書評:嶋橋美智子『息子はなぜ白血病で死んだのか』 (『技術と人間』一九九九年 掲載 1999年9月4日『湘南科学史懇話会通信』第4号)

原発労働者の被曝死という厳然たる現実

 一九九一年十月二〇日、ひとりの青年、嶋橋伸之氏が原発労働被曝が原因で亡くなった。嶋橋氏は一九六二年九月二十六日生まれ、八一年三月、横須賀工業高校卒業と同時に協立プラントコンストラクトに入社した。この会社は、中部電力ー中部火力工事ー中部プラントサービスー協立プラントコンストラクト、という日立系列の末端の下請け会社である。八八年六月、定期検診で白血球数が通常の倍の三千八〇〇あり、その夏、多量の鼻血を出した。八九年九月の検診で白血球数が二万四〇〇〇となり、白血病と診断され、九一年一〇月二〇日、弱冠二十九歳で他界した。

 嶋橋氏の仕事は、浜岡原発の沸騰水型(BWR型)の核分裂反応状態を知るための中性子検出装置の維持・管理で、一般に中性子計装と呼ばれ原発の定期検査のさいに行われる。嶋橋氏はそのつど被曝した。(藤田祐幸「ある原発労働者の死ー被曝労働の現実と課題ー」(『科学・人間・社会』、No.四十五、一九九三年七月一〇日、を参照されたい)。

 本書の著者は嶋橋伸之氏の母である。美智子氏は息子が原発で被曝労働に従事していたことをまったく知らなかった。息子の死後、会社側が頻繁に訪れ補償折衝に出て、労災申請をさせまいとした。この対応に疑問を思った美智子氏は、息子の放射線管理手帳を持って平井憲夫氏と藤田祐幸氏に相談するとともに、そこで、息子が従事していた原発被曝労働の実態を初めて知る。しかも、放射線管理手帳の被曝データが、息子の死後、意図的に書き変えられていたのである。

 美智子氏の覚悟は決まった。息子の死を個人的な問題ではなく、息子が従事した原発被曝労働現場の非人道性を明らかにするために九三年五月六日、磐田労働基準監督署に労災申請し、社会的な問題とする一大決心をしたのである。この運動には先の藤田氏、平井氏と多数の弁護士が支援運動を展開する。美智子氏の呼びかけに応じた全国的な支援運動は大きな盛り上がりを見せ、なんと四0万人の請願署名が集まった。この間の美智子氏の悪戦苦闘の運動の様子を記述した文章は、息子伸之氏の死の原因を突き止めたい、それが原発被曝労働にあると知ると、その被曝労働の現実を広く社会的な現実として知ってもらいたいの一念である。息子の伸之氏は生前、母の美智子氏には自分の仕事のことはなにひとつ話すことはなかった。なにも知らなかった美智子氏が息子の死を無駄にしてはならないと、労働組合、市民運動団体、消費者団体、個人を訪ね、署名を集め、文章を寄稿するなどの姿は、母の執念そのものである。この運動を通じて、息子が従事した原発被曝労働の社会的位置、原発を管理運営する電力会社と国家権力の一体化した政治的構造を肌で知るのである。 ただの主婦が一人近い大聴衆を前にして即興で話すことになったとき、美智子氏は「やるっきゃない」と覚悟を決めたという。

 一九九九年七月二十七日、ついに労災が認定される。しかし、それでも中部電力は嶋橋氏に謝罪を拒否している。その言い分はこうである。「労災認定は、直接的な因果関係が明らかでなくても、労働救済という観点に基づいて認定されることがあると理解しており、今回認定されたことが、浜岡原子力発電所での放射線ひばくとご本人の病気とに直接的な因果関係があったことを意味するものでないと考えております」。これが電力会社の公式見解である。これを書いた電力会社の人間は、どのような人なのだろう。彼もおそらく、自己矛盾に陥っていることだろう。その人間も含めて原発労働者が毎年五万人が、この原稿を書いている現在でも、被曝に曝されていることを忘れてはならないであろう。嶋橋美智子氏のたたかいはいまでも続いている。

 最後に、『浜岡からの手紙』という冊子に、美智子氏が寄稿した手紙を掲載しておこう。

 伸之・・・・昨夜、あなたの夢を見ました。
一人でぶら~りと静岡に来ていると、あなたと由紀江(猪野注:妹)が迎えに来て、「早く横須賀へ帰ろうよ」と言うのね。でも私は、「せっかく静岡に来ているのだからどこかへ行こうよ。すこし離れた温泉とか」と言っているの。
 すると、「早くお父さんが待っているから、横須賀へ帰ろうよ、お兄ちゃんが、ほら怒っているよ」と由紀江が言うのですよ。
 ムゥーッとした様な、たまに見せる表情で、黙ったまま横を向いていたあんた。あんたがいなくなってから生まれた孫の綾乃を、なぜか由紀江が抱いているのよね。
 こんな夢を久しぶりにで見てうれしかった。しばらく見なかった伸之だったから。
いつも何処かへ行きたがる私と、一緒に行動するのを嫌がるあんたと、こんなことって実際にもあったような気がする。
 伸之の同級生達が署名運動をしてくれている。職場まで持って行って頼んでくれている。他のクラスだった女の人が横須賀市役所の労働組合に署名を頼んでくれたそうです。
 うれしいね、伸之。あなたも私も生まれ育った横須賀で、今静岡にいる私たちを応援してくれるなんて、お母さん最高にうれしい。あなたのことで中学や高校の時の友達がたくさん来てくれたり、署名を他の人達まで頼んでくれているのは。きっとあんたも喜んでいると思う。母さんがしていること、余計なことではないよね、伸之。
 あんたは貯金も車も無くてほとんどお給料は呑んでしまったけれど、お酒のつき合いかカラオケの友達か知らないけれど、たくさんのお友達が、「飲み友達で・・・・」とお線香をあげに来てくれた。そして、あなたが私の手元から離れて成人していく過程やエピソードを話してくれた。母親の知らないあんたの世界、案外気楽にやっていたのかな。苦しくても悲しくても家に帰らない、帰れない、そんな悲壮感は無かったかと尋ねると、「そんなことないよ」と言ってくれたのでお母さん救われた。
「浜岡の町で伸ちゃん知らない人いないよ」とスナックの人が言ってくれたけど喜んでいいのか悲しんでいいのか。
 割に有利な投資をお酒にしていたのかな。お友達ありがとう。全国の署名をして下さる知らない皆様、協力して下さるスタッフの皆様ありがとうございます。まだ続きますので一人でも多くの署名をいただき、一人でも犠牲者を減らす努力をしていただきたいと願っております。ありがとうございました。