原著はMax Caspar編 Johannes Keplar gesammelte werke, Band Ⅵ, "Harmonice Mund"全5巻、原著の初版は1619年。ラテン語原文はBAdW 002334742
Ⅰ はじめに
Ⅱ 『宇宙の調和』の総目次
Ⅲ ケプラーのことば
Ⅳ 山本義隆氏のケプラー論とその結語
Ⅴ おわりに
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Ⅰ はじめに
今回はケプラーの『宇宙の調和』(原書1691、日本語訳書2009)の考察である。本書で明らかにされるのは、いわゆるケプラーの第3法則(惑星の公転周期の2乗は軌道長半径の3乗に比例する)であるが、それよりもなによりも、この惑星間のみごとな調和(第3法則)の発見に至る数学的な議論に悪戦苦闘するケプラーの肉声を忠実に読み込み真摯に聴くことである。しかし、そのことばは、ケプラーが使用した原語(ラテン語)ではなく、日本語訳によるから、その臨場感を感じられないかも知れないが、これも仕方のないことだった。
さて、今回取り上げ忠実に再現したのは、本書第1巻第1章の序(論)の全文、第5巻第3章「天の考察に必要な天文学説の概略」の大部分、そして第10章(終章 太陽推論)の全文である。実は正直に言うと、一文字一文字、書き写しながら勉強したというが実情である。では行きましょう。
Ⅱ 『宇宙の調和』の総目次
謝辞 (至高の権力者にして気高き支配者、大ブリテン、フランス、アイルランドの王、信仰やさまざまな事柄の擁護者にして最も深きジェームス陛下に)
凡例
■第1巻:調和比のもとになる正則図形の可知性と作図法から見た起原、等級、序列、相異
序
正則図解の作図法
■第2巻:調和図形の造形法
序
正則図形の造形性
■第3巻: 調和比の起原および音楽に関わる事柄の本性と差異
〔序〕 ピュタゴラス派のテ?ラクテュスについての余談
第1章 協和の原因
第2章 弦の調和的分割
第3章 講和平均と協和の3要素
第4章 協和音程より小さな諧調的音程の起原
第5章 協和音程の諧調的音程への自然な分割と名称
第6巻 調性、長調と単調
第7巻 各調整における1オクターブの完全な分割とすべての諧調的音程の自然な順序
第8巻 1オクターブ内の最小音程の数と順序
第9巻 記譜法すなわち線と文字と符号による弦や音の表記法および音組織
第10章 テトラコードウトと、レ、ミ、ファ、ソル、ラの用法
第11章 音組織の複合
第12章 不順な協和音程
第13章 自然に諧調する適切な歌唱とは
第14章 いわゆる調つまり旋法
第15章 どの旋法ないし調がどんな情調に役立つか
第16章 和声による歌唱つまり装飾的な歌唱とは
3つの平均についての政治論的余談
■第4巻 地上における星からの光線の調和的配置と気象その他の自然現象を引き起こす作用
序言および順序変更の説明
第1章 感覚的調和比と思惟でとらえられる調和比の本質
第2章 調和に関わる精神の性能はどのようなものがいくつあるか
第3章 神もしくは人が調和を表現した感覚的もしくは非物質的対象の種類と表現
第4章 第4巻の調和と第3巻で考察した調和の相異
第5章 有効な星位の原因および星位の数と星位の等級の序列
第6章 数とその原因において星相と音楽的協和にはどんな親縁性はあるか
第7章 結語。月下の自然と精神の下井の性能ことに占星術を支える性能
■第5巻 天体運動の完璧な調和および離心率と軌道半径と公転周期の起原
序
第1章 5つの正多角形
第2章 調和比と正多角形の親縁性
第3章 天の調和の考察に必要な天文学説の概略
第4章 創造主は調和比をどんな惑星運動の事象にどのように表現したか
第5章 (太陽から見た)惑星の視運動の比に表れる音組織の位置つまり音階のキイと長短の調性
第6章 惑星の極限運動に表現されているいわゆる音学の調つまり旋法
第7章 全6惑星の普遍的調和は一般の体位法同様4声部からなる
第8章 天の協和でディスカント、アルト、テノール、バスになるのはどの惑星か
第9章 各惑星の離心率の起原は惑星運動の調和への配慮にもとづく
第10章 終章 太陽推論
付録
訳注
解説 岸本良彦
索引
著訳者紹介
Ⅲ ケプラーのことば
第1巻の序
調和比は、定規とコンパスを用いる幾何学的な方法による円の等分から求められるべきである。つまり、作図できる正多角形が調和の比のもとである。そこでまず指摘したいのは、刊行された書物から明らかになるが、当今は、幾何学の対象の知的種差がまったく無視されていることである。古人の中でも、幾何学的対象のこの種差を正確に知っているように見えるのは、ユークリッドとその注解者のプロクロスしかいない。アレクサンドリアのパッポスや彼の私淑する先人が問題を面と立体と線に関する事柄に分けたのは、幾何学的課題に取り組むときの考え方を説明するには確かにふさわしかった。しかし、その分けかたは簡潔なことばで表され実用的であっても、分類のための理論には何もふれていない。ところが、この理論的研究に専心しないかぎり、調和比はけっして把握できないのである。
プロクロスはユークリッドの第Ⅰ巻に関して4巻の書を公にし、数学分野の理論に取り組む哲学者となったことが知られている。プロクロスはユークリッドの第10巻の注解も残してくれたら、その説を無視しないかぎり、今日の幾何学者も無知を免れたであろう。また私も、幾何学の対象の種差を説明する苦労からすっかり救われたであろう。プロクロスが思惟の対象となる実体の区別を知っていたことは、序文からも容易に明らかだからである。すなわち、数学の本質全体の根源的な原理は同一で、この原理がすべての実体に浸透しており、実体はすべてこの原理から生じるのである。この原理は、限定と無限定、ないし有言と無限である。有言つまり周囲を取り囲むものを形相とし、無限を幾何学の対象の資料とする。
幾何学で扱う量に特有なものは形と比である。形は個々のものの大きさを、比は2つ以上のものの大きさの関係を著す。形は境界によって決まる。直線の境界は点、平面の境界は線、立体の境界は面である。周囲を囲まれると形になる。限定され周囲を囲まれて形になったものは知ることはできるが、無限定で境界のないものはそのままでは全く知られない。定義によって境界を決めて初めて知られるからである。また境界のないものは作図することもできない。ところが形は作られた物よりも前にまず原型の中にある。被造物よりも前にまず神の御心の中にある。形を与えられる物の種類はさまざまだが、その本質となる形相は同一である。したがって、量にとって形は知的な本質となる。つまり量の本質的な違いは知のはたらきによってわかる。そのことは比からいっそう明らかである。形は複数の境界によって決まる。複数の項があるから形は比を取ることになる。
比が知のはたらきの及ばないようなものだとしよう。そういうものはどうしても理解できない。こうして、大きさに本質的な原理として境界があることを認める者は、形になった大きさに思惟によってのみ得られる本質があると考える。こういうことはあえて議論するまでもない。プロクロスの書を読めばいいからである。そうすれば、プロクロスは幾何学の対象に知的な種差があるのを熟知していたことが、十分に明らかになる。ただし、その点だけをことさら強調しているわけでもないので、注意しなければならない。プロクロスのことばはいわば広い河床を滔々と流れ、至る所で深淵なプラトン哲学の非常に豊かな思想に被われている。本書の特有な議論もその流れに連なるものにほかならない。
だが、われわれの時代においては、これまでそれほど深く隠れたことを突き止める余裕がなかった。ペトルス・ラムスはプロクロスの書を読んだが、哲学の核心にふれることについては、ユークリッドの第10巻もプロクレスの説も同じく無視し打ち捨てた。ユークリッドの注解を著したプロクロスは、ユークリッドを弁護したとして斥けられ、沈黙を強いられた。
容赦ない検閲官ラムスはユークリッドを被告として弾劾した。厳しい判決によってユークリッド第10巻は有罪と宣告され、読むことを禁じられた。だがこの10巻を読んで理解したら、哲学の秘密が明らかになっただろう。読者はラムスのことばを読まれるとよい。そのことばによって、彼はまさにラムス〔小枝〕という名にふさわしい〔枝分れして本質から外れている〕ことを公にした。『数学講義』第21巻はこう言っている。
