論考:ヨハネス・ケプラー『新天文学(ASTRONOMIA NOVA)』(岸本良彦訳、工作舎、2013年11月5日) 全683頁をめぐって。

 原典はAstronomia nova (Astronomia Nova ΑΙΤΙΟΛΟΓΗΤΟΣ seu physica coelestis, tradita commentariis de motibus stellae Martis ex observationibus G.V. Tychonis Brahe(1609) 『偉大なティコ・ブラーエ師の観測による火星の運動についての注解によって述べられた、原因を説明できる新しい天文学つまり天体物理学』である。この部分のテキストは、M.Caspar編『ケプラー全集』(Johannes Keplar Gesammelte Werke, Band Ⅲ, München,1938)BAdW 002334739

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Ⅰ はじめに
Ⅱ 『新天文学』の総目次
Ⅲ ケプラーのことば
Ⅳ おわりに 
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Ⅰ はじめに
 前回の『宇宙の神秘』の読み込みのときと同じく、今回は『新天文学』の全貌を眺め読み、その膨大な語り口を忠実に再現に、真摯に耳を傾けることに集中した。周知のことだが、本書『新天文学』はケプラーの著書の中でも、もっとも多くのややこしい数学的な解析が展開されているので、それを追跡するだけでもたいへんなことである。なにしろ、全683頁もの大著であるからなおさらだ。こういう営みをやっていると、私の意識はケプラーの時代の人間になっているような錯覚にとらわれるときもある。

 つまり物理学や天文学におけるケプラーの法則がどんなものであるか、などはよく知られていることだが、そういう結果論的な果実などよりも、私はもはや、ケプラーの同時代人になったような気分であった。ということは、本書の読み込みに入ったことは成功であったことを意味する。ここでの目的はただひたすら、悪戦苦闘の営為の中にあるケプラーの肉声を聴き続けることである。

 しかし、その営みも十分ではなく、その十分さを求めるのであれば、何年さきのことになるのかもわからないので、ここでいったん、その全貌を眺め開示し、大著全体に対するケプラーの語り口(序論)を忠実に再現し、真摯に拝聴することに努めた。では行きましょう。

Ⅱ 『新天文学』(全5部) 総目次
ルドルフ2世への献辞
火星運動についての注解への短詩
至高の天文学者ティコ・ブラーエの誘い
読者へ―フランツ・ガンスネブ・テングナートル
凡例
序論―著作全体の概要表・各章の議論(全70章)

■第1部:仮説の比較について
第1章 第1の運動と惑星に固有の第2の運動の相違、および固有の運動における第1の不整と第2の不整の相違
第2章 離心円と周転円付同心円の単純な最初の等値とその自然学的理由
第3章 相異なる観点や量的に異なる仮説が理論上等値となり一致して同一の惑星行路を形成する
第4章 同心円上の2重周転円ないし離心周転円と離心円にけるエカントの間に認められる不完全な等価
第5章 エカントもしくは第2周転円を用いたこの軌道配列も実際には同一(ないしほぼ同一)でも惑星を平均太陽もしくは視太陽との衝で観測するのに応じて同一の時点でどの程度まで外観を呈しうるか
第6章 惑星の第2の不整を論証するプトレマイオス、コぺル二クスおよびブラーエ説の理論上の等価

■第2部 古人の説にならった火星の第1の不整について
第7章 どんなきっかけで火星論に出会ったか
第8章 ティコ・ブラーエが観測し算出した火星と太陽の平均運動の線との衝の表およびその表の検討
第9章 火星の黄道上の位置をその円軌道に還元すること
第10章 ティコ・ブラーエが太陽の平均位置と衝になる時点を求めたさいの拠り所である観測結果そのものの考察
第11章 火星の日周視差
第12章 火星の交点の探求
第13章 黄道面と火星軌道面の傾斜の探求
第14章 離心円の面はぶれずに平衡を保つ
第15章 夜の始めと終わりに見えた位置を太陽の視運動の線に還元する
第16章 第1の不整をうまく説明するための仮設を探求する方法
第17章 遠地点と交点の動きの一応の探求
第18章 発見された仮設による初更の12の位置の検証
第19章 大家たちの見解に従い初更の全位置により確証されたこの仮説に対する初更の緯度による論駁
第20章 初更の位置以外での観測結果による同仮設の論駁
第21章 誤った仮説から正しさの生じる理由と正しさの程度

■第3部 第2の不整すなわち太陽もしくは地球の運動の研究、あるいは運動の物理的原因に関する多彩にして深淵な天文学
第22章 周転円ないし年周軌道は運動を均一化する点(エカント)の周囲に位置しない
第23章 地球から太陽までの2つの距離と獣帯上の位置および太陽の遠地点を知って太陽(ないしコぺル二クス説の地球)行路の離心値を求める
第24章 周転円もしくは年周軌道がエカントの点から離心していることのより明白な証拠
第25章 世界の中心から太陽までの3つの距離から獣帯上の位置を知り遠地点と太陽もしくは地球の離心率を求める
第26章 周転円が固定点つまり軸の年周軌道(太陽を回る地球の軌道なしい地球をまわる太陽の軌道)も太陽ないし地球の本体の中心から、ティコ・ブラーエが太陽の運動の均差によって発見した値のすくなくとも半分は離心していることの、同じ観測結果による証明
第27章 初更の位置ではないが同じ離心位置にある火星の別の4つの観測結果から、地球軌道の離心値、遠日点、獣帯上の火星の離心位置と合わせて地球の各位置での軌道相互の比を論証する
第28章 獣帯上の太陽の位置だけでなく離心値1800から太陽の距離も設定し、同じ離心位置に来る火星をかなり多く観測することによって、太陽から火星までの距離と離心位置とがあらゆる所で一致するかどうかを見る この議論より、太陽の離心値がちょうど1800であり、想定の正しかったことが確認される
第29章 離心率を知り太陽と地球の距離を定める方法
第30章 太陽の地球からの距離の一覧表およびその用法
第31章 太陽の離心値を2等分してもティコの提出した太陽の均差は感知できるような混乱をきたさないこと、および4つの均差算出法
第32章 惑星を円運動させる力は源泉から離れるにつれ減衰する
第33章 惑星を動かす力は太陽本体にある
第34章 太陽の本体は一種の磁石であり、自らの占める空間で自転する
第35章 太陽に由来する運動も光のように遮蔽によって太陽に届かないことがあるか
第36章 太陽から発する運動を司る力は宇宙の広さによってどの程度弱められるか
第37章 月を動かし力はどのようにして得られたか
第38章 惑星には運動を司る太陽の共通の力のほかに本来の固有な力が具わっている また個々の惑星の運動は2つの原因から成る
第39章 惑星に内在する力が、エーテル大気中の惑星軌道を一般に信じされているような円にするには、どういう経路と手段で運動を起こすべきか
第40章 物理学的仮説から均差を算出する不完全な方法は ただしこの方法は太陽もしくは地球の理論には十分である

