2008年の8月、連続群論で有名なフランスの数学者アンリ・カルタン(1904―2008)が死んだ。104歳という長命であった。カルタンは同じフランスの数学者アンドレ・ヴェイユ(1906-1998)などともに数学研究者の同人団体「ニコラ・ブルバキ」(ペンネーム)を創設した人物である。カルタンとヴェイユは1933年当時、ストラスブール大学の同僚で微積分学の教育方法などの議論を繰り返しつつテキストを執筆する構想を練っていた。その後、微積分学という狭い数学領域をはるかに飛び越え、そうそうたる数学者たちが集い、数学の全体を再構成するという壮大な数学研究運動に変貌・発展し世界の数学者に刺激をあたえた。
本書の主役の岡潔(1901-1978)は日本の奇人変人の天才数学者、随筆家として知られ、多変数複素関数論なる学問領域を独自で開拓した人物である。日本では岡潔の専門領域に関心を向けそれを支持する数学者はほとんどいないなかで、岡潔の数学的業績を高く評価し生涯にわたり賛同・支持したのは、先に述べたブルバキの重鎮のカルタンとヴェイユであった。彼らの「長い時間」をかけた数学者同士にしか理解しえない共鳴と友情に満ちた交流を知ると感動の念を禁じえない。というのも、岡潔は、先にも述べたように、原因は定かではないが(躁鬱病との説もある)何がしかの要因で気分が高揚すると非社会的な奇行に走ることや、通常の心的状況下でも「社会通念」の生活など眼中になく、通俗的には奇人変人の数学者としてきわめて孤独な日々を送ったからである。
岡潔にとっての社会通念は、「自家撞着と無秩序の秩序とを併せ備えた複雑極まる半流動体である。自然的又は作為的社会的組織も書かれたり書かれなかったりした小説も大体この上に載って居る様に見える。つまり実生活は大体ここにある。所でこの社会通念はこれは物と云うよりはむしろ影であろう」(中谷宇吉郎宛の手紙)。なんど読んでもなんとも不可思議・奇妙な表現である。ともかく、著者によれば、「理想の追求はつねに社会通念と乖離し、摩擦を生じ、大きな数学上の発見に出会う場において岡潔はいつも孤独であった」(本書、157頁)という。
岡潔の人生は「生活のなかの数学」ではなく「数学のなかの生活」を習慣とするものだから、数学者で岡潔が唯一学問的に心底から交流したかったのは上記のカルタンやヴェイユであったが、それはなかなかうまく行かなかった。何しろ、現代のような長文の論文を電子メールで簡単に瞬時にやり取りできる時代ではなくて、手紙(論文)を送っても未着で返ってきたり、着いたとしても双方の諸事情もあり1年も2年もかかる時代だったからである。本書には専門的考察の苦悩に満ちた議論と諸事情が詳細に論じられている。そうであるがゆえに、1963年(昭和38年)11月、カルタンが来日した際、親友の数学者秋月康夫などと一緒に岡潔を訪ねたときの岡潔の心中を想像すると目頭が熱くなる思いがする。
また岡潔は膨大な随筆を残しており、多くの読者に熱烈に歓迎された。数学者らしからぬ、心の底からわきあがる叫びともつかぬ「情緒の観念の表出」に集約されると言っても過言ではないだろう。一昔前に膨大な随筆を残した物理学者の寺田寅彦(1878-1935)とは趣が異なるけれども、寺田寅彦の随筆がそうであるように、岡潔の随筆は自らの数学的思考と不可分の関係にある。岡潔の数学の営みは「おのれの情緒を外部に表出する学問芸術」であり「情緒を表現して数学を創造する」ことだというのである。これは詩人の言葉である。著者が岡潔を「数学の詩人」と呼ぶ所以である。
数学の詩人である岡潔の学問人生で心底から信頼を寄せたふたりのきわめて大切な人物がいる。雪の結晶の研究で有名な物理学者の中谷宇吉郎(1900-1962)と考古学者の中谷治宇二郎(1902-1936)兄弟である。この中谷兄弟とは岡潔がフランスの留学先の知り合うが、このふたりとくに弟の治宇二郎とは「音叉が共鳴」し合い、まさにあうんの呼吸の友情関係で結ばれていた。岡潔は夭折した治宇二郎を最後までことあるごとに面倒をみるが、弟亡き後、今度は兄の宇吉郎は岡潔が困窮していると見るや親身の援助を差し出すなど、彼らの深い友情関係は読むものを感動させる。これもまた「情緒的世界の絆」がなせる業であろうか。評者の近辺にこのような人物がひとりでもいるだろうか。
中谷兄弟の親密さとは別だが、日本の数少ない数学者では先にふれた京都大学時代の親友の秋月康夫、数学上の大先輩にあたる東北大学の藤原松三郎(1881-1946)、東京大学の高木貞治(1875-1960)などがいた。それぞれ学会誌への論文の掲載などで支援した。 これまで著者の論述の中から幾つかの話題を取り出し、評者の私見を述べてきたが、今度は、著者の岡潔研究自体に触れてみたい。誤解を恐れず、結論を先に言ってしまえば、著者は数学者岡潔の学問と人生に取り付かれたいわば岡潔狂である。ことの始まりは、1970年(昭和45年)の夏、著者がまだ10代の終わりころの学生時代、神田神保町の書店「信山社」で岡潔の論文集『多変数解析函数について』(岩波書店、1961年)を買い込んだ時に始まり、それ以後、大まかに言えば、岡潔と同じ数学領域の研究者となり、その随筆の世界の不可思議な文章に取り付かれていったと推察する。その後、数十年して岡潔研究の決定版ともいえる『評伝 岡潔-星の章』(全542頁、海鳴社、2003)、『評伝 岡潔―花の章』(全548頁、同、2004)という大著をたて続けに刊行したのである。
2004年夏、評者自身、世俗的な世界から遊離している数学者岡潔の世界に触れたくなって、気楽な気持ちで両著を買い求め読み始めたのであるが、読み始めたらやめられなくなり、記録的な猛暑の冷房装置もない書斎で、まるまる一ヶ月余をこの本の読み込みのみに費やした。その理由は、岡潔の学問と人生を知るという興味よりも、むしろ岡潔のすべての世界を調べ尽くすという著者の強靭な姿勢に感動・圧倒されたからである。評者はその様子を『科学史研究』第44巻(N0.233)に記したこともある。しかし、非常に苦しい時間であったことも正直に告白せねばならない。というのも、あまりにも詳細な各論がとびとび記述されているため、岡潔の数学と学問の全体構造はよく見えないという印象を持ったからである。しかし、岡潔をめぐる個人的な家族関係や数学者の人間模様等々を、何年も丹念に足で歩きながら調べている情熱には正直に言って頭が下がった。
前著の本質部分を凝縮した本書の登場によって容易に岡潔の世界に触れることができることになった。著者の岡潔研究はどこまで深化するのだろう。恐ろしい限りである。 (湘南科学史懇話会代表:猪野修治)