著者の常石敬一氏は日本における生物兵器研究とくに旧日本軍が中国に侵略し多数の中国人に行った非人道的な生物兵器の細菌戦「731部隊」研究の第一人者である。それらの研究は『医学者たちの組織犯罪』(朝日文庫、1999年)、『731部隊』(講談社現代文庫、1995年)、『謀略のクロスロード』(日本評論社、2002年)などの著書でくわしくあきらかにしている。
私が旧日本軍の生物細菌戦研究の自体を知ったのは著者の上記の著作ををふくむ幾多の著作と諸論文および生物化学兵器の軍縮運動の活動からであったし、また、それが発展し、戦時研究とりわけ日本帝国主義下の科学技術と科学者の動向に関心を持つようになったのもそうであった。著者の戦時研究はたんなる科学史研究のひとつの研究テーマではない。著者の学問活動は現代日本における科学技術体制と科学者の「生き様」と深く連動することをあきらかし、戦争責任を問う市民運動とも深く関わっている。いわば行動する科学史家と言っていいだろう。私はこうした著者の研究と運動を両立させたスタンスに共鳴しつつ多くの歴史的事実を勉強させてもたった。
言うなれば、著者は、日本の戦時研究に先駆的な仕事をやってきたのだ。こんどは、1980年代より内外の化学兵器に関するぼうだいな資料を収集し読み込み、真正面から本格的に「化学兵器犯罪」に取り組んだのが本書である。
それに先だって著者は、1999年7月~9月期に、「NHK人間講座」で「20世紀の化学物質-人間が造り出した"毒物"」の講義を行っている。この講座は大きな反響を呼んだ。映像の特異性を駆使し、ふんだんに記録フィルムを取り入れた、非常にリアリティのある説得力ある名講義で、私は毎回、見入っていて感心したものである。そこで本書とも直接に関係するので主要な項目だけでも紹介しておきたい。
「現代の踏絵・化学物質」「化学のブレークスルー 19世紀の開花」「砒素化合物(1) 薬としての砒素」「砒素化合物(2) 猛毒の作用のメカニズム」「窒素化合物 無から有を生み出す「錬金術」」「塩素化合物(1) 水道水の殺菌、漂白剤」「塩素化合物(2) 合成ゴム、合成殺虫剤DDT」「青酸化合物 生命の起源」「リン化合物 マッチから神経ガスまで」「水銀 米の増産、蛍光灯」「ダイオキシンとPCB 予期せぬ毒性」「新しいアプローチ」。
12回におよんだ連続放送講義は 、生物兵器や化学兵器の歴史と軍縮を含むひろい意味での「科学技術と社会」を論じたものだが、科学史研究の重大さとおもしろさをだれもが感じたに違いない。
これらの講義を踏まえ、著者が本書でくわしく開陳するのは「毒ガス」を主要とする化学兵器開発とそれに関わった科学者の言動を再現するとともに、あわせてそれを引き起こした国際政治の歴史と現状を考察している。著者は、本書での最大の収穫は四点あるという。あとがきによると、①化学兵器を「貧者の核兵器」と呼ぶのは核保有国の欺瞞であること ②旧日本軍の化学兵器の技術を当時の世界の趨勢の軍事技術水準のなかに位置づけたこと ③化学兵器の開発に関わった科学者の肉声を再現したこと ④これらを通じて歴史を知ることの重要性を明らかにしたこと、である。
まずは、本書の概要を眺めて見よう。めんどうがらずにすべての内容をおきたい。
第1章 化学兵器の今
1.旧日本軍の毒ガスの亡霊が出てきた日本での井戸水汚染・中国で死者が出る・リサイクル社会が被害拡散を防いだ・全国毒ガス再調査に追い込まれる
2.大量破壊兵器とイラク戦争
イラクの大量破壊兵器疑惑・イラクの開発を助けた米国・イラクはなぜ使わなかったか
3.テロリストの毒ガス
都市にサリンが撒かれた・生物兵器づくりは失敗したオウム真理教
4.化学兵器とはなにか
時代で変わる種類・産業界のありふれた物質が化学兵器に
第2章 第一次世界大戦の毒ガス
1.塩素ガスの登場
第一次世界大戦の始まり・最初の毒ガス攻撃と報復・先制使用の実績・毒ガス使用の歯止めがなくなる・液体塩素・もっとも身近な化学物質・F・ハーバー・イープル攻防戦