■第4部:物理的原因と独自の見解による第1の不整の真の尺度の探求
第41章 すでに用いた太陽と衝になる位置以外での観測結果から、長軸端、離心値、軌道相互の比を調べる試み ただし誤った条件を伴っている
第42章 火星が遠日点の近くに来るときの初更の位置以外での若干の観測結果と近日点の近くに来るときの若干の観測結果とにより最も確実な遠日点の位置、平均運動の訂正、真の離心値、軌道相互の比を求める
第43章 惑星運動は真円になると認定したときに離心値の2等分三角形の面積から立てられる均差の欠陥
第44章 第1の不整を切り離して無視し、ブラーエとプトレマイオス両大家の説で第2に不整に由来する螺旋の連鎖も理論的に除外しても、エーテルの大気中を通る惑星の道は円ではない
第45章 惑星が円からこういう形で外れる自然の原因について最初の説の検討
第46章 第45章の説によれば惑星の動きを表す線はどのようにして描けるかまたその線はどのようなものになるか
第47章 第45章で得られ第46章で描こうとした卵形面の求積法試論およびそれによって均差を出す方法
第48章 第46章で描いた卵形円筒の数値による測定と分割を介した離心円の均差の算出法
第49章 先の均差算出法の検討と第45章の説による卵形軌道の構成原理にもとづくさらに整備された方法
第50章 離心円の均差を立てるために試みた他の6つの方法
第51章 各半円上で遠日点からの離隔が等しいときの火星と太陽の距離を調べて対比する同時に代用仮説の信頼性を調べる
第52章 惑星の離心円は太陽の周転円の中心あるいは太陽の平均位置の点ではなく太陽本体そのものの周囲に配置される また長軸線は前者の点ではなく太陽本体を通過することを、第51章の観測結果によって証明する
第53章 初更の位置の前後の連絡的な観測結果によって火星と太陽の郷里を調べる別の方法 そのさい同時に離心位置も調べる
第54章 軌道相互の比のいっそう精密な検証
第55章 第51、53章の観測結果と第54章の軌道相互の比から第45章で性急に取りあげた仮説が誤りであること、および平均的な長さを取る所の距離が適切な値より短くなることを証明する
第56章 以前に掲げた観測結果から火星の太陽からの距離はいわば周転円の直径により測り取るべきことを証明する
第57章 どういう自然の原理によって惑星はいわば周転円の直径上で移動するようになるのか
第58章 第56章で証明し発見した秤動も不適切に使用するとどのようにして誤りが入り込み、惑星軌道が豊頬形(buccsus)になるか
第59章 周転円の直径上で秤動する火星の軌道が完全な楕円になること および円の面積が楕円周上にある点にある距離の総和を測る尺度になることの証明
第60章 物理的仮説つまり最も真正な仮説から均差の各部分と真正な距離を立てる方法 これまで代用仮説ではこの両者を同時に行えなかった誤った仮説の論証

■第5部 緯度について
第61章 交点の位置の検証
第62章 軌道面の傾斜の検討
第63章 緯度についての物理学的仮説
第64章 緯度による火星の視差の検証
第65章 太陽と合および衝となるときのそれぞれの側における最大緯度の探求
第66章 脇への最大のずれは必ずしも太陽と衝になるとき起こるわけでない
第67章 交点の位置と火星軌道面の黄道面に対する傾斜から火星の離心値の起点が平均太陽の位置を示す点(あるいはブラーエ説における太陽の周転円の中心)ではなく太陽の中心そのものであることを証明する
第68章 火星軌道面と黄道面の傾斜は現在もプトレマイオスの時代と同一なのか および黄道の緯度と交点の不均一な周回
第69章 プトレマイオスの3つの観測結果の考察 および平均運動と遠日点・交点の動きの訂正
第70章 プトレマイオスの時代の緯度と軌道相互の比とを調べるための、プトレマイオスが用いた残る2つの観測結果の考察

訳注
解説:岸本良彦
索引

著訳者紹介
著者:ヨハネス・ケプラー(Johnannes Kepler、1571-1630):1571年、ドイツのヴァイル・デァ・シュタット生まれ。チュービンゲン大学で学んだ後、グラーツの神学校で数学・天文学を教える。処女作『宇宙の神秘』(1956)で示された数学的才能を評価したティコ・ブラーエに招かれ、プラハで共同研究した成果を本書『新天文学』(1609)に発表。いわゆるケプラーの3法則のうちの楕円軌道の法則(第1法則)、面積速度一定の法則(第2法則)を確立。さらに『宇宙の調和』(1619)で第3法則(惑星の公転周期の2乗と太陽からの平均距離の3乗が比例する)を提示し、近代科学の基礎を築く。またガリレオが発見した木星の「衛星(satelles)」の命名者。星形多角形の発見者、最密充填問題の予想者として科学史に名を残している。1630年、レーゲンスブルクにて客死。

訳者:岸本良彦:1946年生まれ。早稲田大学文学研究科博士課程修了(東洋哲学専攻)。明治薬科大学教授(史学、医療倫理・薬学ラテン語担当)を経て、現在フリー。上代中国思想史およぶ古典ギリシャ語・ラテン語による哲学・医学・天文学関係の著作の翻訳研究に従事。訳書にケプラー『宇宙の神秘』(共訳)・『宇宙の調和』(以上、工作舎)、『ヒポクラテス全集』(共訳、エンタプライズ)、プリニウス『植物誌』「植物編」「植物薬剤編」(共訳、八坂書房)がある。

Ⅲ ケプラーのことば
〔本書に対する序論〕
 今日、数学ことに天文学の書を著す条件は非常に厳しいものとなっている。命題、作図、証明、帰結が真の精緻さを保持するようにしなければ、その書は数学の書とはならないだろうが、厳密なものにすると今度は読むのが非常に面倒になるので、ギリシア語がもっているあの優美さと冠詞が欠けているラテン語で叙述する場合は、特にそうである。しかも今日では適切な読者が非常にすくない。他の人々は一般にそういう本を読むのを嫌がる。数学者の中で、ベルゲのアポロニウスの『円錐曲線論』を読み通す労苦を受忍できる人がどれほどいるだろうか。それでもその題材は、天文学に比べると、図形と線とによってずっと容易に表される類のものなのである。数学者とされる私自身でさえ、自分の書を読み返して、もともと自身が知性から図と本文とに移し替えた証明の意味を図から知性へと再び呼び戻そうとすると、頭脳の力をはたらかせるから疲れる。そこで縷々説明し題材の曖昧さを矯正すると、かえって数学の課題ではくどくどしくなるように思われる。それにまた、冗長な説明にも特有の曖昧さがあり、簡潔な短い表現の場合に劣らない。短いと知性の目をくぐりぬけ、長いとまごつかせる。短ければ光を欠き、長いと輝きがまぶしくなり悩ませる。短いと視覚を動き出さず、長いと全く盲目になる。そのために私は本書に序論を付して、できるだけ読者の理解を助けようと深めたのである。

 私は序論を2部構成にすることにした。
 まず最初に本書の全章の梗概を表として提示する。その表は以下のような形で役立つだろう。すなわち、題材は多くの人々の知識とかけ離れているが、そこに用いられたさまざまな述語や種々の企図は相互に非常に類似しており、全体にも個々の部分にも密接な関係があるので、あらゆる術語と全ての企図を一望のもとに並べると、相互の対比によってそれぞれが明らかになる。例えば、私は自然な原因について論じる古人はこういう原因を知らなかったので、エカント(circulus Aequans : 均一化する円)とか補正点(punctum Aequatorium)を想定せざるをえなかった。だが私がそういうものを想定するのは、第3部と第4部の2か所にすぎない。読者は第3部に至ってこの箇所を読むと、私がすでに個々の惑星の個別的な運動に具わる第1に不整を問題にしているように考えるかもしれない。ところが、この問題は第4部に初めて出てくる。一方、梗概が示すように第3部では、第2の不整として共通に全惑星の運動を変化させるが主として直接に太陽をめぐる理論を支配する、あのエカントの円について論じる。かくして、梗概表はこうして事柄を区別するのに役立つだろう。しかし梗概もまた万人に同じように役立つわけではない。実際、(私が本書の迷宮から戻るための糸として提示する)この表を、ゴルディアスの結び目よりも入り組んでいると思う人もいるだろう。そこでそういう人たちのために、著作全体にたって部分的に散見しているので通読しただけでは容易にきづかないような多くの事柄を、この冒頭の所で手短に掲げておく必要がある。

 また特に自然学を信じると公言し、しかも地球が動くことによって学の基礎が揺らいだために、私というよりもコペルニクスに、さらに究極的には古人にも腹を立てる人々のために、私はこの課題に役立つ主要な章の計画を忠実に明らかにし、彼らとは全く相反する私の結論を支える論証の全ての基本原理を眼前に提示するだろう。実際に、これが忠実に行われたのを見たら、その後で彼らには以下のような選択の自由がある。すなわち、多大な労苦を払って直接に論証を読み深く理解するか、もしくは適用された純理論的な幾何学的方法に関しては数学を仕事とする私を信じるか、である。いずれにせよ彼らは、こうして眼前に掲げられたこれらの論証は崩れることはないと確信するだろう。私もまた、自然学者たちの慣習に従い、必然的な事柄に、蓋然的なことを交えて、その混合から蓋然的な結論を立てた場合、同じ方法を採ることにする。実際、本書ではである天文学に天体の自然学(物理学)を織り交ぜたので、若干の推測を適用しても誰も驚かないはずである。といのも、これが自然学(物理学)、医学、そして目を通じて得られる非常に確実な証拠のほかにさらに公理をも適用する全ての学問の自然なあり方だからである。