第10巻で提出された題材は、人間の文芸において類まれなほど曖昧に語られている。ユークリッドの教えが曖昧でわからないというのではない(その教えは、そのまま現に記されていることだけに注意を払えば、無知無学な者にも明らかになるであろう)。そうではなく、その著作にどんな目的と用途があるのか、その主題の類と種と種差は何か、調べて明らかにしようとすると、曖昧なのである。私はこんなに混乱紛糾したものを読んだことも聞いたこともない。どうも、ビュタゴラス風の迷信がこの洞窟の中に入りこんだように思われる。
ラムスよ、君がこの書をかくも曖昧だと中傷したのは、この書を見くびりすぎたからである。著者の意図がわかるようになるまでには、もっと大きな苦労が必要だし、平静さも、心遣いも、ことに念入りな集中も必要になる。高遭な精神を抱いて懸命にこの書と取り組んで初めて、自分が真理の光の中に包みこまれることの気づき、信じられないような喜びに満ちあふれ、恍惚となる。そして高めから眺めるように、世界全体とその各部のあらゆる違いとを非常に正確に見渡せるのである。だが君は、信仰も世事も浴得ずくの大衆と無知の保護者になっている。君は君の一派にとっては、ユークリッドの第10巻は「途方もない詭弁」で、「ユークリッドは際限もなく時間を浪費し」、「その巧妙な説は幾何学にふさわしくない」かもしれない。わかりもしないことを咎めるのは君たちに任せよう。物事の本源を突き止めようとする私にとっては、ユークリッド第10巻以外には、本源に至るどんな道も開けていなかった。
ラザルス・シェーナーは幾何学ではラムスに従ったが、私の著書『宇宙の神秘』を読むまでは、5つの正多面体が宇宙でどのように用いられているかには、まったく無知だったことを認めた。同書の中で私は惑星の数とその相互の間隔とか5つの正多面体から選び取られたことを証明した。先生のラムスが弟子のシェーナーにどういう害をおよぼしたか、ご覧あれ。まずラムスはアリストテレスの著書を通読した。これは、5つの立体から導き出された元素の性質に関するピュタゴラス哲学を論駁したものだった。そこで内心、ピュタゴラス哲学を軽視しはじめた。次いでラムスは、プロクロスがピュタゴラス派の系列に入ることを知ると、プロクロスがまったく正当なことを主張しているのに、耳を貸そうとしなかった。すなわち、ユークリッドがその著書の最終目的とし、(完全数に関係するものを除く)各巻のすべての命題が全体としてめざしていたのは、実は5つの正多面体だったのである。それがわかなかったので、ラムスは、ユークリッドの『原論』各巻の目的から立体を除く去るべきだという無謀な確信を抱くにいたった。
まるで建物の外形を取り去るように著作の目的を取り除いてしまったので、ユークリッドの書には一定の形を成さない命題の堆積だけが残った。亡霊にでも向かうように、ラムスは口を極めてののしりながら、これほどの人物にまったくふさわしからぬ粗暴さで、『数学講義』全28巻〔実際は31巻〕をもってこの堆積に立ち向かっていったのである。
シェーナーはラムスのこの確信にならって、やはり正多面体には何の用途もないと思いこんだ。そればかりか、ラムスの判断に従ってプロクロスも無視しないしけ軽視した。しかし、シェーナーがプロクロスを読めば、ユークリッドの『原論』の宇宙と構成において5つの立体にどんな用途があるか、学べただろう。確かに、弟子の彼のほうが師のラムスより幸運だった。私が明らかにした宇宙の構成における立体の用途を、祝福のことばとともに受け入れたからである。こういう用途をラムスはプロクロスが挿入したものとして斥けていた。では、ピュタゴラス派がこれらの図形を、私のように宇宙の天球に当てずに、ラムスも図形本来の主題をめぐるピュタゴラス派のこうした誤りを取り除こうと努力すべきで、その哲学をすべて一刀両断してはならなかった。
では、ピュタゴラス派は私と同じことを教えたが、その考えをことばのベールで覆い隠したとしたら、どうだろうか。コペルニクス的な宇宙の形状は、アリストテレスの書にも出てくるではないか〔『天体論』第2巻13〕。ピュタゴラス派は太陽を火〔中心火〕、月を対地球(Antichthoma)と呼んだので、名称が異なるからアリストテレスはこの宇宙の形状を誤って論駁したのではないだろうか。ピュタゴラス派の軌道の配列がコぺルニクス説と同じで、5つの立体とその立体から5という数が必然的に出てくることがすでに知られており、ピュタゴラス派の人たちは皆いつも5つの立体が宇宙の構成要素の原型だと教えていたとしよう。そうすると本当は正しいことなのに、謎めいた表現のピュタゴラス派の考えを読んで、アリストテレスはそのことばを文字どおりに受け取り論駁したと考えても的外れではない。アリストテレスは、ピュタゴラス派が立方体を配したものを土〔地球〕と読み取ったが〔『天体論』第3巻8、307a8〕、ピュタゴラス派は、おそらく、土星のことを考えていた。土星の天体は立方体を間に挟んで木星から隔てられているからである。確かに、人々は土〔地球〕に静止をあてるが、土星は運行の仕方が最も遅く、静止にいちばん近い動きを選んだ。そこで、ヘブライ語では土星は「静止」という語からきた名称を得た。またアリストテレスは、正8面体が空気に当てられると読み取ったが、ピュタゴラス派は、おそらく水星のことを考えていた。水星の天球が正8面体に内接しているからである。動きやすい空気は速く動くとみなされているが、水星も同様に動きが速い(すべての惑星の中で最も速い)。火ということばでは、おそらく火星とほのめかしていた。火星にはほかにも火に由来するピュロイス(火をあらわすギリシア語pyrの形容詞)とう名称がある。火には4面体が当てられた。おそらく火星の天球が正4面体に内接するからである。正20面体を割り当てた水のベールの下には、(金星の天球が正20面体にすっぽり入るので)ウェヌスという名の金星を覆い隠すことができた。
ウェヌスは水に属するものを支配しており、ウェヌス自身も海の泡〔aphros〕から生まれたと言われる。そこでこの女神を著すギリシア語のアプロディア( Aphrodite )という語ができた。最後に、世界(Mundus)という語は地球も表すことができた。この世界つまり地球には正12面体が外接する。正12面体が周囲全体を12の面で囲まれるように、地球の軌道はその長さが12の部分〔つまり12か月〕に分けられ、正12面体に含まれるからである。したがってピュタゴラス派の秘義では、5つの図形が、アリストテレスが考えたように各元素ではなく、各惑星に配分されていた。その何よりの証拠は、プロクロスが、幾何学の目的は何よりも天体がどのようにして特定の各部にふさわしい図形を受け入れているかを教えることにある、と伝えていることである。
しかも、われわれはラムスから受けた被害はそれだけではない。例えば今日の幾何学者の中で最も賢明なスネルを見るとよい。彼は、ルドルフ・ファン・ケーレンの『問題集』に対する序文で全面的にラムスに賛同している。スネルはまず「無理量を13種に分けた分類〔ユークリッド『原論』第19巻命題ⅠⅠⅠに見える〕は何の役にも立たない」と言う。もしスネルが日常生活に役立たないかぎり、どんな用途も認めず、また自然学の考察が実生活に何の役にも立たないのであれば、私も彼の主張を認めよう。だが、スネルはなぜ自分が引用するプロクロスに従わないのか。プロクロスは幾何学に、実生活に必要な術より何かもっと崇高な効用を認めているのではないか。プロクロスに従えば、第10巻の用途が図形の種類の可知性による評価にあることも明らかになったろう。スネルは権威ある保証人として、ユークリッド第10巻を用いないような幾何学者をあげる。確かにそういう人々は皆、線の問題とか立体の問題を扱っている。しかし彼らは、図形や〔それを構成する線分の〕大きさについては、それ自体に本来の目的があるわけではなく、明らかに何か別の用途があり、そういうよう用途がなければ研究されないようなものとして扱っている。一方、正多角形は元型としてそれ自体のために研究の対象となり、それ自体の内に完全性があり、平面の問題の基本になっている。立体も平面に囲まれるかぎり例外ではない。同じく第10巻の題材も特に平面に関連する。では、なぜことなる種類の平面をあげているのか。コドロスが空腹を満たすためではなく、クレオパトラが耳を飾るために買うものが、なぜ商品価値が低いとみなされるのか。〔実用にならない幾何学的な問題は〕「才能ある人々に負わされた十字架にすぎない」のか。数値つまり有理数で表すことによって無理数を乱暴に扱う人々のとっては、確かにそうであろう。