2.塩素からホスゲンへ
ノーベル賞級の化学者が参加・ホスゲンの登場・課題の毒ガス運搬手段・イギリス軍のリーベンス砲
3.毒ガスの王イペリット
びらん剤・追随する英仏・ヒトラーの受けた毒ガス攻撃
4.盾と矛盾
黒マスク・毒ガスとマスクの開発競争・薬の開発から毒ガスへ
第3章 日本の毒ガス開発
1.軍縮下での研究推進
ある軍医の塩素ガス中毒との戦い・組織的研究の開始・諸外国の毒ガス事情調査・ドイツの専門家を招聘・化学兵器軍縮から開発への方向転換・お雇い外国人
2.大久野島での毒ガス製造
新しい軍需施設・フランスの装置で製造開始・毒ガスの洗礼・実験室から工場へ・青酸による死亡自己と小鳥の導入・消えない疑惑
3.宰領者
毒ガス輸送事故・安全過信が事故のもと・安全対策・特種試験
4.日本軍の化学戦
化学兵器使用のはじまり・化学兵器使用と歴史認識・実戦使用のエスカレーション・戦地に送られた化学兵器の量・文書と実態の乖離
第4章 第二次世界大戦中の毒ガス
1.ヒトラーの毒ガス
神経ガスの登場-ダブン・サリンの発見・なぜドイツは使わなかったか・敗戦による分捕り合戦
2.米軍による対日報復毒ガス使用計画 ルーズベルトの警告・ローマ法王への依頼・やぶへびになった赤十字への依頼・大規模な毒ガス攻撃準備
3.日本軍の化学戦戦略
歴史的展開・敗戦前の大転換・毒ガス生産・毒ガス弾生産・毒ガスマスク生産・検知システム・日本赤軍の実力
第5章 毒ガスの明日
1.日本の処理問題
日本は毒ガス研究開発を中止できなかったか・中国にはどれくらい残っているか・中国で処理された毒ガス弾・日本の遺棄化学兵器処理・日本国内での処理・米国の処理・日本がなすべきこと
2.毒ガスは貧者の核兵器ではない。
CWCを批准しない理由・広島型原爆一発はサリン搭載ミサイル二三発分・残るテロリスト対策
あとがき
引用・参考文献リスト
化学兵器とは毒ガスを詰めた砲弾のことである。世界大一次・二次大戦中に多量の化学兵器が量産された。2003年になっても日本の各地(茨城県神栖町、神奈川県寒川町)と中国(チチハル市)で、旧日本軍が遺棄した毒ガス弾による自然と人間に被害者が出た。日本政府は公的に認め救済と保証に乗り出した。しかし、これらは氷山の一角にすぎず中国にはいまだにぼうだいな数の毒ガス弾が埋まっている。中国は日中国交正常化のさい賠償請求権を放棄しているが、それらが発見されるたびに、あくまで「見舞い金」としての救済と保証をくりかえさなければならいのである。その費用は莫大である。
一昨年、米国はイラクが大量破壊兵器を隠蔽していると捏造し、イラク爆撃を開始し、軍事施設ばかりか多数の民間人を殺戮した。ここでもイラク爆撃と政治支配の米国の論拠は化学兵器だったことを考えると、化学兵器はいまだもって現代の問題であることを知る。
その毒ガスが開発が始まったのは1914年に「毒ガスの父」と呼ばれるF・ハーバー(1868-1934)の砲弾の実験であったとされる。第一次大戦中のベルギーのイープルでの塩素ガス攻撃に前後してフランス、ドイツでも先制攻撃の手段として量産され、それいご、それにはどめがきかなくなっていく。化学兵器の毒ガス弾の開発には世界の第一線級の科学者(化学者)がきわめて大きな役割を果たした。こうして塩素ガス、ホスゲン、イペリットの開発とともに毒ガスマスクの開発競争が始まるのである。
日本の毒ガス開発は陸軍軍医の小泉親彦(1884-1944)が組織的に研究を行ったことに始まる。日本は積極的に諸外国の毒ガス開発研究の調査にのりだしお雇い外国人まで投入し、国際的に秘密裡に化学兵器を開発を進めていく。大久野島に毒ガス製造の軍事施設が作られ種々の研究開発が実施されたのち、日本はやがて中国各地にびらん剤、くしゃみ剤、窒息剤などの毒ガスを投入するが、ヨーローパ(イギリス、フランス、ドイツ)でも同様でありタブン、サリンなどの毒ガスの開発競争が進んで行く。こうして著者は日本の毒ガス開発研究を世界の趨勢の中に位置づける。