 読者は2つの天文学派はあるものとされたい。ひとつは、唱道者のプトレマイオスと、たいていは古人の主張を特徴とする学派であり、もうひとつは、非常に古いけれども最近の人々に帰される学派である。前者は、個々の惑星を特別に扱い、その運動の原因を各惑星のもつ各々の軌道に帰する。後者は惑星を相互に対比し、その運動に認められる共通の特徴を同一の共通な原因から引き出す。後者の学派はさらに2分される。すなわち惑星が留と逆行の現象を引き起こす原因を、コペルニクスは遥か古代のアリスタルコスとともに、われわれの住居たる地球の移動によるとする。私も彼らの説を支持する。一方、ティコ・ブラーエはそういう現象の原因を太陽に帰する。彼の説によると、5つの惑星全ての離心円は(確かに物体の形は取らないが量をもっている)ある種の結び目のようなものによって太陽の近傍に結合されており、さらにいわばこの結び目が太陽の本体といっしょに不動の地球の周りを回るという。

 宇宙に関するこれら3つの見解のそれぞれにはさらにその他の若干の特徴も加わり、それによってもこれらの学派は区別されるが、しかしそういう特殊な点は個別的に非常に簡単な論拠によって訂正し変更することができるので、これら3つの主要な見解は(天文学ないし天の外見に関するかぎり)実際には論理的に完全に等値で同じものになる。

 本書における私の企図は、特に、3つのすべての形における(ことに火星の運動についての)天文学の教説を訂正して、天文表から計算される結果が天体の実際の現象と対応するようにすることである。それはこれまでのところ、十分確実に行えなかった。実際、1608年8月には火星は『ピロイセン表』から算出される位置を4°より小さい分だけ越えている。また1593年8月と9月にはこのずれは5°より少し少ないが、私の新たな計算では、ずれは完全に除去される。

 だが、この企図を履行してうまく達成しつつある間も、アリストテレスの形而上学あるいはむしろ天の自然学に踏み込み、運動の自然な原因を探求する。結局こういう考察から、(ほんのわずかな点を変更したが)宇宙に関するコペルニクスの見解のみが真実で他の2つは誤っていると証明できること等々のかなりの明確な論拠が生じてくる。

 しかし、あらゆる事柄が相互に密接に結びつき交錯し混合しているので、多くの道を試してみることになった。そのあるものは、改良された天文学的計算法に到達すべく古人を手本としながら整備した道であったが、本書で私が確定する運動の物理的原因に直接に立脚する道以外に首尾よく目的に至るものは何ひとつとしてなかった。運動の物理的原因を見つけだすための第1歩は、コペルニクスとブラーエが考えていたことに反して、あの〔各惑星が描く〕離心円の交差する所が(太陽の近くにある)別の場所ではなく、まさに太陽本体の中心そのものにくるのを証明することであった。私のこの修正をプトレマイオス説に導入すれば、それによって、プトレマイオスが探求すべき課題は、周転円がその点を巡って等速運動する周転円の中心の運動ではなくて、直径に比例して当の点と地球との問題と同じになり、しかも同一線上ないし平行線上にある点の運動ということになる。

 だが、ブラーエの支持者なら、古人から受容した説に立脚して離心円の交差する所を太陽ではなく太陽の近くに置いても、そこから天体の動きに対応するような計算ができるから、私のことを軽率な改革者と非難するかもしれない。またプトレマイオスなら、ブラーエの得た数値をプトレマイオス説の形に置換したとき、その説が観測結果を保持し再現するのであれば、周転円がその周囲を等速で進む周転円の中心によって描かれるあの円以外の離心円と考えられない、と言うかもしれない。それ故、新たな方法を用いながら彼らがすでに古来の方法で行ったことすら成し遂げられないことのないように、私は何度も留意しなければならなかった。そこでこういう異論に対抗するために、本書の第1部で、この新しい方法によっても、あの古人の方法で成し遂げられたのと全く同じことができる、あるいは実際に成し遂げられることを証明した。

 第2部では、直接問題に取り掛かって、古人が古来の方法で平均太陽と衝になる火星の位置を表すのに劣らないか、あるいはむしろそれよりずっと正確に、私の方法によって、視太陽と衝になる火星の位置を著した。

 その一方で、第2部全体としては、(観測結果にもとづく幾何学的な証明に関するかぎり)古人と私のどちらの方法がより正しいのか、決めずに残しておいた。私も古人もともに若干の観測結果(実際、これがわれわれの構想のあらかじめ設定された規準である)に合うものが、得られたからである。だが、私の方法は物理的原因に合致しているが彼らの古来の方法はそうでなうことは、部分的に第1部の特に第6章で示しておいた。

 しかし第4部の第52章に至って初めて先の観測結果に劣らず確実で、古人の古来の方法では合うものが得られなかったが、私の方法では非常にみごとに会うものが得られた若干の別の観測結果によって、火星の離心円は太陽本体の中心がその円の長軸線上にくるような位置を取り、その近くの別の点にはないこと、したがってまた全ての〔惑星の描く〕離心円は太陽そのもので交差することを、きわめて完璧に論証した。

 さらにこれを経度のみならず緯度についても確定するために、第5部では第67章でやはり同じことを観測された緯度から論証した。これは私の著書では以前に論証できなかったことである。というのも、この天文学上の論証には惑星運動における第2の不整の原因についての精確な知識が関与してくるからである。これについては第3部において同様の方法で、先人に知られていなかったこと、等々の新しい事柄をあらかじめ発見しなければならなかった。

 実際、第3部では、平均太陽の運動を用いる古来の説明の仕方と、視太陽の運動を用いる私の新たなもののどちらが妥当であろうと、どちらにも、第1の不整の原因の一部があらゆる惑星に共通に関わっている第2の不整と混じり合っていることを論証した。そこでプトレマイオスに対しては、彼の説く周転円には周囲ではその動きが等しくなる中心としてのあの点がないことを証明した。同様にしてコペルニクスに対しては、地球が太陽の周囲を動いて描く円には、周囲でその動きが規則正し等しくなる中心としての点がないことを証明した。同じくティコ・ブラーエに対しては、上述の〔惑星の描く〕離心円の交差する点ないし上述の結び目が一周して描く円には、周囲でその動きが規則正しく等しくなる中心としての点がないことを証明した。実際、ブラーエに譲歩して離心円の交差する点が太陽の中心と異なるとしたら、大きさと周期とにおいて完全に太陽の公転円と等しくなる、あの交差する点の回転円が離心円であり、太陽の離心公転円が巨蟹宮に寄るのに、その離心円のほうは〔巨蟹宮とは反対側にある〕磨羯宮に寄る、と言わざるをえなくなる。同じことはプトレマイオスの周転円にも起こる。

 ところが、〔各惑星の〕離心円の交差する点もしくは結び目を直接に太陽本体の中心に移すと、上述の結び目と太陽の各々が共通して描く公転円は、確かに地球から離心している巨蟹宮に寄るが、離心値は、太陽の動きがその周囲で規則正しく等しくなる点が取る離心値の半分にすぎない。

 またコペルニクスの場合も、地球の離心円は確かに磨羯宮から居蟹宮へと延びる周転円の直径には3点あって、外側にくる2点は各々の真ん中の点から等間隔で離れており、外側の点相互の間隔と周転円の比は、太陽の離心値全体と太陽の描く円の直径との比と等しい。これら3つの点の中で、真ん中の点はその周転円の中心で、真ん中から向かって巨蟹宮の方にくる点は、その周囲で周転円の動きが等しくなるような点〔エカント〕であり、最後に真ん中から向かって磨羯宮の方にくる点は、もしわれわれが太陽に平均運動の代わりに視太陽の運動にしたがえば(そういう点によって描かれた)〔導円となる〕離心円を見つけだせるものであって、あたかもそれらの点で周転円が離心円に固定されているようである。こうして、各惑星の周転円には太陽を中心とする理論がその運動や軌道のあらゆる特性とともに全てすっかり具わっている。

