20世紀日本社会に起こった多種多様な社会運動を考察する「新しい社会運動史研究」の開始を宣言する書物が登場した。まず歓迎したい。本書の冒頭で、三人の編者は、つぎのように宣言する。
「社会運動史の研究者である私たちは、新しいメディアを作ろうと集まった。メディアの目的は、社会運動史についてのこれまでの知見の共有、さらに現在進行形の調査・研究の成果の公開とそれによる運動史のいっそうの蓄積である。単に、社会運動の過去を恣意的に修正しようとする言説に抗するだけでなく、社会運動史をめぐって研究者がネットワークを作り、討論を重ねる場となるような、プラットフォームづくりをめざす。私たちは埋もれた種を掘りかえし、この社会に改めて蒔き直すことを試みたい」。
編者はついで、各自のフィールドを舞台とする新しい社会運動史観を示している。「等身大の個人が、状況に翻弄されながら、それでも意識的に関係をつむぎ、努力を続けた達成と限界を社会運動に関する研究の中心に置く」(松井)と宣言し、「ある社会問題や歴史的事件に関わる人びとの人生を聞き手も追体験しいくような姿勢をもって聞き取る手法」(小杉)を提言し、そして「それぞれの時代に抵抗し、闘い、別の社会を構想し続けてきた人びとの存在を掘り起こし、記録し、叙述する営み」(大野)を提唱している。
これらの各論考をもとに、編者は関連領域の研究者(阿部小涼・安岡健一)を交え、座談会「社会運動史をともにつくるために―問題意識と争点」を行っている。具体的には、歴史学と運動研究、運動とアカデミズム、歴史の平板化に抗する運動史、誰のための運動史か、当事者性をめぐって、資料と想像力、沈黙の意味など、多面的・重層的に議論が展開され、新しい社会運動史研究への意気込みを語っている。
さらに編者は、荒畑寒村や石堂清倫や宮内勇などの戦前の活動家による『運動史研究』全17巻(三一書房、1974-86)に、当時若手研究者として参画していた伊藤晃の体験的な総括的論考を掲載し、先達の運動史研究から教訓を得ることを忘れてはいない。伊藤はその教訓として、社会的権威に依存しない自主的な研究であったこと、戦後の運動に敗北した活動家の苦悩の中にこそ、新たな希望があるとする。
戦後日本における社会運動の事例として、日本におけるベトナム反戦運動を取り上げ考えると、1967年10月8日、羽田沖弁天橋で山崎博昭君(京大1回生)がデモ死したことを契機に、ベトナム反戦運動は日本全国各地で大きな盛り上がりを見せた。この数年、日本にけるベトナム反戦運動を振り返える「10・8山崎博昭プロジェクト」が創設され、50年前の反戦運動に関わった人々の貴重な証言とさまざまな資料を満載した書物が刊行された。それが『かつて10・8羽田闘争があった』〔寄稿篇〕(合同フォレスト、2017年)と『同』〔記録資料篇〕(同、2018年)である。前者は、現時点から当時の羽田闘争を振り返ったものであり、後者は、当時の文章と資料を忠実に再現したものである。
同プロジェクトはまた「日本のベトナム反戦闘争とその時代展」を東京、京都、ベトナムで開催した。その展示目録は、「10・8羽田闘争への反響」「ベトナム戦争時の日本における米軍施設」「相模原補給廠の戦車搬出阻止闘争」「米軍原子力空母寄港阻止佐世保闘争」「沖縄闘争・全軍労闘争」「米軍立川基地拡張阻止砂川闘争」「王子野戦病院撤去運動」「大泉市民の集いと朝霞基地闘争」など、30個所もの反戦闘争の現場を再現する貴重な歴史的資料である。
この中で、運動と研究の現場を往復する大野は、評者も関わった米軍相模原補給廠の戦車搬出阻止闘争の全貌を記録した『戦車の前に座り込め』(さがみ新聞労働組合、1979年)を詳細に読み分析し、その運動を主体的に担った人物の意識と動向だけでなく、その周辺で右往左往する住民と市民のそれにも、熱い関心を向けている姿勢に、とても好感を持った。
最後に、今後の新たな社会運動史研究の充実と発展を心中から期待したい。