しかし私は、この種の無理量を代数学によって数値で扱うのではなく、思惟による論証を用いる。私がこういうものを必要としているのは、商品取引の場でも勘定を計算するためではなく、物事の本源を説明するためだからである。スネルの考えでは、そういう精緻な事柄は、『ストイケイオシス〔原理〕』から分離して書庫の中に隠さなければならない。彼は、まったくラムスの忠実な弟子として振る舞い、ふさわしい仕事を果たしているのである。ラムスはユークリッドの建物から外形を取り去って、棟木となる5つの立体を壊した。それらを失い、全体を結合する枠組みが解体してしまい、ひび割れた壁が立ちつくし、アーチは今に崩れ落ちようとしている。さらにスネルは漆喰も取り去った。5つの図形をもとに組み立てた家を堅固にする以外に、漆喰には何の用途もないからである。弟子の浅知恵の何とおめでたいことか。彼はラムスからどれほど器用にユークリッドの理解の仕方を学んだことか。彼 ら2人とも、ユークリッドの書ではさまざまな多くの命題と問題と定理があらゆる種類の幾何学的な量と量に関する実用的な術のためにあるから、その書がギリシア語でストイケイヤ(Stoicheia 「基本原理の集成」)と言われたと考えた。ところがその書は、いつでも後に続く命題が先行する命題にもとづき、先行するどんな命題も欠かせない最終巻(と部分的には第9巻)の最後の命題に至るから、その形態からストイケイヤ(Stoicheia 「基本原理の集成」)と言われたのである。ラムスもスネルも、ユークリッドはどんな家でも自身のために構築せず、ひたすら他人の便宜を図るためにその書を著したと考えて、建築家を森番か材木商にしている。しかし、以上の点については、ここで十二分に述べたので、議論の初めに戻る。
すでに見たように、私が調和比を取り出す源とする幾何学的対象の真に正しい種差は、一般には全く知られていない。かつてその研究をしたユークリッドは、ラムスの中傷により斥けられた。揶揄する声に遮られて誰も主張を聞き届ける者はいない。あるいは耳の聞こえぬ者に哲学の秘密を語るようなありさまである。プロクロスは、ユークリッドの英知を明らかにし、深く隠されていたものを引き出し、難解なことを明確にしたのに、ばかにされて彼の〔『原論』に対する〕注解も第10巻まで続けられなかった。そこで全体に以下のようにすべきことが判明した。
初めに、私の現在の企てに特に役立つことをユークリッドの第10巻を書き写す。さらに一定の区分を設けて第10巻の一連の課題を明らかにし、ユークリッドがその区分のいくつかの部門を省略してしまった理由を示す。その後に初めて直接に図形について論じることにしよう。その場合、ユークリッドの証明が非常に明らかであれば命題の単純な引用でよいとした。ただし、ユークリッドは多くのことを違う方法で証明したので、それらについては私の目的にあわせ、知りやすい図形と知られていない図形〔第1巻定義8参照〕の比較対象のために、ここでやり直したり、離れていたものを結びつけたり、順序を変えたりする必要があった。引用の便宜をはかるために、『幾何光学』でしたように、一連の定義、命題、定理に通し番号を打ってまとめた。また補助定理にはあまり厳密な注意を払わず、ことばにもそれほど心を砕かず、むしろ事柄そのものに気をつけた。今は哲学において幾何学者の務めを果たすのではなく、幾何学のこの分野で哲学者の務めを果たすつもりだからである。明晰判明を旨として、幾何学の問題についてできるかぎり平易に論じたいと思った。だが、私が幾何学を通俗的に述べたり、題材の曖昧さに圧倒されたとしても、公正な読者が私の仕事を喜んで受け入れてくださるよう希望する。
最後に読者に助言しよう。数学の問題にまったく不案内であれば、解説と飛ばして30から最後までの命題を読むだけでよい。そして証明がなくとも命題をそのまま正しいと信じて、他の巻、ことに最後の巻に進むとように。幾何学的な論証のむずかしさにためらって、調和の考察から得られる非常に快い成果を失うことのないようにされたい。それでは、神の加護のもとに課題に取り組んでいこう.(本書、pp.016-024)
第5巻3章:天の調和の考察に必要な天文学説の概略
この冒頭で心得ていただきたいのは、ポイエルバッハの『惑星の新理論』やその他の概説書の著者によって説明されたようなプトレマイオスの古い天文学の仮説を、この考察から完全に排除しなければならないことである。心からも放逐しなければならない。彼の仮説は宇宙における天体の正しい配列も運動のあり方も伝えていないからである。
プトレマイオスの仮説の代わりに私はあえてコぺル二クスの説を採用する。できればこの説が正しいことをすべの人々に認めさせたい。だが、彼の見解は一般の好学者にとってはまだなお新奇なもので、地球が一惑星にすぎず不動の太陽の周りを巡って星々の間を運行しているという学説は、不条理に聞こえるだろう。
そこで、新奇な見解に抵抗を感じる人は、以下の調和の思索がティコ・ブラーエ説にも妥当することを知っていただきたい。あの先生は、天体の配列と運動の調性の仕方に関するすべての見解をコペルニクスと共有しているからである。コペルニクスとブラーエの大家は一致して惑星運動の系の中心を太陽が占めとするが、ブラーエは地球の年周運動だけを太陽に移し換えている。
こうして運動を移し換えても、やはり地球は、際限もなく広大な恒星天球の宇宙空間ではないが、少なくとも惑星宇宙の系では、どんな時でも、コペルニクスが与えたのと同じ位置を占める。紙の上に円を描く人はコンパスの円を引く側の脚や針を動かないようにしておいて回転する板の上に同じ円を描く。この場合もそれと同様に、コぺルニクスにとっては、地球がその本体の実際の運動によって外側の火星の円と内側の金星の円の間にある円を描く。一方、ティコ・ブラーエにとっては、惑星の系全体(火星と金星の円も他の惑星の円とともにこの系の中心にある)が回転板に取り付けた板のように回転し、火星と金星の円の間にある間隔が、回転板の軸のような不動の地球に固着している。この系の運動によって、地球は自ら不動のままとどまりながら、太陽を巡って火星と金星の間に円を描くことになる。コペルニクス説では、系が静止していて、地球がこの円を実際の運動によって描く。
調和の研究はいわば太陽から見た惑星の離心運動を考察の対象とするので、たとえ太陽が動こうと、研究者が太陽にいたら、その人にとっては(ブラーエに譲歩して)地球が静止していたとしても、やはり地球が2惑星間の年周軌道を2惑星の中間となる周期で通るように見える。これは容易に理解できるだろう。
したがって、星々の間を地球が動くことを理解できないほど猜疑心の強い人間でも、やはりきわめて崇高な宇宙の仕組みのすばらしい研究を喜べるだろう。またそういう人が、離心円上での地球の日々の運動について聞いたことは何でも太陽からの見かけ上の運動に過ぎないとするのであれば、ティコ・ブラーエもまた地球を静止するものとして、そこから見かけ上の運動を提示しているのである。
けれども、そういう人々が非常に楽しい思索に与えることを、サモス人の哲学の真の信奉者が拒む理由はない。彼らがやがて太陽は不動で地球が動くことを受け入れたから、思索は完璧なものであり、この信奉者の喜びはますます完全になるからである。
そこでまず第1にここでは、惑星はすべて太陽の周りを回る、ということが今日ではあらゆる天文学にとって確実となっていると了解されたい。ただし月は除く。月だけは地球を中心とする。その軌道もしくは運行路の大きさは、この紙面〔次頁の図を参照〕では他の惑星軌道と正しい比率で輪郭を描けないほど小さい。他の5惑星に6番目の地球が加わってくる。地球は、静止している太陽に対して自らの固有運動によってか、もしくはそれ自体が不動なのに惑星全体が回転することによって〔つまり、惑星系全体を率いた太陽が回転することによって〕、自身もまた太陽の周りに6番目の円を描く。