 かくして以上のようなことを確実な方法で論証すると、すでに物理的原因に向かう先の一歩を確保し、さらにまたそういう原因への新たな一歩を築いたのである。それはコペルニクスとブラーエの説では非常にはっきりするが、プトレマイオスの説ではより曖昧でともかく蓋然的である。

 実際、動くのが地球であろうと太陽であろうと、動く天体が不等な仕方で動くことが確実に証明された。すなわち、動く天体は、静止している天体からいっそう遠く離れているときにはゆっくりと動き、静止している天体のすぐ側に接近するときには速く動くのである。

 そこで今や直ちに物理学における3説の相違が明らかになる。確かにそれは推測によるものであるが、その確かさにおいては、人体各部の機能に関する医学者の推測にも、けっして引けを取らない。

 最初のプトレマイオス説は確実に斥けられる。実際、(完全に相互に類似しており、むしろ実際には等しいものですらある)太陽論が惑星の数と同じだけある、などと誰が信じようか。ブラーエ説では同じ役割を果たすには太陽論はただひとつで十分とわかるからである。しかも、自然はできるだけ最小のものを用いるというのは、自然学において最も広く認められた公理である。

 さらに天体物理学においては、コペルニクス説のほうがブラーエ説より優位に立つことが、多くの事柄によって証明される。

 まず第1に、確かにブラーエはあの5つの太陽論〔つまり周転円〕を各惑星論から除去してそれぞれの離心円の中心へと移し隠し、ひとつに融合したが、それらの理論によって実現していた事態そのものは宇宙に残された。すなわち、プトレマイオス説と同様、ブラーエ説でも、各惑星は自身に固有な動きのほかに、実際に太陽の動きにつれても動くので、両者の動きが混合した結果、軌道が螺旋状になる。そうなるのは、どんな固体の天球もないからだということを、ブラーエはきわめて堅固に論証した。一方コペルニクスは、5惑星をこの外来の非固有な運動から完全に分離し、そういうふうに誤る原因を見る側の情況から導き出した。ブラーエ説でも先のプトレマイオス説と同様に、はやり運動の数がいたずらに増えているのである。

 第2に、天球が全く存在しないとすれば、知性と〔惑星運動を司る〕主動霊は、入り混じった2つの運藤によってひとつ惑星を運ぶために、非常に多くの事柄に注意を向けなければなくなるから、それらの作用する条件が、非常にむずかしくなる。すくなくとも同時に、2つの運動のそれぞれの始原、中心、周期に注意を向けるよう強いられるからである。ところが地球のほうが動くのであれば、以上のたいていの事柄は霊的な性能ではなく物体的な性能、おそらく、磁石の性能によって実現できることが証明される。だが、こういうことより一般的なことで、特にわれわれが立脚している論証から生じてくるのは、それとは別の帰結である。

 すなわち、地球が動くのであれば、地球は、太陽に近づいたり離れたりするのに応じて、速くなったり遅くなったりする、という法則を受容されることが証明される。ところが、その他の惑星にも同じことが起こり、やはり太陽に近づいたり離れたりするにつれて動きが急に立てられたり引き止められたりする。こういう事態の証明はこれまでのところ全く幾何学的である。

 この非常に確実な証明から物理学的推測によって結論されるのは、5惑星の運動の源泉が太陽そのものにあるということである。したがって、他の5惑星の運動の源泉がある所つまり同じく太陽に地球の運動の源泉があるということは、きわめて真実らしい。したがって、この運動の真実らしい原因が明らかである以上、地球が動くことはやはり真実らしい。

 対照的に、太陽が宇宙の中心にある自らの位置に止まることは、他の理由にもよるが、少なくとも5惑星の運動の源泉が太陽にあることによってとりわけ真実らしくなる。実際、コペルニクスにせよブラーエに従うにせよ、両者の説でも5惑星の運動の源泉もやはり太陽にある。当然、あらゆる運動の源泉は動くよりのそのまま自らの位置に止まるほうが、より真実らしい。

 だがブラーエに従って太陽が動くと主張すると、まず、太陽は地球から遠く離れると進行が遅くなり接近すると速くなるという証明事項がそのまま残る。しかもそれがたんに視覚によってのみならず事実そのものにおいてやはり妥当する。実際これが、私が必要な証明によって太陽論に導入したエカントの円の果たす作用である。

 そこで、先にしばしば用いた物理学的推測によれば、この非常に確実な結論に基づいて、太陽は(おおまかに言えば)5つの離心円という非常に大きな重荷全体といっしょに地球によって動かされる、つまり、太陽と太陽に結びつけられた5つの離心円の運動の源泉は地球にある、という自然哲学的定理を立てなければならなかっただろう。

 ところが、太陽と地球の本体をよく見て、各々について、どちらの本体が他方の運動の源泉として相応しいのか、他の惑星を動かす太陽は地球を動かすのか。それとも地球のほうが、他の惑星を動かす、地球より何倍も大きな太陽を動かすのか、判断を下すべきである。そこで、太陽が地球によって動かされると認めるよう強いられないようにしよう。それは不条理だからである。むしろ太陽は不動で地球のほうが動いていることを認めるべきである。

 365日の公転周期についてはどう言うべきであろうか。これは火星の公転周期687日と金星の公転周期225日の中間の大きさである。そうすると、この365日かかる周回路は、その位置もやはり太陽を巡る火星と金星の周回路の中間にあり、同じようにその周回路自体も大陽の周囲にあるので、したがって、この周回路は太陽を巡る地球のものであって、地球をめぐる太陽のものではない、ということを事物の自然本性が大声で叫んでいるのではなかろうか。しかし、これはむしろ私の著書『宇宙の神秘』に固有な課題であり、ここは本書で考究する課題以外の論拠に言及しない。

 そこで太陽が宇宙の中心にあることによって、その星としての威厳ないし光から直接に導き出される、他の形而上学的論拠については、上述の私の著書やコペルニクスの説を参照されたい。アリストテレス『天体論』第2巻の太陽を火という名称で把握したピュタゴラス派を扱った箇所にも若干の議論が見える。『天文学の光学的部分』第1章7頁で触れておいたものもある。また同書第6章の特に225頁も参照されたい。

 一方、地球は宇宙の真ん中以外の所を公転するのが相応しいことについては、上述の書(『天文学の光学的部分』)第9章322頁にその形而上学的な論拠を見出せよう。

 ただし、人の心を占有してこれらの論拠を曇らせる若干の異論に反対して、ここにいくらかの救済策を示すときは、読者の厚情を期待する。それはやはり本書の特に第3部と4部で惑星運動の物理学的原因について論じていることと、全く無関係なわけではないからである。

 多くの人々が、地球は霊的あるいはむしろ磁気的な運動によって動くとは信じられないようにしているのは、重さをもつ物の運動である。彼らは以下のような命題を考量してみるとよい。

 数学上の点は、宇宙の中心であろうとなかろうと、動力因としても目的因としても重さをもつ物を動かして自分の方に引き寄せることはできない。こういう力が物体ではなくたんなる関係の結果出てきたとしか理解でいない点に具わっているというなら、自然学者がそれを証明すべきである。

 石の形相が点を含む物体を無視して物体の石を動かすことにより、数学上の点ないしは宇宙の真ん中を目指すこともありえない。自然の事物が実在しないものに対して感応するというなら、自然学者がそれを証明すべきである。

 また重さをもつ物は、球状の宇宙の外周を逃れるから、宇宙の中心へ向かうものではない。実際、重さをもつ物と宇宙の中心との距離の比は、その物と宇宙の外周からの距離と比べたら目につかないほど小さくて何の作用も及ぼさない。それに、何が重さをもつ物と外周とのこういう憎しみ合いの原因となるのだろうか。周囲の至る所に位置する敵からこれほど入念に逃れることができるようになるには、重さをもつ物がどのくらいの力、どのくらいの知恵を具える必要があるだろうか。または、これほど細々とした物に至るまで敵を追跡するためには、宇宙の外周の巧妙さはどれほどでなければならないのであろうか。

