書評:豊崎博光『マーシャル諸島 核の世紀 1914-2004』 上下巻(日本図書センター、2005年5月25日) 2006年6月27日『科学史研究』第45巻(No.238) 掲載

 著者はフリーランスのフォトジャーナリストである。また、カナダの写真家ロバート・デル・トレデシィが1987年に設立した核問題を撮影する写真家グループ「アトミック・フォトグラファーズ・ギルド」の会員でもある。若い時代の1969年から1970年までは返還前の沖縄や在日朝鮮人・韓国人を取材する。1973年にはアメリカ先住民族インディアンを取材する。本書に描かれた核問題を本格的に取材するのは1978年以降である。かつて、評者が主宰する第42回の「湘南科学史懇話会」(2005年10月25日)にお呼びし、本書刊行を記念する講演会を実施したことがある。

 著者は核問題を取材する動機と大まかな取材歴を次のように披露した。

「フリーのフォトジャーナリストとして、1978年から世界の核実験被害、ウラン鉱石の採掘と精錬による被害、スリーマイル島原発とチェルノブイリ原発事故による被害などを25年以上にわたって取材してきました。取材のきっかけは、1978年3月に朝日新聞に掲載された「ビキニ-やはり死の島。島民の再移住を急ぐ」という記事でした。大西洋中西部、ミクロネシアの東端にあるマーシャル諸島(現マーシャル諸島共和国)のビキニとエニウェクト環礁では1946年から1958年までアメリカによって67回の原水爆実験が行われ、このうち1954年3月1日にビキニ環礁で行われ水爆ブラボー実験によって、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が被災しました。原水爆実験が終わって20年が過ぎたにもかかわらずビキニ環礁の島々に放射能汚染が残り、帰郷した人びとをむしばんでいることに驚かされました。以来、マーシャル諸島には度々訪れて被害を受けた人びとを取材しました。また、この 取材をきっかけにアメリカ、イギリス、旧ソ連の核実験被害、核兵器製造と原子力発電の核燃料製造のもとであるウラン鉱石の採掘と精錬による被害、スリーマイル島とチェルノブイリ原発事故による被害などを取材することになりました」(レジュメ)

 こうした取材の動機と歴史を振り返り、25年以上の取材で撮った膨大な写真のごく一部をスライドに投影しながら参加者に語った。世界の被曝地の厳しい現実を冷静に淡々と語るその語り口は厳然たる歴史的現実としての核被曝の犯罪性を浮き彫りにするものであった。本書をものする動機はつぎのようである。長年のフォトジャーナリストとして世界中の核被害地を取材し膨大な写真を撮り続け、数多くの写真個展を開き、また多数の写真集を刊行するなど、世界の核被害を知らしめてきた。しかし、それでも世界の核被害地の実情を伝えきれていないというジレッマに陥った著者は、そのジレンマの空白を埋めるべく文章を書くことでそれに応えようとする。その営みは正味3年越しの膨大な資料と取り組む大仕事となった。何しろ上下巻で1282頁にもなる前代未聞の大著である。評者も本書の読み込みに数ヶ月を要した。それもそのはずで、本書で考察する時空間は1914年から2004年という、まさに一世紀にもわたる世界の核被害地のルポだからである。そして本書のもっとも特徴的で圧巻なのは、あくまでも核被害地に住む絶対的非抑圧者のマーシャル諸島の人びとの生々しい証言を中心にすえて世界の核被害の現実とそれを引き起こしたアメリカの原爆製造計画である「マンハッタン計画」の前後の国際的な政治動向をも、これまた、当時の証言を詳細に再現していることである。これまで核問題に関する著作には国際政治や科学者の動向と責任問題などを考察したものは膨大にある。しかし、上記のように、絶対的非抑圧者としてマーシャル諸島の人びとの具体的な証言から世界の核被害の現実と歴史を描いたものを評者は知らない。だから前代未聞の著作だと言ったのである。

 また、評者が生まれた1945年から現在までの同時代に何が起こっていたのかを克明に描いている。その意味で本書は評者がもの心ついていらい現在までの国際政治の動向に翻弄される核被害者の実態を詳細に知ることになった。その被害者はほとんどが先住民族である。たとえば、ウラン鉱石の採掘現場、ビキニ環礁、ネバダ実験場、ソ連のセミパラチンクスのカザフ、オーストラリアのモンテ・ベル諸島、太平洋のクリスマス島などすべてが先住民族の大地である。故郷の島を追われほかの島に強制的に移住させられたマーシャル諸島の人びとの様相を読むと驚きにたえない。核大国のなんと傲慢なやり口であることか。まさに先住民族の根絶政策であり虐殺にも近い。この事態は「ニュークレアー・レイシズム(Nuclear Racism)」(核による人種差別)と言われているという。

 さらに本書は時代の証言集にもなっている。先に著者の講演の語り口が冷静で淡々としたものだと述べたが、本書でも冷静かつ淡々と当時の具体的な証言を並べて構成し、その判断を読者に譲るのである。世界の核被害の現場を歩き回る百戦錬磨のフォトジャーナリストの著者は「写真を読むことの重要性」を訴えているが、本書に登場するひとりひとりの証言に真剣に耳を傾け文章で表現することで核被害者の存在をかけた叫びを読み取ってほしいと期待している。おそらく著者の写真集と本書で記述された世界の核被害地の人びとの証言集は表裏一体であり、それらの両方をもってはじめてひとりのフォトジャーナリストの生き様の全体像を知ることが出来るに違いない。

 もうひとつ述べておきたいことがある。もうひとつの本書の特徴は原水爆実験と原子力発電所の問題を同列に並べて暗黙に批判していることである。環境問題が政治問題となり地球人がいかに持続可能な自然環境社会を構築するかが重大な問題として盛んに議論される昨今、「環境学と平和学」は一体のものとして考えるべきとは自明である。そこでわれわれは歴史を学ばなくしては現在と未来を語れないのである。靖国問題が戦犯を抜きに語れないのと同じであり、また、近代科学文明を批判するには近代科学の礎を築いた近代科学が誕生する歴史的な考察が必要であるのと同じである。そうであるならば、絶対悪と評者が考える原水爆実験が何故にかくも実施されたのかをまず念頭におかねばならない。本書によれば世界の核爆発実験は1945年から1998年までの53年間に大気圏内核実験と地下核実験を含め2264回実施されたという。実験国はアメリカ、ソ連(ロシア)、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタンの7国である。その詳細は本書に譲るが驚くべき回数である。それらの実験はほとんどが第二次世界大戦後に実施されたことを考えると、広島・長崎の原爆被爆者はもちろんマーシャル諸島の人びとなどの核被害者は一点の疑問もなく「人体実験」にされたのである。本書はその実態を克明に描き出している。日本は唯一の被爆国と言われ続けているがそうではない。被曝国と核の被害者は世界中に散らばっており現在でも深刻な放射線汚染にさらされている現実を知るであろう。そのことにひとりのフリーのフォトジャーナリストが身銭を切り人生をかけて表現したのが本書である。

 紙数も尽きたが、最後に強く述べておきたいことがある。本誌の読者には本書をひもといてほしいのはもちろんだが、それだけではない。著者の労に報いるためにもまたわれわれ自身の未来のためにも、世界の核被害者の代弁者として著者をことあるごとに引っ張り出して講演に呼んでほしいと切に希望する。本書は歴史に残る古典となることは間違いない。