書評:田中 登 編著『小松茂美 人と学問-古筆学六十年』(思文閣出版、2002年) 2003年2月『どよう便り』第63号掲載

 2002年11月26日夕刻、突然、日本の古筆学の創始者・小松茂美氏から上記の本が送られてきた。小松氏については人伝には聞いていたがよく知らなかった。その晩、本書を一気に読み始めた。というよりも吸い取られるように読み込んでいた。一通り読み終えたら明け方であった。

 とにかく驚いたの一言である。翌日から数日は完全に体調を崩し仕事にならなかった。なにに驚いたのかというと、小松氏の学問精神にである。私には古筆学なるものを解説する資格も教養もないが、小松氏が青年時代から古筆学なるものに虜になり独学しつつ、古筆学なる学問がまだ成立していない段階からその道の先人に執拗に食い下がり質問責めと人間的交流を深めながら、小松氏独自の古筆学を作り上げるまでの人生を描いている。決してアカデミズムの人間には成就できない偉業であると、編者は絶賛している。

 本書は第三部構成で、第一部「小松古筆学 六十年の奇蹟」、第二部「小松茂美 人と学問」、第三部「小松茂美履歴・研究業績」である。第一部で編者の田中氏は、古筆学の成立過程を冷静に解説しつつ、青年時代から現在まで小松氏が爆発的な情熱を傾けてきた様子を描いている。学問としての古筆学の成立は小松氏の研究過程そのものであることが知れる。小松氏もそれを十分に認識されており、今後は後進のために「古筆学方法論」の執筆を準備されている。第二部は、小松氏の膨大な著作の一つひとつが刊行されるたびに、メディアに掲載された多数の書評家の作品論である。どれをとっても「驚くべき作品」であると絶賛する。第三部は文字通り古筆学成立過程を如実に示す小松氏の膨大な研究業績のオンパレードである。

 私が興味を引くのは、小松氏がこの世界に入ることになったそもそもの動機である。広島の厳島神社に奉納された「平家納経」に魅せられたことに始まる。編著者の田中氏は、小松氏が古筆学の学問を確立したことは、「それはまことに不思議な、いわば現代の奇跡ともいうべき事柄」であり、「こうした偉業がなるまでの、それこそ壮絶としかいいようのない、小松茂美の人生ドラマ」があったと述べている。 これを読むと一本の道を脇目も振らずまっしぐらに走り続けてきた小松氏の学問人生の努力と感性はまさに天才の名に値する。その偉業は『小松茂美著作集』全33巻(旺文社、1995年11月~ 2001年3月)で知れる。

 これに対して私はどのように答えるべきなのだろうか。いまはただ、大きな衝撃を受けているとだけでしか言いようがない。いつか機会があれば、直接、お目にかかってその学問人生の一端でもお聞きしたいと思っている。