 しかしまた重さをもつ物が、渦潮の中にある物のように、第1動体〔最高点〕の急速な旋回運動によって中心へとおいやられるのでもない。そういう運動があると想定しても、その運動が下方のこの世界にまで途切れずに及ぶことはないからである。さもなければ、われわれが直接にその運動を感じ、われわればかりでなく地球そのものまでもいっしょにその運動に捉えられ運び去られるだろう。あるいはむしろまずわれわれが運び去られ、地球がそれに続くだろう。以上の全てが、異論を立てた場合の不条理である。したがって明らかに、重さについての通俗的な所説は誤っている。

 そこで、重さについての真の学説は以下の公理に依拠する。 あらゆる物体は、物体であるかぎり、どこであろうと類縁の物体の作用圏外に単独で置かれると、その場所に静止する本性をもつ。重力とは、類縁の物体の結合もしくは合体させとうとしてそれらの物体相互の間にはたらく、物どうしの相互作用である(磁力のはたらきもこういう部類に入る)。だから、石が地球を目指すよりもはるかに強く地球が石を引き付ける。(特に地球を宇宙の中心に置く場合)重さをもつ物が宇宙の中心に運ばれるのは、それが宇宙の中心だからではなく、類縁の球状物体である地球の中心だからである。したがって地球をどこに置こうと、またその霊的性能によって地球がどこに移動しようと、重さをもつ物はいつも地球へと運ばれる。

 もし地球は球状でなかったら、重さをもつ物はどこでも一直線に地球の中心へと運ばれるわけではなく、むしろさまざまな側からがさまざまに異なる点へと運ばれただろう。

 2つの石を、第3の類縁の物体の作用圏外にある宇宙のどこかに互いに接近させて置けば、その2つの石は、2つの磁力をもつ物体と同じように両者の中間の場所で合体するだろう。その場合、一方の石は、質量(moles)を相互に比べたとき他方の石の質量に相当する分の距離だけ他方の石に近づく。月と地球がいずれも霊的な力あるいは何かそれに匹敵する別の力によって自らの周回路に保持されなければ、地球は月との距離の54分の1だけ月方に上昇し、月はその距離の約54分の53だけ地球の方に下降して、そこで両者が合体するであろう。ただしこの場合、両者を構成する物質が同一の密度をもつと仮定する。

 地球が地上にある水を自分の方に引き付けるのを止めてしまったら、海水は全て高く昇って月の本体に流れ込むだろう。

 月に具わる引力の作用圏は地球にまで及ぶ。そして月はその位置の頂点に来る合の状態になると、熱帯に海水を引き寄せる。これは閉ざされた海では感知されないが、大洋の澪が非常に広く海水に広範な干潮の自由がある所では感知される。こういうことが起こると、傍らの温暖な地帯や地方の海岸は海水が引いてあらわになり、熱帯のどこでも、近接する太洋のために湾の水がかなり引いたりする。そこで、大洋の広い澪で水位が上昇すると狭い湾では、浅く閉ざされすぎてさえいなければ、月が現れると水が月から逃れるように見えたりする。多量の水が湾外に引いてしまって水位が低下するからである。

 ところが、月がすばやく天頂を通過しても水のほうはそれほど速く付いてくることができないので、熱帯の大洋の潮流は反対側の海岸にぶつかって方向を転ずるまで、西方に向かうことになる。だが月が遠ざかると、これまで引き寄せていた引力がなくなってしまうので、熱帯に向かう途中の水の集合ないし大軍は四散する。そこで勢いがついて、水瓶の中の水のように戻って元の海岸に襲いかかり氾濫することになる。月がないために、その勢いがまた、別の新たな勢いを生み出す。これは、月が戻り、この勢いを制御し抑制し自分の動くとともにひきまわすようになるまで続く。そこで、大洋から等しい力にあって広がる海岸は全て同じ時間に潮が満ち、遠く離れた海岸はより遅れて満潮になるというように、大洋からの距離に応じて順次満潮になる。

 ついでに触れると、ここから砂の堆積である流砂が蓄積される。また(メキシコ湾に面する所のように)干潮による渦が多くできる湾岸部では、無数の島々が生まれたり浸食されて消えたりする。インドの柔らかく肥沃で脆い大地も、この潮流と果てしない洪水によって砕かれ穿たれたように思われる。そのさい地球の一般的な運動もこれを助長する。というのも、かつてインドの大地は、黄金半島から東と南に向かって途切れることなく続いていたと伝えられていたからである。そして今は、さらに後の中国とアメリカの間にあった大洋が流れ込んできたが、海面が低下したため、モルッカ諸島や近隣の島々の海岸が高い所まで広がっていることが、この事実の信憑性を実証する。

 さらにタプロバネも(実際に、その地方のある場所がやはりかつて水没したことがカルカッタの人々の話から明らかであるように)海峡が決壊したためにシナ海がインド洋に流れ込んだとき水没したように思われる。そこで今日では、モルジブという名のついた無数の島嶼の形を呈している山々の頂だった所を除けば、タプロバネは全く現存しない。実際、かつてタプロバネがインダス川の河口とコリウム岬の反対側から南の方にかけて位置していたことは、地理誌家たちやディオドルス・シクルスの書から容易に証明される。もっとも教会でも、アラビアとタプロバネがひとりの司教を共有しており、タプロバネがアラビアに隣接していて、しかも東に500ドイツマイル(あるいは当時通例の大まかな表現によれば、1000マイル以上〔ローマの1マイルは約1.472km〕と離れていなかったことが報告されている。一方、今日タプロバネと考えられているスマトラ島はかつてインドを地峡によってマラッカの町とつなげていた黄金半島だったと思う。今日われわれが黄金半島だと思っている半島はイタリアと同様に半島とは言えないと思われるからである。

 こういうことは他の個所の課題であったけれども、潮の干潮とそれを介している月の引力のことをよく納得してもらうよう、関連づけていっしょに説明したかったのである。

 月の引力が地球にまで及ぶのであれば、地球の引力のほうは月やさらにはそれよりはるかに高い所まで及び、したがって、どんな仕方であろうと地球上の素材から成り高所に運ばれる物は何ひとつとしてこの引力の非常に強い拘束力を決して逃れられない、ということになる。

 しかも、物体的素材から成る物で絶対的に軽い物は何ひとつとしてない。その本性によってか偶有する熱のためにより稀薄な物が、相対的により軽いだけである。なお、私が稀薄というのは、多孔質でひびが入って多くの空洞ができている物だけでなく、一般的に、より重い物が占めるのと同一の空間的な大きさをもちながら、より少量の物体的素材しか閉じ込めていない物〔いわゆる密度の低い物〕をも指す。

 軽い物の運動もその定義に従う。すなわち、軽い物が上方に運ばれていくさい、それが宇宙の表層部にまで逃れていくと考えたり、地球によって引き寄せられることがないと考えたりしてはならない。軽い物は重い物より引き寄せられる力が弱く、重い物によって押しのけられるので、軽い物も地球により、しかるべき場所に静止して保持されることになる。

 上述のように地球の引力は上方のずっと遠くにまで及ぶが、地球の直径と比べても知覚されるほど大きく離れた位置に石があるとしたら、そういう石は、地球が動いても完全にその動きに従属せず、動きに抵抗する石自体の力と地球の引力が入り混じって、地球の捕捉からいくらかは離脱する、というのは真実である。それは、激しい運動が射出物をいくらかは地球の捕捉から切り離して、東方に向かって射出された物はさらにその先へと進み、西方に射出されると置き去りにされ、こうして射出物が強制的な力により射出された元の場所を捨てることになり、地球の捕捉も、その激しい運動が持続するかぎり、この激しい力を完全には妨げることができないのと同様である。