第2に、惑星はすべて離心しており、太陽からの惑星の間隔が変化し軌道の特定の個所で太陽から最も遠く離れ、その反体側で太陽に最も近づくことも、確実である。右に添えた図では、個々の惑星の3つ一組の円を作った。いずれも惑星の離心軌道を著すわけではない。しかい、軌道の長径に関するかぎり、例えば火星のBEのような真ん中の円が離心軌道の大きさに等しい。他方、例えばADのような実際の軌道は、Aの側で3つの円のいちばん外側にある円AFに、反対側のDでいちばん内にある円CDに接する。太陽の中心を通って描いた点線の円GHは、ティコ・ブラーエ説による太陽の軌道を示す。太陽がこの軌道を動くとすれば、ここに描いた惑星系全体のあらゆる点も全体としてともに等しい道を進み、しかも各惑星が固有の軌道を進むことになる。その一点つまり太陽の中心が自らの円の一部、例えばこの場合のようにいちばん下の所にくると、惑星系のすべての点もそれぞれが全体としてその円のいちばん下にくることになる。なお金星の3つの円は、離心値から出した間隔が狭いので、意図したわけではないがひとつになってしまった。
第3に、私は22年前に刊行した『宇宙の神秘』から、賢明な創造主が惑星の数もしくは太陽の周囲の円軌道の数を5つの正多面体から選びだしたことを思い起こされたい。正多面体については、すでに何世紀も前にユークリッドが、原素たる一連の命題からなる『原論』と言われる書を著した。それ以上の正多面体がありえないこと、すなわち正多角形の立体的造形」が5回しかできないことは、本書の2巻で明らかにした。
第4に、惑星軌道どうしの比についていうと、隣接する2つずつの軌道間の比の大きさは常に、5つの正多面体のひとつがもつ球、つまり当の立体の外接球と内接球の、特有の比に近似することが容易に明らかになるようなものである。
けれどもこの比は、最終的に天文学が完全なものとなったら万全になるとかってに約束したほど完璧なものではない。ブラーエの観測結果から惑星間の距離をすっかり明らかにした後で、私は次のことを発見したからである。すなわち、立方体の角を土星の内側に当てると、立方体の各面の中心は木星の真ん中の円にほぼ接する。正4面体の角を木星の内側に置くと、4面体の各面の中心は火星の外側の円にほぼ接する。同様にして、正8面体の角が金星のいずれかの円(金星の3つの円はみな非常に狭い間隔の中に集中しているからである)にくると、8面体の各面の中心は水星の外側の円に食い込み、その下方に沈むが、水星の真ん中の円までは及ばない。最後に、正12面体と正20面体の内外接球の比は相互に等しい。そして火星の内側の円から地球の真ん中の円までと、地球の真ん中の円から金星の真ん中の円までの間を計算してみると、火星の円と地球の円、および地球の円と金星の円の間の比ないし間隔は、それらの立体の内外接球の比に最も近い。またそれらの円の比も相互に等しい。すなわち、地球の平均距離は、火星の最小距離と金星の平均距離の比例中項である。けれども、これらの惑星の円どうしの2組の比は、当の立体の内外接円の2組の比よりずっと大きい。そこで、正12面体の各面の中心は地球の外側の円にふれず、正20面体の各面の中心も金星の外側の円にふれない。
しかもこの隔たりは、月の軌道半径を上方で地球の最大距離に付け加え、下方で地球の最小距離から除いても、満たされない。しかし、私は別種の図形の比があることを発見した。その図形は私がウニと命名した、正12面体〔の各面〕を延長第拡大したもので〔本巻第1章および第2巻の図Ss参照〕、12の5角星形からなり、したがって5つの正多面体にきわめて近い立体である。この立体が12の尖端を火星の内側の円に置くと、各芒つまり尖端の基底面となる5角形の辺が金星の真ん中に接する。
要するに、立法体と8面体の対はその惑星軌道にいくらか食い込み、12面体と20面体の対はその惑星軌道に完全には達しない。4面体は無条件にその各々の軌道に接する。つまり惑星どうしの間隔から見ると、最初の場合は不足し、次の場合は過剰で、最後の場合がちょうどぴったりである。
以上から、太陽と各惑星の距離の比はそのまま正多面体のみから選び出されたのではないことが明らかになる。幾何学の直接の源泉であり、プラトンがいうように「永遠なる幾何学を実践する」創造主が、その原型から逸脱することはないからである。
またこの帰結は、惑星はすべて一定の周期でその間隔を変えるので、各惑星が太2つの特徴的な距離つまり最大距離と最小距離をもつ、ということからも引き出せた。こうして、2惑星の太陽からの距離の比較が4通りの仕方で行える。それぞれの最大距離、最小距離、相互に反対の位置にくる最も遠く離れたときの距離、互いに最も接近したときの距離の比較である。そこで、2つの隣接した惑星の距離の仕方の数は全部で20になる。それに対して、正多面体はたった5つしかない。とはいえ、創造主が全体としての軌道の比に配置したとすれば、個々の惑星のさまざまに変化する個別的な距離の間の比にもやはり配慮したのは当然である。この配慮は、全体に対する場合でも同じであり、さらにそれぞれの配慮は互いに関連している。以上のことを考えると、軌道の直径と離心値をともに確定するためには、5つの正多面体の他になおいくつかの原理が必要になる。
第5に、調和を作る運動に言及するために、『火星注解』〔『新天文学』のこと〕でブラーエの非常に確実な観測結果から証明したことを繰り返えしておく。惑星は、同一の離心円を等分した1日分の弧(以下、1日分の弧を「日弧」と訳す)を等速で通過するのではない。①離心円を等分した部分での相異なる所要時間は、運動の源泉である太陽からの距離に常に比例する。逆に言えば、等しい時間つまり各箇所で自然な1日を取ると、それに応じて、②離心軌道の真の日弧は互いに太陽から2つの弧までの距離に反比例する。また同時に、?惑星軌道が楕円であること、④運動の源泉である太陽がこの楕円の一方の焦点にあること、したがって、⑤惑星は遠日点から4分円弧だけ離れると、ちょうど太陽からの平均距離を取ること、つまり遠日点における最大距離と近日点における最小距離の平均になることを論証した。この2つの公理から次のことが出てくる。⑥惑星が遠日点から計算した離心円の4分円弧の終端にあるとき、その真の4分円弧は、正しい4分円弧より小さいように見えるが、しかしその時点において、離心円上の惑星の1日の平均運動は離心円の真の日弧の大きさと同じになる。
さらに次のような結果も出てくる。⑦離心円の真の日弧を2つ取る。その一方が遠日点から、他方の近日点から等距離にあるとしたら、この2つの弧を合わせと2日分の平均的な日弧に等しい。したがって、円周の比は直系の比に等しいから、⑧平均の日弧と、数においては先の場合と同じでも相互に不等な離心円の真の運動については、以上のことをあらかじめ知っておく必要がある。そういう弧と運動から、視点を太陽に置いたときの視運動を理解するためである。
第6に、太陽から見た見かけの弧に関していうと、真の動きが相互に等しくても、①例えば遠日点における場合のように、宇宙の中心から遠く離れた動きほど、中心から見る者には小さく見える。また、例えば近日点における場合のように、近くにある動きほど、同じものでも大きく見える。これは古来の天文学でも認められていた。したがって、中心に近い真の日弧は速い動きのためにいっそう大きくなり、遠く離れた遠日点にある日弧は動きが緩慢になるためになおさら小さくなる。ここから火星に関する書〔『新天文学』〕で次のことを証明した。②ひとつの離心円上の見かけの日弧どうしの比は、十分正確に、太陽からその弧までの距離の2乗に反比例する。例えば、惑星が公転周期の特定の日に遠日点にあって、任意の単位で10単位分太陽から離れており、反対の近日点にくる日に同じ単位で9単位分太陽から離れていたとする。そうすると、太陽から見る惑星の遠日点における見かけの進み方と近日点における進み方の比が81対100になるのは確かである。
ただし、これは以下のような留保付でただしい。まず?離心円の弧が大きくないことである。それは、ひとつの弧が大きく異なるさまざまな距離を共通しないようにするため、つまり長軸端から弧の両端までの距離に顕著な相異が生じないようにするためである。
