本書は、The Cambridge Companion to Greek and Roman Philosophy,edited by David Sedley; Cambridge University Press 2003 の翻訳である。いずれも現代の西洋の古典学や哲学の最前線にいる研究者たちの論文集である。それぞれ、特定のテーマを論じる独立論文ながら、大きな流れとしては表題のとおり、古典ギリシアの哲学からローマ時代の哲学にどのように連動され継承されていったのかという一種の現時点における研究動向を示すガイドブックともなっているが、まずは大まかに項目を挙げておこう。
序章(David Sedley:ケンブリッジ大学古代哲学教授)
第1章 古代哲学における議論の方法(Jonathan Barnes:パリ・ソルボンヌ第四大学教授)
第2章 ソクラテス以前の哲学者たち(Malcolm Schofied:ケンブリッジ大学教授)
第3章 ソフィストとソクラテス(Sarah Broadie:セント・アンドリューズ大学教授)
第4章 プラトン(Cristopher Rowe:ダーラム大学教授)
第5章 アリストテレス(John M.Cooper:プリンストン大学スチュアート教授)
第6章 ヘレニズム哲学(Jacques Brunschwig:パリ第一大学名誉教授/ David Sedley)
第7章 ローマの哲学(A.A・long:カリフォルニア大学およびアーウィングストーンの教授
第8章 哲学の文芸(Marth C.Nussabaum:シカゴ大学教授)
第9章 後期古代哲学(Frans A.J. de Haas:ライデン大学教授)
第10章 哲学と科学(R.J.Hankinson:テキサス大学教授)
第11章 哲学と宗教(Glem W.Most:スクォーラ・ノルマーレ・ディ・ピサとシカゴ大学教授)
第12章 古代哲学の遺産(Jill Kraye::ロンドン大学高等研究所ヴァールブルク・インスティチュート教授)
訳者あとがき
地図
文献案内
古典語/日本語対応表(逆頁)
人名索引(逆頁)
この項目(各章)を眺めるだけで想像されるように、序章を含め13の論文は趣旨と論点が高密度に凝縮された重厚な内容ばかりである。評者は読了するのに長大な時間とかなりの精神的緊張感を強いられた。それぞれの各論文をここで詳細に客観的に論じることなどとてもできない相談である。この種の独立した論文集のおのおのを紹介するのは、紹介者や書評者には至難で業である。しかし、何とか何がしかのことを述べなければならないから心労も多い。
編者で統括者のD・セドレーは1947年生まれというから現在でもケンブリッジ大学で古代哲学教授として最前線で活躍する研究者であるが、序章で本書の特色を要領よく概観している。
先ず第一は、各論文はそれぞれの研究分野を専攻する第一級の研究者が長年の周到な研究の成果をもとに主要な西洋哲学の動向と哲学の多様な諸流派が見事に概観されていることである。第二は哲学的著作と資料に直接に触れることの重要性を作品(論文)の成立をもって暗黙に例示し、主要な哲学的著作をものした哲学者とかれらの諸作品を要領よく整理し、誰にでも理解できるように見やすい図表で配列したことである。古代ギリシア・ローマの哲学とひと言でいうが、本書が考察対象としている時代は、前六世紀から後六世紀にわたるギリシアとローマの哲学である。
編者のセドレーらの国際的な調査によると、現代の世界の哲学の学生が最も読みたがっているのは、なんといってもプラトンの著作だという。それもそのはずである。プラトンは後輩のアリストテレスとともに膨大な著作を残している数少ない人物であるからであり、この二人の人物の哲学的著作の分析およびかれらの前後に生きた哲学者たちの著作に当たるのが、古代哲学研究の出発点でもあるからである。特記すべきは「哲学の祖」のソクラテスの世界を知りうるのはあくまでもプラトンを通じなければ不可能であるからである。
ところで、例えば、その『プラトンの著作集』であるが、初学者には多数の著作を読み込めば読み込むほど迷路に入っていくような印象を与える。そこで、著者(第4章)は、プラトン思想の発展の仕様に応じて、プラトン思想の全体像を簡便に図表化している。「著作名」、「主題」、「主たる対話人物」、「頁数」が具体的に示され非常に見通しをよくしている。
また、労苦が多い本訳書を統括した監訳者の内山勝利氏(京都大学教授)によれば、20世紀から21世紀という世紀の変わり目にあたり、英語圏では、古代哲学関係の「ガイドブック」が出版され続けているというが、氏は本書を次のように述べておられる。「明らかにこの分野における最近の研究状況が一定の集約期を迎え、多数の個別研究の成果に立って、その全体像を有機的な連関のもとで捉え直そうとする機運が醸成された結果と見ることができよう」。したがって、本書は古代哲学研究における第一線の個別研究を読みつつ、それらの個々の個別研究の相互の連関性を見通すとことができるようになっていて、きわめて欲張った、それだからゆえに、哲学的で教育的配慮がなされた「高度な研究入門書」であるともいう。たしかにそうだった。評者は通読したのちひとつひとつの論文の濃密さに圧倒されつつ、これまで漠然とながめていた古代哲学の諸流派を「そういうことだったのか」という思いを強くした。
例えば、古代ギリシア哲学はもちろんだが、とくに「ローマの哲学」が成立する背景とその後の中世ヨーロッパの哲学への影響である。一般的にローマの哲学は古代ギリシア哲学の翻訳運動から起ったとされるが、その端緒は、前155年に3人の主要なギリシア人哲学者がローマの地に踏み入れ、ローマの知識人の学問熱に火をつけたことにあるという。キケロ、セネカ、ルクレティウス、その他、多数のローマの知識人の著作が、その成立する背景と概説が簡潔に示されているので大変に参考になる。特に、以前からことあるごとに手に取り斜め読みしていた、エピクロスの哲学を翻案したといわれるルクレティスの詩『事物の本性につて』(De rerum natura)がローマの哲学と思想にとっていかに重要な書物であるかを知った。ギリシア哲学の影響を強く受け膨大な著作を残した文人政治家キケロにいたっては言うに及ばない。
もう本誌の書評字数制限で、先を述べる余裕はない。ともかく全編を通じて、主要な哲学思想を論じながらも、科学、文学、芸術、宗教等々の多様な諸思想まで言及されているのが、本書の魅力となっている。文献案内は、Ⅰ「ギリシア・ローマ哲学の原典(主要テキストを含む文献)」、Ⅱ「ギリシア哲学・ローマ哲学の研究書」、Ⅲ「ギリシア・ローマ哲学の原典の邦訳文献」となっているが、これらも大変に充実している。いまや評者には身近に置くべき古代哲学の参考書、学習書、辞典となった。
最後に監修者はもちろんだが、各章の翻訳を担われた方々(木下昌巳、山田道夫、蒲田雅年、金山弥平、坂下浩司、大草輝政、村上正治、國方栄二、木原志乃、和田利博、西尾浩二の各氏)は、京都大学大学院で修業を終えられた方々ばかりである。(猪野修治)