 しかし、どんな射出物も地球の直径の10万分の1とは地表から離れておらず、地球上の素材を含有することの最も少ない雲や煙でさえも地球の半径の1000分の1も上昇することはできないので、雲も煙も、引力に逆らって垂直に射出される物も、静止させようとする自然の傾向すらも、言ってみれば何ひとつとしてこの地球の捕捉力を阻止することができない。当然のことながら、この引力に逆らう力は地球の捕捉力とは全く比較にならないからである。そこで、上方に垂直に射出された物は、地球の動きに全く妨げられることなく、元の場所に落ちてくる。地球が引っ張り上げられることはありえず、むしろ地球のほうが空中を飛んでいる物をともに連れていくので、飛んでいる物体もそれが地球に接している場合と同様に磁気的な力で地球につながれているのである。

 以上の命題を理解して綿密に検討すれば、地球の動きの中で不条理なことや誤って想像された物理的に不可能なことが消え去るだけでなく、どんな仕方で考え出された自然学上の異論に対しても、どう答えるべきか明らかになるであろう。

 ただしコペルニクスは、地球と地球上の万物はたとえ大地から引き離されても、同一の主動霊によって導かれるとするほうがよいと見ている。この主動霊が自らの身体である地球を回転させながら、自身の身体から引き離された小部分もいっしょに回転させ、こうして強制的運動により、全ての小部分に行き渡ったこの主題霊に力が生じているというのである。それは同じように強制的運動によって物体的性能に力が生じる(この力をわれわれは重力もしくは磁力と言っている)と私が述べているのと同様である。

 けれども、大地から離れた物にとってはそういう物体的性能だけで十分であり、あの〔自ら自身を動かすことのできる〕霊的性能は余分である。

 また多くの人々は、この地球の運動が自身と大地に生まれる者にとって極端に速すぎる危険を恐れるが、それには全く理由がない。このことについては私の著書『蛇使い座の足元に現れた新星について』の第15章と16章の82頁および84頁を参照。

 さらに同じ個所には、地球が満帆の状態で広大さが異様だという異論がコペルニクスに対してよくなされる。ところが、その広大さは均衡の取れたものであり、地球をそのままの位置に全く動かず静止するようにしたら、逆にむしろ転の速さのほうが均衡を欠く異様なものとなるだろう、ということが証明される。

 しかしそれよりもずっと多くの人々は、敬虔なために、地球が動き太陽が静止すると主張したら聖書の中で語る聖霊に虚言の咎を負わせるのではないかと恐れて、コペルニクスに同意する気にならないようである。

 だが、そういう人々は以下のことを考量すべきである。すなわち、われわれは非常に多くの重要な事柄を視覚によって学んでいるので、視覚からことばを切り離すことができない。そこで、たとえわれわれが事柄それ自体は別のあり方をしていると確実に知っていても視覚に従って語る、ということが日常に頻繁に起こる。

 その一例はウェルギリウスの次の詩句にある。
「われらは港より船出し、陸と町とが遠ざかる」。
同じく、われわれは谷間の狭い所から抜け出ると、われわれの眼前に広々した平原が広がると言う。同様にして、キリストはペテロに、まるで海のほうが岸辺より高いかのように、「沖の高みへと漕ぎ出よ」と言う。目にはそう見えるからである。光学者はこういう錯覚の原因を論証するが、キリストは、目の錯覚から生じたにせよ、一般に非常によく受け入れられてきたこの言い方を用いる。

 同じく、われわれは星々の出没つまり上昇と下降を考え出す。それなのに一方では、われわれが太陽は上昇すると言っているのと同じ時間に、別の人々は太陽が下降すると言う。『天文学の光学的部分』第10章327頁参照。

 また同じく、今でも、プトレマイオスの信奉者は、惑星が同じ恒星の下に続けて何日間か掛かっているように見えるとき、その場合には実際は惑星が真っ直ぐに下方へ、もしくは地球から上方へ、動くものと考えていても、惑星が静止する〔留の状態にある〕と言う。同様に、全ての著述家は実際には太陽が静止しといることを否定しても、至と言う。

 同じく、地球が磨羯宮もしくは宝瓶宮に入ることを示したい場合でも、太陽が巨蟹宮もしくは獅子宮に入ると言うが、そういう言い方を避けるほど、コペルニクスに忠実に従うような人は誰ひとりとしていないだろう。同様の例は他にもある。

 さらに聖書も、(人間に教えることが趣旨ではない)一般にあふれた事柄については、人間にわかるように、人間に従い人間の慣習によって語る。なにかより崇高で神的なことを吹きこむために人間の世界で周知の事実を用いるのである。

 だから人が知っていようと知るまいと、本当のことが感覚と合致しないときには、聖書もまた人間の感覚に従って語っても何ら不思議ではないだろう。実際、「詩編」19に詩的隠喩のあることを知らない者がいるだろうか。そこでは、太陽の比喩的表現のもとに福音の歩みと、さらにはわれわれのために主なるキリスト教が敢えて取られたこの世界への旅路を歌いつぐさい、花婿が婚姻の寝床から出てくるように、勇士のように元気はつらつと道を競い走るために、太陽が地平の幕屋から出てくる、と言われている。ウェルギリウスはそれを「暁はティトヌスにサフラン色の寝床を残して離れ」とまねている。ヘブライ人の詩作のほうが先行していたからである。

 詩編作者は(たとえ目にはそう見えても)太陽が幕屋から出るように、地平から出るわけではないことを知っていた。だが、太陽は動くとは思っていた。目にはそう見えるからである。けれども、どちらの場合も目にそう見えるから、それぞれそう言うのであって、いずれの場合も虚言を弄していると考えるべきでない。実際、眼のとらえ方に固有の真実というものがあって、それこそ詩編作者のより密かなつまり福音とさらには神の子の歩みを描くのに相応しいのである。ヨシュアは、太陽と月がそこに向かって動くはずの谷も加えている。ヨルダン川のあたりではヨシュア自身によってそう見えたからである。それぞれの作者は自由に自身の意図を著せる。ダヴィデは(そして彼とともに「シラの知恵」も)、眼前に開示されたと神の偉大さや目に見えるものを通じて明らかになった神秘的な意味を表現し、ヨシュアは、太陽が他の人々にとってはその間大地の下に止まることになるにもかかわらず、自らの視覚にとって太陽が中空に丸一日止まるように願った。

 ところが無分別な人々は、太陽の静止がつまりは地球の静止だということば上の矛盾だけに注目し、この矛盾が光学と天文学の範囲内だけで生じたので、それを越えて人間の慣例までは立ち入らないことを、考量しない。ヨシェアは自分から見て山々が太陽の光を奪わないよう祈願しただけだということも見ようをしない。ヨシェアはこの祈願を視覚に適したことばで明らかにした。その時に、天文学や目の錯覚について考えるのは全く不適切だったからである。実際、太陽が本当はアヤロンの谷に向かって動くのではなくて、ただ見かけ上にすぎないと忠告する人がいれば、ヨシュアは、理由はどうあれ自分にとって日が延びるよう求めているのだ、と叫びはしなかっただろうか。したがって、太陽がいつでも静止し地球のほうが動くことについて、彼に論争をもちかける人がいれば、ヨシュアはやはり同じように言っただろう。

 神はヨシュアのことばから彼が何を要求しているのかを容易に理解し、地球の動きを止めて頼みを聞き入れた。こうしてヨシュアにとっては太陽が静止しているように見えた。実際、ヨシュアの嘆願の要点は、ともかく本当のところはどうであろうと自分にとってはそう見えるように、という点につきるものだった。こう見えるのは何の役にも立たない空しいことではなく、望ましい効果と結びついたことだったからである。

 『天文学の光学的部分』第10章を参照されたい。そうすればあらゆる人々にとっても太陽のほうが動き、地球が動かないように見える論拠が見出されよう。つまりそれは、太陽が小さく見え、地球のほうが大きく見えるからであり、また太陽の動きが見かけ上遅いことから、視覚だけではなく、ある時間が経過した後の山々に接近する距離の変化から推論によってのみ、把握されるためである。したがって、理性があらかじめ教示を受けていないと、地球は天の丸天井をもつ大きな家のようなもので、この不動の家の中で、見かけのこれほどちいさな太陽が、大気中をさまよう鳥のように、ある領域から別の領域へと通過してとしか想像できない。