次に離心値がそれほど大きくないことである。離心値が大きいほど、つまり弧が大きくなればなるほど、弧の受け取る見かけの角度が、弧の太陽への接近の程度を越えて大きくなるからである。これはユークリッド『光学』定理8による。しかし、⑤弧が小さくて距離が大きいと、こういうことは大して問題にならない。私が『光学』第11章で示したとおりである。私がこういう指摘をする理由は他にもある。すなわち、⑥平均近点角周辺の離心円の弧は太陽の中心からだと斜め方向に見ることになる。この傾斜によって見かけ上の大きさは減少する。それに対して、⑦長軸端周辺の弧は、いわば太陽にいて見る者の正面に現れる。したがって、離心値は非常に大きい場合、平均の日運動を減じて調整せず、見かけの日運動を平均距離に適用すると、動きの比に顕著な誤りが生じる。これはやがて彗星の場合に明らかになる。以上すべてのことは『コペルニクス天文学概要』第5巻でさらに詳しく述べる。しかい、個々に考究した天体の調和比の項にも直接関わってくるので、やはりここでも言及しておく必要があった。
第7に、『コペル二クス天文学概要』第6巻で扱うような、太陽ではなく地球から眺めたときの見かけの日運動をたまたま思い浮かべた人は、この課題ではそれをまったく考慮していないことがわかるだろう。地球はそういう運動の源泉ではないから考慮する必要もない。またその運動は、まったくの静止状態つまり見かけの留のみならず、明らかに逆行に陥って人を欺く見かけを取るから、考慮することもできない。
こういうわけで、比は無限に多くてもすべて全惑星に同時に等しく配分される。また、(その運動がやはり運動の源泉である太陽から見たときの視運動だとしても)各惑星の真の離心軌道上の日運動がどういう固有の比を作るか確定するためには、まず各惑星に固有な運動から、5惑星すべてに共通する非本質的な年周運動というこの錯覚を除去しなければならない。こういう年周運動は、コペルニクス説では地球そのものの運動から、ティコ・ブラーエ説では惑星系全体の年周運動から生じる。そこで、各惑星に固有の運動だけを取り出して考慮しなければならない。
第8.これまでは、同一惑星の相異なる弧ないしそこでの所要時間について論じた。次いで相互に対比したときの2惑星の運動についても論じる必要がある。そこで、これから必要になる用語の定義に留意されたい。①上位惑星の近日点と下位惑星の遠日点を、2惑星の「最近接長軸端」と言うことにする。それらの長軸端が宇宙の同一方向ではなくて相異なる方向、さらには相反する方向に向いていても、差し支えない。②「極限運動」とは、惑星の周天運動の中で最も遅い運動と最も速い運動の意と理解されたい。?「収束する極限運動もしくは集中性の運動」とは、2惑星の最近接長軸端つまり上位惑星の近日点と下位惑星の遠日点における運動のことである。④「発散する極限運動もしくは離反性の運動」とは、反対の長軸端つまり上位惑星の遠日点と下位惑星の近日点における運動のことである。ここで再び、当時はまだ明らかではなかったので未解決のままにしておいた22年前の『宇宙の神秘』のある問題を解いて、入れておく。ブラーエの観測結果を用い、非常に時間のかかる絶えざる労力によって軌道の真の間隔を発見し、ついにようやく軌道の比に対する公転周期の本当の比がわかったのである。
それは確かに遅ればせながらこの気力の萎えた者に目を向けた。それでも目を向けたのだ、後から長い時間をかけてやってきて。
正確な日付を求めるならば、この本当の比は、今年1618年3月18日に思い付いた。ところが、いざ計算してみると不運にもうまく行かなかったので、いったん誤りとして斥けた。結局、5月15日にそれが戻ってきて、新たなはずみをつけて私の知性を一掃した。ブラーエの観測結果に取り組んだ私の17年間にあたる労苦と現在のこの思索との一致をみごとに確認したので、初めは、夢を見ていて、求めた結果をあらかじめ前提の中に入れている〔論点先取の虚偽を犯している〕ように思ったほどである。しかし、事柄は非常に確実で正確である。⑤2惑星の公転周期の比は、正確に平均距離つまり軌道そのものの比の2分の3乗るになる〔つまり、t2:T2=r3:R3〕。ただし、楕円軌道の長径と短径の算術平均は長径よりいくらか小さいことに注意する必要がある。
そこで、例えば地球の周期1年と土星の周期30年から得た比の3分の1乗つまり立方根を取り、この根を平方してその比の2乗を作れば、算出した数値に、太陽から地球と土星までの平均距離の非常に正しい比が得られる。すなわち、1の立方根は1で、その平方は1である。30の立方根は3より大きく、したがってその平方は9より大きい。実際、土星は太陽からの平均距離が太陽から地球までの平均距離の9倍よりいくらか高い。第9章で、離心値を明らかにするためにこの定理を用いる必要がある。
第9。かりにエーテルの大気中を通過する各惑星の真の日々の行程を、いわば同一の物差しで測りたければ、〔見かけではなく〕真の離心円の日弧の比と、各惑星の太陽からの平均距離の比の2つを、合わせる必要がある。後者の比は軌道の円周の大きさの比と同じだからである。すなわち、各惑星の真の日弧をその惑星の軌道半径と掛けなければならない。こうすると、それらの行程が調和比を作るかどうかを調べるのにふさわしい数値が出てくる。
第10。太陽に視点を置くとこのような一日の行程は、それぞれ見かけの大きさがどれくらいになるか。算出する必要がある。これを天文学から直接に求めることもできる。けれども、行程の比で、平均距離ではなくて離心円上の各位置での真の距離の逆比を加えても求められる。すなわち、上位惑星の行程を下位惑星の太陽からの距離に乗じても、また逆に下位惑星の行程を上位惑星の太陽からの距離に乗じても、この大きさが得られる。(本書、pp.419-425)
第5巻 第10章 終章 太陽推論
天体の音楽からのその聴者へ、学芸の女神ムーサたちから合唱を司る神アポロンへ、つまり公転して調和を作る6つの惑星から、あらゆる運行の中心にあってその場へとやってきた。惑星の極限運動の間に成り立つ調和の音楽は、天空の大気中での真の速さではなく、惑星軌道の日弧の両端を太陽の中心と結んだときにできる角度を取り上げてみるとすると、完全なものとなっている。
また調和が潤色するのは、比の項つまり個々の運動そのものではなく、相互に結合し対比される運動で、そのためには、そういう運動が知覚作用をもつ知性の対象となる必要がある。対象から作用を受ける者がないのに対象を整序しても意味がない。したがって、上述の角度が成り立つ前提として、われわれの視覚に似たはたらきがあるように思われる。あるいは第4巻で、月下の自然が惑星からの光線によって地上に形成される角度を知覚するのに用いた感覚のようなものでもない。太陽の視覚がどういうものか。どういう目があるのか。目がなくともこういう角度を知覚し、門戸を通って知性の玄関に入ってくる運動の調和を評定できる、他のどんな直観があるのか。太陽の知性は結局どういうものか。
こういうことを推測するのは、地上に住む者にとっては容易でない。けれども、そういうことがどうであろうと、永遠の公転によって太陽を敬慕し崇めるような6つの主要な球を、太陽の周りに配置したことは確かである(同様にしてそれぞれに、木星球を4つの月、土星球を2つの月、地球とその住人たるわれわれをひとつの月が、運行し取り巻き、敬い、慈しみ、われわれに仕える)。さらにその考察に、太陽に関わる事柄に至高の摂理がはたらいていた明白な形跡として、調和に関わるこの特別な仕事が加わってくるから、次のように認めざるをえない。太陽から宇宙全体に、宇宙の焦点ないしは目から出るように光が出ていき、心臓から出るように、生命と熱が出ていき、王にして主動者から出るようにあらゆる運動が出ていく。
それだけでなく、逆に太陽の中に、その王権によって宇宙のあらゆる属州から、非常に望ましい調和という税収が集められる。あるいはむしろ太陽の合流する2惑星の各組の運動の形象が、知性のはたらきによってひとつの調和に統合される。これは、素材としての金銀から貨幣が鋳造されるようなものである。要するに、太陽には、自然の王国全体の元老院、元首の公邸、総督本部ないし王宮がある。創造主がそこに首相、侍従、長官として誰を任命しようと、問題ではない。またその座を用意したのが、当初から創造するもののためであろうと、いつか移ってくるもののためであろうと、問題ではない。地上の粧いも、そのための観想者、受容者が予定されていたのに、大部分は非常に長い間にわたって、適任者を欠き、座は空席だった。