もっとも大切で重要なことは日本の毒ガスの処理の問題である。著者によると、日本政府は中国に残した遺棄化学兵器の処理費用の予算として昨年(2003年)時点で306億円を計上した。さらに、著者は中国に遺棄した化学兵器の数を試算している。それよると、旧日本陸軍の化学弾の生産総数は最低でも190万発で、行方がつかめないのが180万発であり、このうち、中国には153万発の化学兵器が残っていると見積もっている。気の遠くなる数である。
一方で米国と旧ソ連で核開発競争が起こったが、核兵器と化学兵器をめぐる核保有大国の欺瞞性を告発する。こういうことだ。広島型原爆一発分の能力を有するサリン搭載ミサイルは23発とそれを輸送する爆撃機が必要である。それらの困難さを隠蔽し、核保有大国が自ら化学兵器を廃棄したからといって、非核保有国に化学兵器の廃絶を要求するのは欺瞞であり、核の残虐性を隠すものだという。しごくまっとうな認識である。
こうした現代の国際政治情勢にあって日本の為すべきことはなにかを著者は提言している。まずは①旧日本軍が中国に遺棄した化学兵器の実態を調査する専門機関を作り、聞き取り証言を含めた総合的な実態調査にあたることであり、②そのことがアジア諸国にいぜんとして負の遺産を抱えたままの日本が、アジア諸国の信頼を勝ちとり、国の「品位」と「威厳」を増すことにもなると説く。同感である。いまこそ、長年、科学史家の立場から戦時研究に渾身の力を注いできた著者の歴史的で学問的な営為に日本政府は積極的に応じるべきなのである。
私はこの書評を本誌に寄稿する意味を自問する。著者の多年の学問活動は現代の科学技術社会の最前線で活躍する科学者・技術者の目前に、かつてのわれわれの先輩の科学者・技術者たちが行ってきた「負の遺産としての研究」を、なまなましく全面的にさらけ出すことによって、かれらのあるいはわれわれ自身が、日本の科学技術体制を問い直すこと求めているのである。科学史家の役割はここにある。それいがいなにがあろうか。
この自問は私自身の学問活動とも密接に連動している。私がやるべきことは、たとえば戦時研究であれば著者のすべての著作を読み込み熟考し、著者をも巻き添えにしながら、私自身が主体性をもって一般の市民と生活者の前に戦時研究のすべての内実を全面的にさらけ出し議論と交流をはかり、現代の科学技術社会における科学と学問の有り様をひとつひとつ再考し、あらたな指針や生き方を繰り返し模索することである。その主たる根拠地は寺子屋的学問所「湘南科学史懇話会」である。
最後に書評のしきたりを逸脱するかも知れないが、どうしても著者のその他の学問活動を知ってほしいので主要な著作をまとめて挙げておきたい。
著書
『細菌戦部隊と自決した二人の医学者』(共著)新潮社、1982年
『標的・イシイ731』大月書店、1984年
『奇病流行性出血熱』(共著)新潮社、1985年
『原点科学史』(共著)朝倉書店、1987年
『消えた細菌戦部隊-関東軍第731部隊』(増補版、海鳴社、1989年。ちくま文庫、1993年)
『骨は告発する』海鳴社、1992年
『消えた細菌戦部隊』ちくま文庫、1993年
『日本医学アカデミズムと七三一部隊』(新装)1993年
『日本科学者伝』小学館、1996年
『毒社会を騒がせた謎に迫る』講談社、1999年
『化学物質は警告する』洋泉社、2000年
『毒物の魔力』講談社、2001年
訳書
カルロ・M・チポラ『時計と文化』みすず書房、1977年
アラン・D・バイエルヘン『ヒトラー政権と科学者たち』岩波現代選書、1980年
クルト・メンデルスゾーン『科学と西洋の世界制覇』みすず書房、1980年
トーマス・サミュエル・クーン『コペルニクス革命』講談社学術文庫、1989年
『ヒポクラテスの西洋医学序説』(編訳)小学館、1996年
ジョン・ブロイス・ロゼー『科学哲学の歴史』(復刻版)紀伊国屋書店、2001年
ジェシカ・スターン『核・細菌・毒物戦争』講談社、2002年
エリック・クロディー『生物化学兵器の真実』シュプリンガー・フェアラーク東京、2003年