書評:杉山滋郎『中谷宇吉郎―人の役に立つ研究をせよ』(ミネルヴァ書房、2015年7月10日)

 本書は、世界で最初に人口雪の結晶を作り出すことに成功し、雪永学の基盤を創った物理学者中谷宇吉郎(1900-1962)にかんする重厚な評伝である。中谷は物理学者寺田寅彦(1887-1935)の弟子として学問生活に入った。師匠の寺田は、主要に日常の具体的な科学的事象を研究するとともに、多数の優れた随筆を書き残した。寺田の弟子中谷も、寺田に勝るとも劣らない優れた随筆を書き残し、科学的事象の本質を見抜く抜群の洞察力と想像力を有していた。

 中谷は主要に「各種元素による長波長X線の発生について」(英文)で理学博士(京都帝国大学、1931年)を得て、北海道帝国大学の教授に就任(1932年)した後、雪の研究に没頭し、数年後には雪の結晶の人口製造を成し遂げている(1936年)。さらに、雪の研究者中谷を世に知らしめる随筆集『冬の華』と『雪』を刊行する(1938年)。かの有名な「雪は天から送られた手紙である」という文章は『雪』の最後に登場するものだ。

 かくして随筆の影響もあり、雪の研究者としての中谷は周知の事実だが、中谷と同じ北海道大学に勤務する後世代の科学史家の著者(杉山)は、『中谷宇吉郎参考文献目録』(大森一彦)を読み、中谷は単なる「雪の研究者」ではなく、多義・多方面の科学研究を行っていることを知り、中谷の科学研究の全貌を探る旅に出ることを決断する。その全貌を探る旅の内実を詳細に論じた本書には、実に多様な数々の「人の役にたつ研究」が具体的に披瀝されている。

 具体的には、科学映画、凍土、着永、霧、雷、農業物理、水害、国土、ダムの埋没、潜水探測機、南極観測、グリーンランドの科学調査、等々の種々の研究に果敢に挑む中谷の悪戦苦闘の実態が詳述される。それらの研究に当たる中谷は、実際の現場に立ち、あるいは側面から、「強烈な好奇心の塊の個性」を持って、真正面からぶつかり、数々の多難な事態を乗り超えて行く。その多難な事態を克服するために、学者・企業家・政治家等々の多数の大物人物を糾合し、その人脈をフルに活用し、研究資金を獲得するなど、その精力的な決断力と行動力には驚くばかりだ。これらの論述が本書の核心部分である。圧巻である。

 その論述のなかにはこんなこともある。1952~54年の二年間、中谷はアメリカの雪氷永久凍土研究所に招待され滞在している。この当時のアメリカは共和党上院議員マッカーシーの「赤狩り」の嵐が吹き荒れていた。日本では、1954年3月1日、南太平洋ビキニ環礁の水爆実験により、第五福竜丸が放射能の灰を浴び死者が出た。この際の中谷は、ことの重大性を考慮することなく、カネで解決すればいい、などと述べ、アメリカの核実験を批判する日本の知識人を批判しているが、被爆国人の中谷が、いかに「赤狩りの世相」の影響を受けているかを知ると、暗澹たる思いがする。

 また、雪氷永久凍土研究所における種々の研究は否応なく、基礎研究・応用研究を問わず、アメリカの軍事戦略上の研究もふくまれていた。その軍事研究に加担することに対する意識も希薄であると、北海道帝国大学の関係者をはじめ、各方面から批判を浴びた。しかし、研究費を獲得するには、やむ得ないことだ、と覚悟しつつ、自問も繰り返している。その善悪の区別と判断基準は難しいところだが、それは現代の科学研究の在り様にもつながる。

 著者は中谷の研究に15年もの歳月をかけている。中谷に関わる厖大な人物の発言を忠実に再現し、その個々の発言を丁寧に本文中に織りこみ、中谷が生きた時代と世相の中に、中谷の科学研究と精力的な活動を綿密に構成し丹念に描いて行く。その冷静な見識と筆さばきは、実証性と具体性を帯びており、一点の曇りもない。極寒の雪の北海道の大地に身も心も据え、その自然と人物群に思いをはせる、著者ならではの渾身の労作である。

 最後に、評者は、若き時代の著者が主宰していた「物理学史懇談会」(東大駒場)に参加していた。それ以来、今日の科学史学徒に到っているが、とても感慨深く読んだ。次作も重厚な作品を期待する。(猪野修治:湘南科学史懇話会代表)