そこで以下のような考えが浮かぶ。アリストテレスの書に見える古のピュタゴラス派は宇宙の中心(彼らはそこに火をもってきたが、それで太陽を示唆していた)を「ゼウスの部署」と呼び慣わしていたが、それは何を意味していたのか。同じく昔の聖書翻訳家が詩篇の詩句を「主はその幕屋を日の中に置いた」と訳したとき、心の中で何を考えたのか。
また私は最近プラトン学派の哲学者プロクロス(彼については先行する巻でしばしば言及した)の讃歌も見つけた。この讃歌は太陽のために書かれたもので、たた「聴け」という一語だけを除けば、神々しい神秘に満ちている。もっとも、プロクロスが太陽に呼びかけながら、「その幕屋を日の中に置いた」神をほのめかすことは、先ほど引き合いに出した昔の聖書翻訳家がある程度は許容していた。
実際、プロクロスが生きた時代は、ナザレ生まれのわれらが救い主イエスを神と公に認め、異教徒の詩人の神々を蔑にすることが、この世界の統合者やさらには民衆の手によってあらゆる責め苦で罰せられる罪だった時代(コンスタンティヌス、マクセンティウス、背教者ユリアヌス治下)である。そこでプロクロスは、プラトン哲学からも知性の自然な光によって、神の子、あらゆる人間を照らす真実の光が、この世界にやってくるのを遠くから認めた。
しかしまた、迷信深い大衆といっしょになって神性を感覚的対象に求めてはならないことも、知っていた。けれども、感覚的対象たる人の子キリストではなく太陽に神を求めるならよかろうと考えた。こうして、ことばの上でだけ詩人の語るティタンを讃美し異教徒を欺き、同時に自らの哲学に没頭して、異教徒を目に見え太陽という感覚的対象から、キリスト教徒をマリアの息子という感覚的対象から、引き離そうとした。
プロクロスはあまりにも知性の自然な光を信頼したので、受肉の神秘を斥けたからである。それとともに結局は、キリスト教のもつ最も神聖なプラトン哲学にいちばんよく合う説を、自身の哲学に採用した。したがって、キリストの福音の教えは、自分のものを返還するようプロクロスのこの讃歌に求めて当然なのである。
ティタンは、「金の手編」「光の宝庫」「天宮の大気の真ん中の玉座」「宇宙に心臓部にある光り輝く円」をもっていてよい。コペルニクスも太陽にそういう姿を与えている。また「繰り返し行われる日輪の戦車の操縦」もしてよい。もっとも、昔のピュタゴラス派の説では太陽はそういうものはもたず、その代わりに「中心」「ゼウスの部署」を取る(ピュタゴラス派のこういう教説は、時代の積み重ねによる忘却の大洪水によって姿を変えてしまったので、その後継者たるプロクロスは気付かなかった)。
さらに「自身から生まれた子孫」やその他、自然にあるものは何でももってよい。しかし、プロクロスの哲学がキリスト教の教義に譲渡すべきもの、感覚的対象たる太陽がマリアの子に譲渡すべきものがある。プロクロスがティタンの名の下に呼びかける神の子、「おお王よ、命を支える泉の鍵を自らもつ方よ」と「あなたは万物を、精神を目覚めさせるあなたの摂理で満たした」という個所や「運命」の測り知れない力、そしてその他、福音が告知される以前にはどんな哲学にも読み取れなかったもの、威厳的な鞭を恐れる悪鬼たち、「高みに坐(ましま)す父の、四方に光芒を放つ宮居を忘れさせようと」魂を待ち付せる悪鬼たちである。さらに、プロクロスのいう「ことばに表すことのできない父のところから現れると、互いにせめぎ合うさまざまな要素の響きわたる騒音が止む、ある万物の父なる神の似姿」とは、父をいうことばにほかならない。
大地は素材のままの無秩序な魂で、闇は深淵の表面をおおっていた。そして神が光を闇から分かち、水を水から、海を乾いた陸地から分かった。万物はことばそのものによって作られた〔創世記第1章やヨハネ福音書第1章3を参照〕。こういう表現もキリスト教のものである。「魂を高みに導く者」「多くの涙を伴う祈り」をささげるべき精神の牧者、われわれを罪から浄め、「生誕」の汚れから救い出し(プロクロスは原罪の火が燃え上がる火口を認めているかのようである)、「義のすばやい眼差しを宥めつつ」つまり父の怒りを宥めつつ罪と害悪とから守る者は、神の子たるナザレ生まれのイエスにほかならない。それが「人を破滅させる毒から生まれる暗闇を追い散らし、」闇と死の陰に包まれている魂に「聖なる光と麗しい敬虔から揺るぎない幸いを」与えるというのは、聖性と正義の中でわれわれが生きているかぎり日々神に仕えることで、まるでザカリヤの讃歌〔ルカ福音書第1章68-79参照〕から引いたことばのようである。
そこで、以上の説や類似の説を切り離し、本来の所有者たるカトリック教会の教義に返そう。そして、特にこの讃歌に言及した理由を見てみよう。それは、「高みから豊かな調和の流れを注ぐ」太陽、「キタラの伴奏ですばらしい歌を歌って、ごうごうと轟(とどろ)く生誕の大波を寝かしつける」ポイボス〔アポロンの名のひとつ〕をその血筋から出した太陽、「どんな苦痛も取り除く調和で、広い宇宙を満たす」(オルペイスも同じように太陽について「宇宙の調和ある運行を牽引する」というパイアン〔やはりアポロンの名のひとつ〕を合唱部部踏隊の仲間とする太陽に対して、プロクロスが讃歌の最初の詩句でただちに「理知の火の王」として称えた挨拶を送っているからである。同時にプロクロスはこの導入部の敬意を表す詩句で、ピュタゴラス派が火ということばで理解していたものを示す(したがって、師が太陽を宇宙の中心に置いたのに、その位置について弟子が師と意見を異にするのは、奇異なことである)。それとともにプロクロスは讃歌全体を、太陽の具体的な姿とその性質たる光つまり感覚的対象から、知的対象へと転ずる。そしてその「理知の火」(おそらくストア派の術の火もこれと同じである)、彼の師プラトンの神、主たる知性つまり「純粋知性」に、太陽の具体的な姿の中にある王座を割り当てた。こうして被造物と、万物創造の仲介者となったものとを融合してひとつにした。
しかしわれわれキリスト教徒は、この両者をもっとよく区別するよう教えられた。われわれの知るところでは、「神とともにあった」〔ヨハネ福音書第1章〕そして万物の内にあってもどんな坐にも縛り付けられず、それ自体は万物の外にあっても何ものにも排除されない、創造によらずに存在する永遠の「ことば」(Logos)が、栄光に満ちた処女マリアの胎内から肉体を取り、位格が一体となった〔三位一体が実現した〕。
さらに、肉体の務めを果たすと、宇宙の他の部分より優れて高みにあり、栄光と威厳とともに至高の父も住まわれる天を、王座とした。そして信者たちにも、父の家に住まうと約束した。その座をめぐることについて他にもっと好奇心をそそられることを求めたり、目にしたことも、耳にしたことも、心に浮かんだこともない事柄を見付け出そうとして、感官や自然の推理力まで動員したりするのは、不必要であろう。また創造された知性は、どれほど優れていようと、創造者より下位に置くのが当然である。
アリストテレスや異教徒の哲学者に与して理知を神々として持ち込んだり、占星術師に与して無数の惑星霊の群れを持ち込んだり、怪しげな降霊術で呼び出したものを崇めたりしないように注意深く避けながら、さらに自然の推移力も用いて自由に探求するのは、〔創造された〕それぞれの知性が、特に宇宙の心臓部において、世界霊魂(Anima mundi)の役割を果たし、事物の本性と密接に結びついたら(あるいはまた人間の本性とは異なる本性をもつ理性的な被造物も、このような霊魂を与えられた太陽の天球に住んでいるか、やがて住むことになったら)、その知性はどういうものになるか、ということである(拙著『新星について』第24章の、世界霊魂とその若干のはたらきについて参照)。
類比の糸をたどって自然の神秘の迷宮に入って行くことができたなら、次のような議論が出てきても的外れではないと思う。すなわち、6つの軌道と、その軌道やさらに全宇宙の共通の中心との関係は、「思考」〔間接知〕と「知性」〔直接地〕の関係と同じで、両者の性能は、アリストテレスやプラトンその他の人々が区別しているとおりである。また太陽をめぐる各惑星の公転運動と、宇宙の全体系の真ん中にある太陽の自転との関係は(この自転は太陽の黒点によって裏付けられる。これは『火星運動注解』〔『新天文学』第34章〕で証明した)、やはり「思考のはたらき」と「知性のはたらき」つまり推理による多様や論理と非常に単純な知性による洞察との関係と同じである(第4巻第1章参照)。
