書評:山田大隆『心にしみる天才の逸話20-天才科学者の人柄、生活、発想のエピソード』(講談社ブルーバックス、2001年2月20日)
書評:山田大隆『天才科学者の不思議なひらめき』(PHP研究所、2004年8月11日)
2004年12月22日『科学史研究』第43巻(No.232) 掲載

 上記の2冊は、出版社と刊行時期はことなれども、「科学史上の人物を中心とする科学者評伝」という問題意識と関心から描かれている。しかし主張点が多少異なっている。

 著者によると、前著は、「押しも押されもせぬ天才20人の、業績に隠れてこれまで強調されなかった生身の人間性と、幼年期の家庭環境や親の影響力、さらには、偉大な発見・発明に結びついた意外な事実などに光をあて」、「幼年期の環境と人間的感化が決定的に重要であること」を強調する。そのためには「100人の評論家のアドバイスよりも、一人の天才の人生をしっかり見つめる」ことが重要だという。ここには、著者の長年にわたる教育現場の体験を想像させる熱いメッセージが込められている。対象とする科学者は、ニュートン、アインシュタイン、湯川秀樹、キュリー夫人、ファラデー、エジソン、ラボアジェ、ダーウィン、野口英世、ジュール、メンデル、ワット、パスツール、ライト兄弟、メンデレーエフ、ガリレイ、ガウス、ゲーデル、ボルツマン、北里柴三郎の20名である。

 後著は、「天才のもう一つの側面、つまり法則発見や技術開発への「不思議なひらめき」を持つ人物であったこと、に光を当てた」ものだという。対象とする科学者はアルキメデス、グッドイヤー、ジェンナー、レントゲン、ベネディクトゥス、パスツール、ノーベル、湯川秀樹、ケクレ、ファーブル、ワット、ニュートンの12名である。

 いずれの著書も非常に読みやすい。

 構成の点からみると、それぞれ対象とする科学者の全体像を4~5個のテーマにしぼりこみ、手際よく論述する。たとえば、後著の「レントゲン」の考察では、「不思議な光を見逃さなかった観察力」「X線を世界に広めた大デモンストレーション」「暴れ者だった青年時代」「巨万の富を自ら捨てたクリスチャン」など、興味をそそる柱をたて、本質を崩さず手短にずばりと論述する。その筆裁きはみごとと言うほかない。

 また、科学者・技術者の主な業績と略年譜がそれぞれ簡潔に掲載されている。さらに、これが意外と重要な役目を果たしているのだが「こぼれ話」をさりげなく取り上げ、読者を癒してくれる。なかなかの配慮である。さらに、おそらくヨーロッパ科学史探訪で得た著者自身の手によると思われる多数の写真がある。これもみごとな論述と相互作用し、科学発見の歴史的現場の臨場感が伝わってくる。たとえば、ロンドン科学博物館4階の熱学史コーナーにある熱の仕事当量を決定した水攪拌実験装置に感動しつつ、日本の教科書が100年以上も誤った図を掲載していることなどを「発見」もしている。

 それよりにもなによりも圧巻なのは、一人の科学者の評伝を書くのでも大変な苦労なのに、この数の多さである。しかも科学史は歴史である。歴史であるからには、歴史的に事実でなければならない。そのためには、一次資料・二次資料および膨大な参考図書を読み込まなければならなかったであろうが、これは現場教育に関わる者には至難の業である。同業者の私にはそれがいかにたいへんなことかがをよくわかる。著者の科学史の蔵書が1万冊というのも、これでうなずける。

 それにしても著者の見識・歴史観・人生観の反映でもある科学者・技術者たちの人生はなんと奇想天外なことか。先輩のフックを徹底的に抹消したニュートン、本を読まないアインシュタイン、白血病死したキュリー夫人、最後まで謙虚な無学歴の大科学者ファラデー、浮浪者まがいのエジソン、血税を着服した国家犯罪人ラボアジェ、大金持ちで所属のないダーウィン、仕事(研究)中毒のストレス発散から「酒と女」に入り浸る野口英世、トムソンの一言できまったジュールの人生、統計学が武器となったメンデル、横暴な態度のためファーブルに面会を拒否されたダーウィン、遺族に莫大な借金を残したグッドイヤー、人体実験で種痘法を発見したジェンナー、ノーベル平和賞設置の原因をつくったノーベルの愛人、建築の空間認識・デザイン力でベンゼンの六角構造(ベンゼン環)を発見したケクレ、常に詩集を持ち歩き自然観察した昆虫詩人ファーブル、妻から三行半をくだされ自殺を企てたボルツマン、被害妄想から食事を拒否し餓死したゲーデル、先輩恩人の学説を学問的に批判し東大閥から排除され、やがて自らの研究所を創設するにいたる北里柴三郎・・・・・。

 これらの逸話を挙げればきりがないほど本書では天才科学者の人間性が暴き出されている。このような人間的側面を表現する書き方は、現在、私がいる自然科学教育現場サイドからみると、ほんとうに有用な資料となること間違いない。特に私のような経営と教育を両立させることを求められている私学に勤務するものは、子どもたちにもっと人間くさいこと話してやりたいという衝動に駆られることがあっても、教育と経営の戦略を考えると、どうしても、入学試験問題の解法のみに力を注ぐ授業にならざるをえない。詰め込み授業に追われ続けなければならない。その意味で上記本は、人間くさい自然科学教育を行う際の教師用版「虎の巻」となった。

 いかに偉大な科学者であろうと人間である。ただ、ちがうのは物事に対する余人には想像できない集中力の持ち主であることだ。その集中力の結果として「ひらめき」が訪れる。たとえば、「偶然は、よく準備のできた人には必然としてとどまる」(パスツール)とか、「その技術を完成させる主要な根幹となる発明は、多くのことを考えては見えてこない。課題を整理し、今何が問題になっているかを浮かび上がらせることが大切である。そして、その根幹的技術問題解決のために、あらゆる思考、工夫を総動員させると、ひらめくのである」(ワット)などである。この集中力と持続力こそが偉大な思想を産む動因となることを教えている。これ以上の教育的言葉はあろうか。

 著者は北海道科学文化協会科学教育貢献賞(1997年度)を受賞するなど北海道を中心に活躍しているが、日本全国の科学教育の世界にも多大の貢献をしたことで知られる。そのかたわら大学在学中から科学史に関心を持ちはじめ、科学者・技術者の人物を中心とする膨大な書籍・資料を収集し読み込んできた。その一方で、何十回にもおよぶヨーロッパ科学史探訪を繰り返している。著者の自然科学教育と科学史研究は分離不可能で一体のものだ。それが、ここに全面的に開放され展開されたと言っていいだろう。ますますのご活躍を期待する。