著者、池内 了氏はまたも、物理学者で随筆家の寺田寅彦(1878-1935)に関する書物を上梓した。またも、と言ったのは、著者にはすでに、寅彦に関する単著と編著があるからである。単著には『寺田寅彦と現代―等身大の科学をもとめて』(2005)があり、編著には『科学と科学のはなし 寺田寅彦エッセイ集』(2000)、『寅彦と冬彦 私のなかの寺田寅彦』(2006)、『寺田寅彦 懐手して宇宙見物』(同)、そして『KAWADE 道の手帖 寺田寅彦 いまを照らす科学者のことば』(2011)などがある。
本書は、これまでの上記の編著の寅彦論とはだいぶ趣を異にする。ずばり言ってしまえば、物理学者・随筆家としての表向きの寅彦論でなくて、あくまでも個人的な生活やそのなかで発せられる率直な感情までを含め、寅彦の素っ裸を、ありったけ描写した特異な書物である。語られる寅彦本人にしてみれば、そんなことまで、公衆の面前に自分の姿を露出させないでくれ、という声が聞こえてくるようだが、文理融合の世界を構築した寅彦に、長年まなび続け、「等身大の科学」を構築する現代の寺田寅彦、いや、それ以上に現代の文理融合の文体を構築中だ、と評者が考える著者の手にかかっては致し方ないであろう。
ここまで寅彦に惚れ込むマニアには、寅彦の生活の極限まで知りたくなるのは人情のようだ。そのために著者が採用した手法は次のようである。『寺田寅彦全集』全30巻に蒐集されている2400余りの書簡、日記、全集に付されている『月報』、第三者が論じた『思想 寺田寅彦追悼号』や『回想の寺田寅彦』などから、あくまでも個人的な生活に関する資料を拾い上げ、テーマごとに分類し、多面的に整理し披露する。いわば、既存の寅彦研究の隙間を埋めることを目論み、あまり真正面から語られることのなかった、私的生活者としての寅彦の人間模様を核に据え、詳細に論じた初めての著作である。
しかも寅彦の私的生活について、詳細に述べる時間的な視点はあくまでも、寅彦が生きた時代から語られ、ときたま、著者が生きる現代の視点から、ないものねだりの所感やら批判をも交ぜながら、話題は展開して行く。その詳細は挙げきれないが、主要な項目は次のようである。「甘い物とコーヒー好きの寅彦」「タバコを止めない寅彦」「癇癪持ちの寅彦」「心配性の寅彦」「厄年の寅彦」「医者嫌いの寅彦と業病の由来」「日記に見る戦争と関東大震災」「書簡に読む社会批判」。
そのなかから、五点だけに限定し、手短にコメントする。
一番目は寅彦の家族のことである。57歳の生涯(1935年死去)で寅彦には、三人の妻と五人の子供(女子三人、男子二人)がいた。先妻の病死後、それほど間をおかず再婚し、子供をもうけるが、最後の妻だけには子供はなかった。男尊女卑の時代、家族には絶対的存在であった寅彦は、それぞれの妻たちと子供たちへの向きあい方が異なる。男子優先の時代であるので、とうぜんのことであったろうが、その対応の仕方がことこまかに描かれ、当時の家族の構造的な問題が見えるようで、興味深い。
二番目は嗜好品と医者嫌いのことである。生涯にわたり甘い物とタバコが大好きで、死の直前まで好みは変わることはなかった。その影響もあったろうが、しょっちゅう、体調を崩し、胃潰瘍を発症し、そのつど医者にかかるが、めどうくさいことに、まったく医者の診断を当てにしない医者嫌いだった、というからあきれる。そのため、大学もかなりの頻度で休んでいるが、それでも寅彦はそれを気にもせず、ゆうぜんとしたもので、大好きな苺を食べ続け、コーヒーを飲むために銀座まで足を運び、いわゆる銀ブラまでしている。東京帝国大学教授とはそのような優雅な身分だったのか、とあらためて知る。
三番目は寅彦の社会的な批判意識のことである。科学者の摂理と感性から、多少の社会批判をすることはあっても、厳しい徹底した批判を行うことはなく、普通の常識的な批判に留まりもので、一般的にはごく普通の保守思想の持主だった。
四番目は寅彦の怒りと癇癪のことである。家族にはよく癇癪を起したことが具体的に描写されているが、これは寅彦にかぎらずだれにでもあることで、いわば生きるうえのガス抜きである。評者も若い時代、よく癇癪をおこしたが、いまでは逆に、連れから癇癪をおこされている。それでいいのである。癇癪も生きるための逃げ道なのである。
第五番目は寅彦の死因のことである。死因は「転移性骨腫瘍」である。つまり癌が全身に侵食したのである。その原因は、寅彦が若い時分、物理学上の実験で、X線回折実験を行っているので、そのX線による放射線障害である可能性が高い、と著者が述べている。評者も同感である。
最後に、著者は評者と同世代である。現代の文理融合の世界を縦横無尽に発言し書き続けるわが世代を象徴する著作家・活動家である。一昨年のことだったが、著者の全著作の読み込みに入り、途中まで読み上げたことがある。予想を超える多産な仕事に驚嘆するばかりだった。今後もおおいに刺激を与えていただきたいと願っている。