実際、太陽が自転し、そこから放射した形象によって全惑星を動かすように、知性も哲学者たちが教えるように、自身と自身の中にある万物を理解し推理するはたらきを喚起し、自らの単純さを推理のはたらきに伝搬し広げて、万物の理解を促す。しかも惑星が中心にある太陽の周りを回る運動と推理を行う論証とは相互に絡み合い結び付いている。したがって、われわれの居住する地球が、ある場所から別の場所へ、ある位置から別の位置へと移動しながら、他の惑星軌道の中間にある年周運動の円を通過していくのでなければ、人間の推理は、正しい惑星どうしの間隔とその間隔に依拠する他の事柄には、努力しても到達できず、天文学を確立することはできなかったであろう(『天文学の光学的部分』第9章参照)。
逆にいうと、みごとな対応によって、太陽が宇宙の中心に静止していることから、洞察の単純さが出てくる。太陽から見た運動の調和は、方向の相違によっても宇宙空間の大きさによっても限定されないと、これまで常に繰り返してきたからである。確かに、知性が太陽からそういう調和を眺めるとしたら、惑星どうしの間隔を測定するための推理や論証を駆使する必要もなく、運動や定位置もいらない。知性は、各惑星がその軌道上に実際に描く日運動ではなく、太陽を中心とする中心角としての日運動を対比する。軌道球の大きさの知識は、労苦して推理をはたらかせなくとも、初めから知性にそなわっているはずである。人間の知性についても月下の自然についても、これがある程度正しいことは、すでにプラトンとプロクロスの説から明らかにした。
そうであれば、プロクロスの讃歌の冒頭の詩句で提供するピュタゴラスの酒器でたっぷりと一杯やって体が温まり、惑星合唱隊の非常に甘美な調和で眠気を催した人が、夢を見て(作り話でプラトンのアトランティスを、夢でキケロのスキピオをまねることも許されるだろう)、以下のように夢想しても不思議ではなかろう。
太陽の周りを場所を変えながら順次移っていく惑星本体の球に、広く論証もしくは推理の性能が伝播された。その性能の中で無条件に卓越した最も完全なのは、その天球の中間にある地球の、人間の性能であろう。また太陽には、単純な知性つまり「理知の火」ないし「直接知」が住まう、それがどんなものであれ、それこそあらゆる調和の源泉である。
実際、惑星球上の広漠たる不毛な空間について、ティコ・ブラーエは、宇宙の広漠たる空間がむなしいものではなく、そこに住まう者に満ちあふれていると考えた。それならば、この地球上で識別できる神の多様な御業と御心から他の惑星球について憶測してもよさそうに思われる。すなわち、神は、水面下に生きものが吸い込める空気がないのに、水に棲む種を創造した。大気中の広漠たる空間には翼に支えられた鳥たちを放った。
雪の降り積む北極の地にはシロクマとシロギツネを送り、餌としてシロクマにはアザラシを、シロギツネには鳥の卵を与えた。リビアの極暑の荒野にはライオンを、シリアの果てしなく広がる平地にはラクダを送り、ライオンには飢えに対する、ラクダには渇きに対する忍耐力を与えた。
こういう神が、地球上であらゆる技術とあらゆる慈愛を使い切ってしまうことなどあろうか。突然、公転周期の長短や太陽に対する接近、離心値の相異、天体の明るさや暗さ、あるいは各惑星が取る領域を支える正多面体の属性に合った、適切な被造物によって、他の惑星球も、粧うことができただろうし、そうしただろう。現に、この地球上の生きものたちは、正12面体の男性の雛形と正20面体の女性の雛形(正12面体は地球の軌道を外側で、正20面体は内側で支えている)、そして最後にその夫婦が取る神聖比とこの比が無理数であることの中に生殖の雛形をもっている。それなら、他の惑星球はその正四面体によってどんなものをもつと考えたらよいのか。われわれの居住地をただひとつの月が取り巻くように、木星を4つの月が、土星を2つの月が運行しつつ取り巻くことは、何の役に立つのか。われわれは同様の方法で太陽球についても推論する。そして調和やその他から取り出した、それ自体が非常に重みのある価値を、むしろ具体物に向かう、大衆の理解力に適応した他の憶測と、いわば合併する。
そうすると、他のあらゆることには緊密な対応がある。地球から雲が立ち昇るように、太陽からは黒い煤煙が立ち昇る。地球が雨に濡れて緑に覆われるように、太陽は火の塊にほかならない球体でいっそう明るい炎を放ちつつ燃え尽きる黒点のおかげで光輝く。それならば、他の惑星は満ちあふれているのに、太陽球に何もないということがあろうか。太陽球に何もないとすれば、太陽にそなわるこういう現象は何の役に立つのか。ここには単純な知性をもつことのできる火からなるものが住んでおり、太陽は実際には「理知の火」の王ではないとしても、少なくとも王宮なのだと人の知覚が感嘆の叫びをあげるのではないだろうか。
ここで故意に眠りと果てしない瞑想とを中断し、詩編作者たるダヴィデ王とともに、ただこう呼ばれる。
わが王は偉大であり、主の力は偉大である。主の知は測り知れない。天よ、主をほめたたえよ。太陽よ、月よ、惑星よ、主をほめたたえよ。汝らが創造主を知覚するためにあらゆる感官を用い、称賛するためにあらゆる舌を用いよ。天なる調和は、主をほめたたえよ。調和の発見の証人たちよ、主をほめたたえよ(とりわけ幸せな老境にあるメストリンよ、そうしてください。あなたはいつもことばをかけ、希望を与えて、この仕事を励ましてくれたからです)。またわが魂よ、私が生きているかぎり、汝の創造者たる主をほめたたえよ。感覚によって把握されるものも、知性によって把握されるものも、われわれがまったく知らないことも、知っていることも、みな主ご自身から、主ご自身により、主ご自身の中にあるからである。われわれの知ることなど片鱗にすぎない。それを超えてなお多くの事柄があるからである。主ご自身に世から世へと永遠に称賛と名誉と栄光がありますように。アーメン。(終)
この著作は1618年5月17日(27日)に完成したが、第5巻は(その時には印刷が進行中であったが)1619年に2月9日(19日)に見直した。オーストリアのオプ・デル・エンス州の首都リンツにて。訳者注;( )はユリウス暦に10日を加えたグレゴリオ暦の日付である。(本書、pp.515-523)
Ⅳ 山本義隆氏のケプラー論とその結語
著書『世界の見方の転換』第3巻の最後を飾る第12章全20節で「ヨハネス・ケプラー―物理学的天文学の誕生」を論じている。その項目(節)は全20節からなりつぎのようである。1メストリンとの出会い 2ケプラーの出発点 3宇宙の調和的秩序 4ティコ・ブラ―エとの出会い 5ケプラーとウルスス 6天文学の仮説について 7幾何学的仮説と自然学的仮説 8物理学としての天文学 9物理学的太陽中心理論 10ケプラーの第0法則 11円軌道の破綻 12地球軌道と太陽中心理論の完成 13等速円運動の放棄と面積速度 14楕円軌道への道 15ケプラーの第一法則 16第2法則の完成 17第3法則とケプラーの物理学 18プラトン主義と元型の理論 19ケプラーにとっての経験と理論 20おわりにー物理学の誕生(終)。
この長いケプラー論を締めくくる最終20節「おわりに―物理学の誕生」は、著者のケプラー論の結語となっているので、ここに全文(引用個所は除く)を挙げ、ジックリ読んでみよう。ただし、途中の注( )の文献名は省略する。以下引用。
・・・・・・・・・
一七世紀初頭のケプラーの法則の発見そして一六二七年の『ルドルフ表』の完成によって、惑星の運動(軌道と与えられた時刻での位置)を予測し確定することを目的とした古代以来の天文学は、一応の完成を見た。『コペニクス天文学概要』そして『ルドルフ表』は、ケプラーの天文学者としての同時代における名声を確立し、『新天文学』出版直後にはあまり注目されなかったケプラーの法則にも関心を向けされることになった。一六二九年にグダニスクの数学者ペーター・クリューガーは、書簡で『ルドルフ表』がすでに多くの天文学者によって使用されていることを認め語っている。・・・・途中引用省略(246)。
