書評:戸田 清『環境学と平和学』(新泉社、2003年7月31日) 2003年9月19日『週刊読書人』第2504号 掲載

 二〇世紀末、誰もが、戦争と環境破壊の時代を終焉させ、迎えるべき二一世紀は平和と環境共生の時代にすべきだと期待したはずだ。しかし、その希望をもって迎えるはずの今世紀は、それとはまったく反対に、米国中枢への自爆テロと米帝国主義の報復戦争で始まった。米国は国連を無視しイラクの大量破壊兵器の存在を捏造し、非人道的な劣化ウランをばらまき、軍事施設ばかりか非軍事施設と多数の民間人を殺害した。米国のイラク占領期にある現在でも、占領軍にたいする報復テロが後を絶たない。いまだにイラクは戦時下にある。日本の小泉政権は間髪を入れずブッシュ政権支持を表明し、考え得るかぎりの支援をはじめた。まさに小泉政権は国際的に押しも押されぬ戦争協力国家となった。

 二一世紀は二〇世紀の負の歴史を真摯に顧みることなく再び戦争で幕を切ったのである。ヨ-ロッパ諸国、米国内を初め世界各国で大規模な反戦運動が起こった。しかし、日本の反戦運動はそれに比較すると大きな盛り上がりを見せなかった。そこには国会内にも民衆にも無節操な思想が蔓延することとなった。前世紀末、あれだけ国際的な平和と環境が希求されたにもかかわらず、平和と環境ばかりか民主主義の理念も無惨に崩壊した。

 このような無様な新世紀を迎えた現代日本で、現実のこととして、ほんとうに平和を考え環境を考え民主主義を構想するには、どのように思考し行動すべきか。本書はこの目論見から現実的な学問的構想図を具体的に示している。透徹した感性と行動に裏付けられた見事な学問的労作であり、一一五〇冊という膨大な引用参考文献を列記した「事典」でもある。圧巻である。

 学問としての環境学と平和学の創設を呼びかける著者は、種々の市民運動の実活動を通じ得た平和と環境にかんする膨大な資料を並列し縦横無尽に読み込み、それらを分別・整理しながら平和学と環境学を統一的な関係性と理念性のもとに位置づける。その壮大な目配りにはただただ感服するばかりである。

 そのキーワードは「直接的暴力」と「構造的暴力」である。この直接的構造的暴力を形成する多様な事態と思想に通底する概念を浮き彫りだし、「持続可能で公正な社会」と「積極的な平和」を創るためには、何をどのように考えどのように行動すべきかを具体的に示す。こうした学問的・実践的構想のもとに、テロと戦争、軍需産業、多国籍企業、国家的殺人(死刑)、冤罪、煙草産業、南北格差、原子力、生命工学、ジェンダー、社会科学、開発主義等々のきわめて現代的な国際的事象を徹底的に批判する。

 大国の一極支配とそれに追随し戦争に協力する無節操な日本に生きる人間の生き方・生活の仕方の転換をもせまる内容だ。人間と人間、人間と自然の関係を「暴力と平和」の視点から体系的に説きながら「戦争と環境破壊の世紀」から「平和と環境共生の世紀」を創造しようと呼びかける。

 なんども通読した。現代の国際政治環境を踏まえると、平和学・環境学・民主主義は、著者の言う直接的構造的暴力にたいする永続的持続的な闘いのなかに見い出すしかないと、評者はあらためて思った。万感の賛辞を送りたい。