最後の亡命地メキシコで、熱狂的なスターリン主義者に撲殺されたトロツキイの革命論を詳細に分析することで、その理論のなかに、二十一世紀の社会主義の再生をもとめるのである。そういうトロツキイの理論とは、国際主義の立場からの「計画経済・市場・民主主義」である。これを著者は「トロツキイ・モデル」と名づけているが、さらに二十一世紀の社会主義の再生のために、このトロツキイ・モデルと著者の提唱する「環境社会主義」(3)を結合させた理論的構築を構想する。ここで構想される体制は古典的マルクス主義の意を組み込んだ社会主義の建設をめざすことになるのは、言うまでもない。

 私は今、もう一度、新たな船出を開始しようと思っている。一九六八年時代の全共闘運動とベトナム反戦運動下で、二十歳代を過ごした私は、学問の世界にいる著者とは幾分異なる経路を歩んできたが、現在でも社会や思想や生活の有りようを巡る思考は、この時代に起こり関わった社会的な諸運動から受け継いでいる。これについて、最近、思想史家の藤田省三氏が、雑誌『世界』の連載対談「戦後精神史序説」の中で、「全共闘」は単なる「騒ぎ」であり全部間違っていた、彼らが今の会社人間を作ったのだと全面否定する一方で、それに関わるがその後完全に「非社会化している人間」が上等なのだと単純に豪語している(4)。冗談じゃない。組織人間であろうがなかろうが、すべて社会的関係性の中で生きているのであって、その中には、それぞれの立場から当時の運動の質的内実を継承し、何とか前に進もうと戦っている人間も沢山いるのだ、ということが解っていない。何を言おう、その対談相手の岡本厚氏もその一人であろう。

 さて、私はかつて著者に、科学史的視点からのロシア革命時代の社会と科学と思想の歴史的分析を本気にやらねばならない、それが科学史家としての責任だと、熱っぽく語ったことがある。そのとき、著者はただ黙って聞いているだけであったが、今から見れば、そのときにはもうすでに、本書の執筆の構想を練り上げていたのである。

 現代の科学技術社会は、科学技術立国を主張する「科学技術基本法」の成立、重大な軍事同盟「日米の新ガイドライン」の協定、水俣病の原因発生の歴史から何も学ばなかった結果としての「環境ホルモン(内分泌攪乱物質)」の登場、原発問題の非環境性と非人民性・・等々の問題を抱え込んでいる。それらにたいする個別的な分析・考察・運動の視点は、市民と専門家の共同の仕事であるにしても、それらの仕事に共通する社会的政治的な動因は、現在の科学技術と政治体制の変革にあり、あくまで歴史的な分析を経てなされなければならい。

 抽象的な政治思想論を論ずるよりも、個別的で具体的な諸問題に真摯に関わっている市民運動の仕事が重要であるのは自明のことであるのだが、いったん、これらの個別的な運動のヴェクトルと政治体制の問題を考察するさい、著者が本書において、科学史的で歴史的な考察を通じて主張する「環境・計画経済・市場・民主主義」の構想は、国際主義の観点からの大きな手がかりとなる政治的世界像を見せてくれると確信する。 スターリン時代おにける政治と科学と技術の歴史的考察は始まったばかりである。というのも、ロシア本国にあってもいまだにトロツキイの『ロシア革命史』が刊行されていないこと、あの有名な『理論物理学教程』の著者ランダウ・リフシッツの一人、物理学者レフ・ダヴィドヴィチ・ランダウが遭遇した忌々しい弾圧事件も最近になって明らかになった、という次第であるからである(5)。

 私は一九九七年七月末、三日間ほど、リエージュ(ベルギー)で開催された国際科学史学会に参加したのちに、著者、遠藤一郎氏(全国一般労働者組合全国協議会書記長)とともに、アムステルダムにある「マンデル研究センター」を訪ねる機会があった。マンデル研究センターの概要については、一九九六年七月、同センターの国際セミナーに参加した、湯川順夫氏(トロツキイ研究所)が詳細に紹介しているのでそれを参照してほしい(6)。同センターは、マルクス主義理論、マンデル研究はいうに及ばず、ひろく、国際的な労働運動に関わる年齢性別に関係なく学者・市民の交流の場ともなっているが、日本における国際的な労働運動とその理論的研究のセンターとしての役割を担う「トロツキイ研究所」が、広く社会に解放され広範で柔軟な思考をもった活動動家たちが集い、科学技術、政治経済、人文科学等々のセミナーを開催するなど、新たな政治文化運動の発信地・交流の広場となることを切に望んでいる。本書はその一翼をになう重要な書物であることはまちがいない。(みすず書房、一九九七年十二月)

(1)「極左主義の見方排し再評価」(『日本経済新聞』一九九六年三月十七日)、
「社会主義に向け思考と身ぶりを検証」(『朝日新聞』一九九六年三月十七日)、
「常識をくつがえすトロツキイ像」(『図書新聞』一九九六年四月十三日)。私も本誌『トロツキー研究』(No.二十一・一九九六年十月三十日、二五四頁~二五六頁)に個人的な感想をよせた。
(2)「現代思想史研究会」は哲学、社会・科学思想を主要なテーマとして、年に数回、東京で開催される。その概要は「現代思想史研究会通信」で知ることができる。
(3)佐々木力『科学論入門』(岩波新書、一九九六年)
(4)藤田省三・岡本厚「全共闘運動について」(『世界』、一九九八年八月、二三三頁~二三九頁)
(5)本書、二九四頁ー三0六頁。『イズヴェスチャヤ』編(解題・佐々木 力/訳・桑野 隆)「つながれたミッシング・リンクー理論物理学者ランダウの一九三九ー三九年」(『みすず』一九九八年八月、八頁~四二頁)
(6)『かけはし』一九九六年十一月二十五日、十二月二日、十二月九日の三回に渡って紹介されている。