 しかもあらゆる人々のこういう想像をもとにして聖書の第1行が生まれた。すなわちモーセは、初めに神は天地を造ったという。というのも、視覚にとってはこの2つの部分がより強い印象をもって現れるからである。モーセは人間に向かって、人の見るこの宇宙の建造物全体、人はそこに身を置き、またそれによって覆われている、上方は光に満ち下方は黒々とした非常に広範囲にわたって広がったこの建造物は、神が造ったと言わんとするようである。

 また他の場所では人間に、上では天の高さを、下では地の深さを調べることができようか、と尋ねている。普通の人間にとっては天も地もともに等しく無限の空間に広がっていくように見えるからである。けれども、それをまともに聞き入れて、天と比べた地球の取るに足らない小ささを示したり天文学的な間隔を調べたりするさいの天文学者の努力を、このことばによって規制するような人は、現れなかった。こいうことばが計算によって得られる大きさではなくて、現にそう見える大きさについて語るからで、確かにそれを測ることは、地上に張りついて自由に流動する大気を吸い込む肉体をもつ人間には、全く不可能である。「ヨブ記」第38章全体を読み、天文学や物理学で論及されている事柄と対比されたい。

 「詩編」24から大地は川の上に整えられたということばを引用して、大地が川の上を漂っている、という[こと]を聞くのもばかげた新たな詭弁を立てるような人に対しては、詩編作者がその個所で示そうとしているのは、人間が以前から知っていて日々経験していること、つまり(水からわけられた後で高みに引き上げられた)大地を大河が分断した大海が取り囲んでいるということにほかならないのだから、聖書を神のお使いとして、戯れに自然学の講義に引き込まれないように、と言ってやるのが正しいのではなかろうか。もちろん、他の個所で、イスラエルの人々がバビロンの川の上に座ったと歌っている場合でも、言い回しは同じで、川の上というのは川の側すなわちエウフラテスとチギリスの岸辺である。

 これを快く受け入れるのであれば、大地の動くことによって反対するとされてきた他の個所でも、われわれが同じように自然学から離れて聖書の意図へ目を転じることも受け入れない理由はなかろう。

(伝道者は言う)世は去り、世は来る、だが地は永遠に止まる。ここでソロモンは、天文学者と議論しているのだろうか。そうではない。彼は人々に彼ら自身の移ろいやすさを思い起こさせる。人の種族の住居たる地はいつも同じままに止まり、日の動きは絶えず元に戻り、風はめぐりめぐって同じ場所に帰り、川は源泉から海へと流れ込んで海から源泉へと戻る。結局、人間も、今の世代が死んで別の世代が生まれてくるが、それでも人生の物語は常に同じであり、日の下に新しいものは何ひとつとしてない。

 ここでは自然学的教説は何も聞けない。訓戒は道徳的で、自ら明らかになり全ての人々の目に観察されても考量はあまりされない事柄に属する。だから、ソロモンはそれを教え込む。実際、地がいつも同じであることを知らない者がいるだろう。日は毎日東から昇り、川が絶えず海に流れ下り、風の周期的な変化がまた元に戻り、人間がある世代から別の世代へと相継いでいくことを見ない者がいるだろうか。だが登場人物が変わってもいつも同じ人生の物語が綴られ、人間のなす事柄には何も新しいものがないことを、わざわざ考量する者などいない。そこでソロモンは、全ての人々が見ていることに言及して、たいていの人がついうっかりなおざりにしていることを思い起こさせる。

 ところが「詩編」104は、全体が自然学的な事柄に関するものなので、一般に自然学的議論が含まれていると考えられている。しかもその個所では、神が自らの不動の基礎の上に地を据え、それが世から世へと永遠に揺らぐことのないようにする、と言われている。だが、詩編作者は物理的な原因の考察からは遥かに離れた立場に立っている。彼はすっかり万物を作りあげた神の偉大さの内容にやすらい、創造主たる神のために讃歌を作り、その中で、自分の目に明らかになるままに順序よく世界を見回しているからである。

 以上のことを考え合わせると、これは「創世記」の6日間の天地創造に対する注解なのである。すなわち、そこでは最初の3日間が各領域の分離に当てられており、1日目は光を外の闇から、2日目は空間を間に置いて水を水から、3日目は大地を海から分離した。この時に大地は草木で覆われた。4日目は天を、5日目は海と大気中を、6日目は大地を満たした。同じようにこの「詩編」も6日の御業になぞらえて6つの部分に分けられている。すなわち、第2句では、最初の被造物であり第1日の御業たる光を創造主に衣装としてまとわせる。

 第2部は第3句から始まり、天上の水、天の拡大、そして詩編作者が天上の水に数を入れているらしい大気現象つまり雲や風や雷を伴う旋風や雷光を扱う。

 第3部は第6句から始まり、ここで考察される事物の基礎としての大地をほめたたえる。実際、作者はいっさいを大地と大地に住むあらゆる生き物に向ける。目で見て判断すれば、天と地こそ宇宙の2つの主要な部分だからである。そこでここでは、地が何の上に据えられているのか誰にもわからないけれども、大地がすでにこれほど長い世々にわたって沈み込みもせず裂けもせず崩れもしないことに心を向ける。

 この作者は人々が知らないことを教えようとするわけではなく、むしろ人々がなおざりにしていること、すなわち、かくも巨大で堅固で揺るぎない創造の御業における神の偉大さと力強さとを人の心に喚起しようとする。地が星々の間を通って運行していることを教えても天文学者は別に詩編作者がここで言っていることを斥けるわけではないし、人々の経験を覆しわけでもない。建築家たる神の御業としての大地は、われわれの建造物がよく老朽化して倒壊するように崩れ去りもせず斜めに傾きもせず、生き物の住処に混乱をきたすこともなく、山々と沿岸部は風と波浪の勢いに対して揺るがずに初めからそうであったままであり続けるのは、やはり本当だからである。

 さらに詩編作者は、波立つ水が大陸から分離していく非常にみごとな素描を追加し、泉を加え、また泉や岩山が鳥や四足獣に提供するさまざまな便宜を挙げて、その素描を修飾する。またモーセが3日目の御業の中で言及した地表の飾りつけも看過しない。しかし作者はそれを独自の理由からもっと高い所つまり天にある潤いに求める。そしてその飾り付けによって、人間の暮らしと楽しみのためさらに獣の住処のためにもたらされる便宜を挙げて、それを飾り立てる。

 第4部は第20句からなり、4日目の御業つまり太陽と月、特に時期の区別によって動物や人間にもたらされる便宜を、ほめたたえる。これが今は作者自身にとっての主題なのであり、ここで作者自身が天文学者として振る舞っていないのは明らかとなる。

 さもなければ5惑星に対する言及を省略しなかっただろう。5惑星の運行より感嘆すべきもの、みごとなもの、また事物のわかる人々にあってはそれ以上に創造主の英知を明白に証言するのは、何ひとつとしてないからである。

 第5部は第26句からなり、5日目の御業に関することであり、海を魚で満たした船舶航行で修飾する。

 第6部はかなり曖昧な形で第28句によって連結され、6日目の被造物である地上に住まう生き物を扱う。そして最後に一般的な形で、万物を支え新たな物を創造する神の自愛を添える。したがって、宇宙に関してすでに述べたいいっさいを生命あるものに向け、一般に認められていないようなことには言及しない。明らかに作者自身の意図は、既知の物事を称賛して未知の物事を尋ねず、それぞれの日々のこういう御業から人々にもたらされる恵みに思いを致す人々に勧めるところにあるからである。

 また私の読者にも懇願する。神殿から戻って天文学の課業に足を踏む入れるときは、詩編作者が特に読者自身に思いを致すよう勧める人間に与えられた神の慈愛を忘れずに、宇宙の形状をより深淵なことより説明し、原因を探求し、視覚の誤りを摘出することによって私が読者に開示する神の英知と偉大さとをともに称賛しことほどくように、またこうして大地の堅固さと安定性とにもとづく全自然の生きとし生ける者の安寧を神の賜物として讃美するだけでなく、かくも深く秘められた、かくも感嘆すべき大地の運動における創造主の英知を認められるようにされたい。

