投稿エッセー:シモン・ステヴィン(1548-1620)さん、ごめんなさい。
猪野修治(湘南科学史懇話会代表)

本誌のほとんどの読者は物理教育の専門家ですから、科学革命の先駆者・創始者といえば、ほとんどの方々はガリレオやニュートンを思い浮かべるでしょう。特に物理教育の原点ともいうべき力学の勉強では、なにをおいても真っ先に、ガリレオの晩年の著作『新科学対話』(1638)の内実を解きほぐし、その本質を噛み砕いて教えるのを常とします。私も例にもれず、何十年も本書を読み込み勉強もしてきたのですが、引退した現在の時点で振り返ってみますと、それでも、教育現場の最前線にいるときには、てっとりばやく、その本質を理解し、現在の視点からその果実だけを取り入れるだけでせいいっぱいでした。しかし、今は、経済的にはまったくギリギリの生活をしていますが、時間は十分にあります。『天文対話』『新科学対話』その他の著作を知的人類の遺産として読み込んできました。

数年前、イタリア各地を訪問する機会がありました。370年ほどまえ、ローマ法王庁から呼び出しを受けたガリレオが徒歩であるいはロバで歩いた同じ道をバスで走り追体験しながら、青春時代から読み込んできた偉大な科学者ガリレオの人生に思いを寄せ振り返っていました。それだけ、私の人生途上でガリレオとの付き合いは深いものでした。

しかし、そんな感傷的な思いを吹き飛ばすような人物と著作にめぐりあいました。オランダの技術者・科学者のシモン・ステヴィン(1548-1620)という人物です。一部の科学史家を除くと、日本ではもちろん世界でもほとんど知られていなかった人物です。この人を仕事と研究の全貌を紹介する学問的評伝が刊行されました。それが、ヨーゼフ・T・デヴレーゼとヒード・ファンデン・ベルヘの共著『科学革命の先駆者 シモン・ステヴィン―不思議にして不思議にあらず』(山本義隆監修・中澤 聡訳)(朝倉書店、2009年10月15日)です。二人の著者たちはオランダとベルギーの物理学者です。

原書はオランダで2003年に出版され、2009年に日本版がでました。実はシモン・ステヴィンをはじめて知ったのは、マッハの有名な『力学史』からですが、その仕事の内容を詳しく具体的に知ったのは山本義隆『磁力と重力の発見』(2003、みすず書房)『十六世紀文化革命』(2007、同)からでした。特に後書に登場する人物郡のチャンピョンはなんといってもシモン・ステヴィンです。その内容は驚くべきことばかりです。

紙数の関係上、結論じみたことをいいますと、ステヴィンがすでにガリレオに先じて、近代科学の基礎を具体的に知っていて、仕事の現場で利用していたことです。古代の哲人アルキメデスの再来とも言える人物だったことです。オランダは海洋国家ですから造船業、機械業など多くの職人が自ら仕事を遂行するためには必要な知識であったわけですが、その理由はステヴィンがあくまでもアカデミッシャンの科学者ガリレとはまったくことなる世界、つまり足を地につけた知識を有し、それを多様な職人たちのために全面的に公開していたことでした。しかも「万能の人」でした。

ではなぜ西欧世界でステヴィンが知られることがなかったのか。それは当時の学の共通語であったラテン語を「意識的」に使用しなかったことです。母国語のオランダ語で書いたからです。ステヴィンには明確な目的があったのでした。あくまで技術者・職人のために必要に迫られての知識を追求したのでした。ステヴィンの世界を知れば知るほど、当時の学者たちの閉鎖的で特権的な学問が色あせて見えます。詳細は本書を読んでほしいのですが、どうか物理教育の現場でステヴィンの仕事・見識・世界を語り教えてほしいとおもうばかりです。

本書の最後で、監修者の解説として、山本義隆さんが渾身の力を振り絞って「シモン・ステヴィンをめぐって-数学的自然科学の誕生―」(全75頁)を書いておられます。圧巻だと思います。ステヴィンさん、ごめんなさい。

●{注}本稿は物理教育研究会編「物理教育通信」NO.142、2010年11月10日 掲載