ケプラーにたいする評価は、ケプラー自身が『ルドルフ表』にもとづいて一六三一年の水星の太陽面通過を予測し、その現象がガッサンディたちによって確認されたことで、大きく高められた。(247)そして一六四一年に二二歳の若さで早世したイギリスのジェレミア・ホロックスは、『ルドルフ表』のわずかなミスを訂正して一六三九年の金星の太陽面通過を予測し的中させたことで、ケプラーにたいする評価をさらに高めることになり、語っている。・・・・途中引用省略(245)。
こうしてケプラーの法則は、一七世紀には次第に受け容れられていった。一八〇九年には数学者フリードリッヒ・ガウスは、以降の研究者にとって「問題はまったく未知の要素を導きだすことではなく、すでに知られている要素をわずかに修正し、狭い範囲に定めることだけになった」と語ることになる。(249)
それとともにケプラーの天文学思想は、それまでの天文学の世界を大きく超えた意味を持っていた。というのも、惑星運動の法則を提唱し解釈するにあたってケプラーは、それが物理学的・動力学的原因によって説明しなければならないという立場を堅持していたからである。
晩年の『コペル二クス天文学概要』は、ケプラーの天文学研究の集大成であり、コペルニクス説を普及させ、自身の三法則を認めさせるのに大きな力があったが、それ以上に重要なことは、天文学の物理学化という、彼が『新天文学』で提唱し、なかなか賛同の得られなかった思想を、より明白な形で語ったことにある。実際、その冒頭はつぎのような対話で始まっている。
〔問い〕天文学とはなにか? 〔答え〕天文学は我々が天や星に着目するときに生じる事柄の原因を提示する学問である。・・・それは事物や自然現象の原理を探求するがゆえに、物理学〔自然学〕の一部である。
そのうえで「通常は物理学は天文学には不必要に思われている。・・・しかし実際は、それはこの分野の哲学にはもっとも関係が深く、天文学者には不可欠のものである」と補足されている。(250)
その背景には「同時に同様に生じ、つねにおなじ尺度に従っている〔二つの〕事象にあては、その一方が他方の原因であるか、それともその両者が同じ原因から生まれたものであるか、そのいずれかである」という命題を「自然哲学の公理」と見なすケプラーの因果性の理解がある。(251) それは、のちに、デーヴィビット・ヒュームによって批判されることになる見方であるが、しかしオッカムやオジアンダーにいたるまでの懐疑論を葬り去り、同時に、ガリレオやボィルからニュートンにいたる近代科学誕生の思想的基礎を形成するものである。
科学史家Bryce Benettの言うように「ケプラーはそれまで誰もなしえなかったやり方で天文学の"物理学化(physicalizing)"に成功した」のであり、それゆえにGingerichの言うように「最初の天体物理学者(the first astrophysicist)となった。(252)そのことは、予備能力にはある程度優れているにもかかわらず「現象を救う」だけの数学的天文学と、事物の本性から運動を説明するが定量的予測能力にかんしては劣っている自然学的宇宙論の、その両者の欠陥を同時に克服するところの、物理学的天文学の扉をこじ開けたことを意味している。それは一方では、数学的カテゴリーに頼らず、定量的観測を等閑視していたこれまでの自然学を数学的に捉え直し、定量的に観測に基礎づけることであり、他方では、数学的記述に終始していた天文学に原因概念を導入することであった。
ケプラーにおける天文学の物理学課化の鍵となったのは、私が前著『磁力と重力の発見』で詳細に明らかにした、天体間に働く遠隔力の概念の導入であった。(253)惑星の運動は太陽のおよぼす、そして太陽からの距離とともに減衰する遠隔力によって制御されているというのは、ケプラーの天体動力学の基本的了解事項であり、それは天体の運動にたいするまったく新しい見方であった。「近代の存在の概念ははじめから力〔の概念〕においてこそ構成される」と言ったのは哲学者Cassirerだが、そのCassirerの言うように、「ケプラーはニュートンにおいて科学的に実行されることになった方法論的な思想をみずからの論理的な基本原理を精力的に追及するなかですでに明瞭に確実なものまで高めていたのである」(254)
そのさいのケプラーの議論の前提である、速度が力に比例するというケプラーの動力学原理にせよ、物体は力が働かなければ静止するという彼の慣性原理にせよ、あるいは太陽の力は惑星を動径に直交する向きに押すものでありその力は距離に反比例するという仮説にせよ、後の力学を知っている立場で判断すればすべて間違っている。そしてまたケプラーの自然思想には物活論の残滓も含まれ、近代自然科学の立場からすると違和感の残る言質をしばしばもらしているし、ケプラーが占星術にこだわっていたことも知られている(詳しくは付記D参照)。彼が天体間の重力を構想した背景には、近代機械論思想にとっては異質であったギルバートの磁気哲学やあるいは占星術の遠隔作用の影響が明らかに認められる。しかしその過程は「未知の領域への旅立ち」なのであり、旧来のものの見方が混入していても、あるいは旧弊な言葉遣いがまつわりついていても、それはしかたがない。
本質的で重要なことは、天体(惑星や月)が地上物体と同一の運動法則に支配されていると考え、さらには天体間には距離の関数で表される遠隔力が働くと主張し、その力によって自身の見いだした法則に表される惑星の運動を動力学的に説明しようとしたことにおいて、ケプラーがニュートン以降の近代力学の思想の原型を生み出したことにある。
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一五世紀中期のボィルバッハとレギオンタヌスにはじまり、一六世紀のコペル二クスとティコ・ブラーエに引き継がれた天文学の発展は、ケプラーにいたって、動力因にもとづく数学的な議論で説明されなおかつ観測で検証される数理物理学としての天文学、すなわち天体力学という新しい独立した学問の可能性を明らかにした。それは新しい世界の見方を開いたのである。そのさいの「新しい」の意味は、見られる世界の様相が転換したこととともに、世界を見る観点や姿勢そのものが新しくなったことでもある。こうして、中世スコラにおける、上位にある論証的な哲学的・自然学的宇宙論と、下位にある実用のための数学的・技術的天文学という学問のヒエラルキーは破壊されていった。
その過程はまた、北方人文主義とその後のプロテスタントと教育改革を背景にして、大学アカディズムの教師たちだけはなく、宮廷おかかえの数学官(占星術師)や地図作成で生計を立てる数理技術者とそれに協力する職人たちや印刷業者によって担われたものであり、中世のスコラの現場とは大きく様変わりしている。それは、古代の精密科学としての数学的天文学の復元と継承、つねに結果が求められる実際的技術としての占星術の興隆、そして印刷技術の誕生と精密測定技術の発展によって推進されていったのであり、主要に職人や商人や軍人によって担われた一六世紀文化革命に相補的な変革の動きであった。
実際には、その過程を牽引してきたオーストリアをふくむドイツの天文学研究は、ケプラーをほぼ最後に、三十年の勃発のなかに崩壊してゆくことになる。しかし一方における一六世紀文化革命と、他方におけるこの中部ヨーロッパにおける天文学研究の理論的・数学的・技術的発展の、その総体的な変革こそが、一七世紀にイギリスやイタリアに引き継がれ、それなでは職人や魔術師や錬金術師のものであった実験の思想を取り込むことによって科学革命を生み出してゆくのである。(本書、pp.1105-1112)
Ⅴ おわりに
こうして、ケプラーの『宇宙の神秘』、『新天文学』、そして今回の『宇宙の調和』の読み込みを通じて学んだことはやはり、よく言われることだが、ケプラー研究者による論理整然に整備された概論や評論をいくら読んだところで、人間ケプラーの肉声は感受できなということであった。そのためには、なんの専門分野でもそうだが、まずは考察の対象となる人間とその論考をすきにならなければならない、とも思える。だからと言って、上記の3冊の大著をすみからすみまで読みこなしたわけではない。あくまでもあらっぽい読み込みであったことは認めざるをえないが、しかし、今はそれで十分であり、また必要となれば、再び考察すればいい、と思っている。このあと、ケプラーの書のなかで日本語訳が出ているのは、科学SFのさきがけとなった、いわゆる『ケプラーの夢』という物語だけである。それはまた、次便で詳しく取り上げることにする。