書評:山田秀二郎『ヒトはどこへ行くのか? ―『私』を見つめ直す「進化論」―』
『どよう便り』第41号 掲載

ヒトはどこへ行くのか?―『私』を見つめ直す「進化論」
(青英舎、2000年11月22日) 本体1700円+税 (株)青英舎の電話:03-3291-6470 2001年2・3月

 著者は東京都内のいくつかの中学・高校で理科(生物)を教えた後、現在は都立日比谷高校で教鞭をとる生物の教師である。本書は多忙な現場教師の仕事の合間をみて10年越しに書きためてきたものをまとめたものである。著者によれば、数年前、「人間の持つ根っこ」について書いて見ようと思いたった。その問題意識の動機はどんなものであったのか。おそらく、こう推測する。大学時代の著者の専門は植物学でその道を究めようともした。が、著者の「環境」がヒトへと関心を変えた。教育現場は人間そのものを相手にする仕事だ。しかも生物である。植物・人間を含むすべての「生きもの」を相手の仕事だ。その実、著者は「謎だらけのヒトを前にむなしい日々を送っている」とも述べている。おそらく、著者の前には無数の謎だらけの若者が存在するはずだ。これらの謎だらけのヒトについて、進化の立場から「人間の持つ根っこ」を考えるにいたった。これが私の推測である。

 最近の宇宙論では、ビッグバン宇宙論(膨張宇宙論)が多くの支持を得ている。その時宇宙ができた。150臆年~200臆年前である。これが宇宙の年齢だ。太陽が50臆年、地球が46億年。その後、海ができ生物が発生した。では、ヒトはどこから来たのか、そしてこれからどこへ行くのか、と著者は問う。まっとうな疑問だ。でも普通の人間はこんなことを考えては生きては行けない。日々の生活を維持するだけで精一杯なのだ。そこが違うのだ。著者は無数の謎だらけの若者と真摯に向き合い生物学的に悩んだのであろう。そして自問する文章を書いた。「私を見つめ直す進化論」の表題が何よりの証拠だ。私はこう推測する。

 生命に関する壮大な物語だ。生命の誕生と発展、人類への道、ヒトの系譜、新人の残したもの、ヒトはどこへ行くのか?の第四章からなる。そこにはおびただしい進化の歴史と生物学に関する学説をふまえた物語が登場する。なめらかな文章だ。私は本書を3回も読んだ。この紹介文を書くためにである。というのも、この種の著作には私はほとんど無知である。が、栄養になるとばかり必死に読んだ。でも生物の複雑性と多様性の前に圧倒されるばかりだ。物理学的自然像とは比較にならない。系統性・普遍性が感じられない。だから難しい。近代の自然観は数学的・物理学的世界観が支配的だった。それが破綻した。

 要素還元主義の世界像の破綻である。具体的には、エネルギー問題・環境破壊をあげるだけで十分であろう。人々の生活のありようも変わってきている。持続可能な社会を求める昨今の種々の学問的動向にもそれが見られる。それには生きものの動向と歴史に学ぶことだ。数年前、アメリカの大学の工学部の教員は全て生物学を受講することが求められた。21世紀はまちがいなく持続可能な環境資源論的学問の時代となろう。

 先にも述べたが、この種の著作にはまったく暗い。読み込んで来なかった。だから、ある偶然の出会いから本書と向き合い多くのことを学んだ。これもヒトとヒトの関係から起こった。さて、前にもどる。現場教師の多様な人間相手の仕事は多忙で悩みも多い。その合間をぬって書きつがれ、多くの読者を獲得してきたというこの文章はきわめて貴重だ。一読されたい。がんばれ山田秀二郎先生。