 一方、頭のはたらきが鈍くて天文学を理解できない人々や、心が弱くてコペルニクスの説を信じると敬虔さに支障をきたす人にたいしては、天文学の課業を放棄し、さらにお望みとあれば哲学者たちの教説を何でも非難したうえで、自らの本分を果たすように、そしてこういう宇宙の遍歴を止めて家に戻り自分のささやかな畑を耕し、ものを見る唯一の手立てである眼を、眺めることのできる天へと上げて、心から創造主たるか神に対する感謝と称賛とに身を委ねるように勧める。そうすればその人は自分でも天文学者に劣らず神を崇拝することになると確信できよう。だが、神は天文学者にこそ、心の眼でいっそう鋭敏に物を見て、自らの発見について自身でも自らの神をほめたたえることができるように、お許しになられたのである。

 こういうわけで、月並みでそこそこ学識ある人たちに対しては、宇宙の形状についてはブラーエの見解を推薦しておくのがよい。その見解はいわば中道を行くもので、一方では、天文学者を数多の周転円という無益な備品からできるだけ開放し、コペルニクス説とともに、太陽を惑星系の中心に受け入れたことによって、プトレマイオス説では未知であった運動の原因をひそかにとらえ物理的考察の余地を与えるが、他方では、多くの浅学者に奉仕して、特に信じがたい地球の運動を削除しているからである。ただし、この見解によって惑星の理論は天文学的考察と論証において多くの困難に巻き込まれ、天体物理学はかなり混乱をきたすことになる。

 聖書の権威については以上の通りである。またこういう自然の事物に関する聖人たちの教説に対しては、私も一語でもって答える。すなわち、神学においては権威の重みを、哲学においては理性の重みを考量すべである。だから、地球が丸いことを否認しても、ラクタンティウスは聖人であり、丸いことは認めたものの地球の裏側に住む人々のいることを否認してもアウグスティヌスは聖人である。地球が小さいことは認めるが動くことを否認する今日の人々の聖務も聖なるものである。しかし、教会の博士たちに対する尊敬を保ちつつ、地球は丸くて裏側に住む人々がそれを取り巻くように居住しており全く取るに足らぬほど小さいこと、そして結局、地球が星々の間を運行することを、哲学から論証する私にとっては、真理こそがいっそう聖なるものである。

 コペルニクス説の真なることについてはこれで十分でしょう。この序の出発点とした意図に戻らなければならないかである。初めに述べたのは、天文学全体をこの著作で虚構の仮説でなく、物理的原因に委ねるか、2歩の歩みでこの頂点に至ろうとした、ということだった。すなわち第1歩は、惑星の描く離心円が太陽本体で交差するのを発見したこと、次の第1歩は、地球の理論の中にはエカントの円があり、その離心値は2等分すべきだとわかったことである。

 そこで以下に述べることを第3歩としよう。すなわち、第2部と第4部の対比によって、火星のエカントの離心値も正確に2等分すべきことを非常に確実に証明した。これはブラーエもコペルニクスもずっと疑ってきたことだった。

 そこで第3部であらかじめ全ての惑星から帰納的に推理して、ブラーエが彗星の行程から証明したようにどんな固体の天球もない以上、太陽本体が全ての惑星を公転させるはたらきの源泉であることを論証した。さらに私はさまざまな論拠によってその働き方が次のようなものであることを明らかにした。すなわち太陽は確かに自らの位置に止まるが、轆轤(ろくろ)に載っているように自転しており、自身から宇宙の広大な空間に向かってその本体の非物質的形象を放射する。それは自身が放つ光という非物質的形象に類似している。この形象は、太陽自体の自転に従ってそれ自体もまた非常に速い渦のように宇宙の広大な空間全体にわたって旋回する。そして流出の法則そのものによってこの形象がより濃くなったり薄くなったりするのに応じて、捕捉力を強めたり緩めたりしながら、各惑星の本体をいっしょに円を描くようには運んでいく。

 全惑星をそれぞれ太陽の周りに円を描くように運ぶこの共通な力を立てると、私の挙げる論拠からの必然的な帰結として、当の惑星の球体に直接に座を占める主動者が各惑星に割り当てられることになった。すでにブラーエの所説に従って固体の天球を斥けていたからである。なお、この問題もまた第3部で扱った。

 議論を展開していく道筋でこういう主動者を立てたが、それによって惑星の太陽からの距離や離心円の均差を算出しようとすると、欠陥のある数値が出てくるうえに観測結果とも一致しないので、そのために第4部で私がどれほど苦労したか、言っても信じてもらえないほどである。それは主動者を導入したことが誤っていたからではなく、通俗的な意見にとらわれて円軌道のいわば水車の輪のようなものに主動者を結びつけてしまったからで、こういう桎梏につながれた主動者は務めを果たすことができなかったからである。

 私の労苦がようやく終わったのは、非常に多くの苦心を要する証明と厖大な観測結果の処理から、天における惑星の行路が円ではなく卵形、というより完全な楕円軌道であることを発見して、物理学的仮説への4歩目の歩みを踏み出したのである。

 幾何学が見方して教えてくれたのは、太陽に向かって延ばした直線上でその本体を秤動させる仕事を各惑星に固有の主動者に割り当てると、軌道がそういう形になることだった。それだけでなく、このような天秤動によって観測結果と一致する正しい離心円の均差ももたらされた。

 最後に、建物にこういう屋根が据えられ、この種の秤動が物体に関わる磁石の性能によって普通に行われることが幾何学的に証明された。したがって、各惑星に固有のこれらの主動者は、惑星の本体が直接にもつ、極に向かい、かつ鉄を引き寄せる磁石の作用のようなものにほかならないことが、最もありそうな説として提示された。こうして、ただ自らの場にいつまでも止まる太陽本体の回転運動を除けば、天体運動のあり方全体が純然たる物体的性能によって、つまり磁力の作用によって、調整されることによる。ただし、太陽には生命に関する性能が必要であるように思われる。

 第5部では、われわれがすでに導入した物理学的仮説が緯度の計算にも妥当することを証明した。ただし、第3部と第4部では知性にも若干の役割を与えておいた。ここでの議論とは異質だが、一見強力な若干の意義を恐れて、物体の自然なあり方を信じようとしない人がいたら、惑星に固有の主動者が自らの球体を動かす霊的な力によって初めてこういう人は、その知性が秤動の基準として太陽の視直径を用いて天文学者が探求している角度を知覚できることを受け入れてくれるだろう。

 自然学者のために言うことはこれくらいにしよう。その他のことについては、天文学者や幾何学者なら何であれそれを以下に続く各章の内容説明から順次見いだせよう。その内容説明は意図して少し詳しすぎるくらいにした。索引代わりになるようにしたためでもあるが、あちこちで題材とか文体の曖昧さに途方に暮れる読者が、梗概一覧表により、またこの内容説明から、明晰さを些かなりとも得られようにするためであり、また配列の仕方と同一の章に集められた課題の関連性が文脈中で判然としない場合、段落分けされた内容説明から明白に把握できるようにするためである。だから読者がそれを嘉納されるよう御願いする。(本書、pp.034-062)

 猪野注:著作全体の梗概表(第1~第5部、pp,060-061)は省略した。

Ⅳ おわりに
 まずもって、言わなければならないのは、このようなケプラーのことばを、日本語で読み聴くことができるのは、あたりまえのことであるが、本書の翻訳者・岸本良彦氏の労に全面的に依存していることである。これがなければ私などは、まったく手に負えないことだった。よくも翻訳をしてくださった、と心からの敬意と感謝を申しあげたい。

 まったくもって、そのうえでの話だが、本書は、実に心配りの深い構成になっていることに気付く。まず冒頭には、当時の教会権力者に対する丁重な謝辞があり、つぎに本書全体の序論(ここに再現した)がある。また本書は上記の全目次でも明らかなように、よく見えないところもあるので、かんたんに触れることにする。各論は全70章からなっているが、ケプラーはあらかじめ、その全70章の内容を濃密の凝縮し、コンパクトな概要をキチンと述べ示していることである(pp.063-096)。さらには、ケプラーは、読者がどんな読み方をすればいいのか、にまでことばを尽くしている。あまりにも長くなるので、ひとまず、筆をおくことにする。次回は『宇宙の調和』を取り挙げる予定である。