紹介:山本義隆著『十六世紀文化革命』全2巻 (みすず書房、2007年4月16日)

2003年5月、著者は物理学史の書物としては独特な視点から『磁力と重力の発見』全3巻(みすず書房、2003年5月23日)を同時刊行した。その視点とは、全世界を制覇するまでになったニュートンの万有引力の発見に象徴される近代科学とその世界像の形成が何ゆえに西洋に誕生したのかという、科学史上の最重要課題の根本問題を、古代ギリシアから不思議がられ奇妙に思われ説明不可能であった「磁力のもつ遠隔力」と「魔術の気味悪さ」にまつわる事柄に注目したことである。この斬新な発想にいたる問題意識は、すでに著者の本格的な科学史の処女作ともいえる『重力と力学的世界―古典としての古典力学』(現代数学社、1981年)を刊行したころから芽生えていたのだが、それをより強く意識するようになるのは『古典力学の形成―ニュートンからラグランジュへ』(日本評論社、1997年)を執筆する過程であった。『磁力と重力の発見』は、ゴリゴリ硬派の物理学史の書物としては前例のない何万もの多数の読者から歓迎され、また2003年度の数々の賞賛を同時受賞した(第30回大仏次郎賞、第57回毎日出版文化賞、第1回パピルス賞)。ソウルの東アジア出版社から韓国版が刊行されている。

ここまで多数の読者を魅了した要因はどこにあるのだろうか。大仏次郎の『パリ燃ゆ』のファンである著者は、自らの大仏次郎賞受賞直後のスピーチで、「『パリ燃ゆ』のすごさは、専門の歴史学者の批判に耐え、しかも読み物として誰が読んでも面白いことにある、また、そのような本を書きたいと思ってきた」と述べている。そういう言葉を知ってあらためてこれまでの著者の作品を振り返ると、その文体と論述は一貫してその精神に満ち溢れていることに気づく。

さて、本書のタイトル『十六世紀文化革命』とは聞きなれない言葉である。これは著者の造語であるからだ。その著者の造語である「十六世紀文化革命」なる概念がふつふつと著者の中に沸きあがってくるのは『磁力と重力の発見』の執筆過程であり、多数の文献資料を読み込むうちに、十六世紀に「知の地殻変動」があったのではないかと確信するようになって行く。著者の思考は深化しあらたな問題意識を生む。したがって、本紹介本は、前著の空白を埋め補完する姉妹編ということができ、前著をあわせると全5巻の重要な仕事だともいえる。実際、著者は、前著の構想をはじめて以来20数年来の「人生の宿題に一区切り」をつけたと述べているからである。本書を読み解くキー概念は知の世界の「大規模な地殻変動」であるが、その用語は文字通り、地質学の用語を直接的に転用したものである。

著者は次のように述べている。

「世界の屋根」と言われるヒマラヤ山脈にはチョモランマ(エベレスト)やダウラギリやアンナプルナをはじめとする七・八千メートル級の高峰がそそり立つ。しかし、それらは孤立してその高さを誇っているのではない。インド亜大陸がユーラシア大陸に衝突して大規模な地殻変動が生じた結果、それまで海底下にあった地盤が平均標高五千メール超の広大なチベット高原にせり上がり、さらにその上に二・三千メートル級の起伏が生じたのがヒマラヤの高峰である。おなじように、ケプラーやガリレオやニュートンやハーヴェイをはじめとする十七世紀の新科学の天才たちの赫々たる業績は、十六世紀文化革命が押し上げた地盤上に生み出されたものである(28頁)」。

上の論述は本書を解読するさいきわめてわかりやすく便利である。知の世界の大規模な地殻変動の中味はどうなのかということに関しては、実は本書を刊行する数年前、先にふれた第30回大仏次郎賞受賞記念講演(2004年2月21日、横浜開港資料館)でほぼ明確に予告さていたが、その内容は「十六世紀文化革命」として、『論座』(朝日新聞社、2004年5月号)に完全収録されているのでお読みいただきたい。

これらの予告を踏まえあわせながら本書の大まかな内容を簡単に述べる。17世紀の輝かしい科学革命を準備したのは、蔑視されてきた職人たちが職務上の必要性から当時のインテリ・支配層の共通言語であったラテン語使用の世界に反旗をひるがえし、彼ら職人たちの母国語である俗語(フランス語、ドイツ語、オランダ語、イタリア語などなど)でものを書き出したことが決定的に重要であった。それらの職人とは、アカデミズムとは無縁でラテン語を解さない絵描き・外科医師・鉱山技師・機械技師・商人・航海士・植物収集家・算術家・陶工・軍事家等々であった。ラテン語・ギリシャ語を解し古代信仰を鵜呑みにしたばかりかそれを盾に権威を振りかざす教会とアカデミズムの世界に、各種の職人たちは果敢に闘いを挑んだのである。知識層がラテン語によってそれを解せさない民衆・職人を徹底的に抑圧・排除しようとする時代状況を詳述する内容は圧巻である。現代で言えば日常的・経験的なものづくりのために俗語(自らの言語)を使用することで、支配層の学問世界の秘密性・密室性を解放する大きな役割を演じたのである。そこにはとうぜん知の世界の公開を要求する。それまでラテン語を理解するインテリ層だけにしか通じない支配層内だけの学問的世界にたいして、俗語(母国語)を使用することで誰にも理解でき開かれた学問世界へ移行するための風穴をあける動因となった。つまり民衆による言語革命があらゆるジャンルで知の開放の決定的な役割を演じたことを明らかにする。

また、言語問題の転換のみならず芸術家・外科学・解剖学・植物学における精細な図表現などの各種の新しい技術開発と伝達媒体と表現手段の登場、鉱物学・冶金術の職人の秘伝の開放、実務的な商業数学の開拓・・・等々が印刷革命や言語革命とあいまって、経験を重視する各種の職人・民衆による「知の公共化運動」が、十六世紀西洋の各地で多様な学問領域で起こったことを詳述している。

これまで十六世紀の個別科学史の研究はたしかに存在するだろうし、著者が使用した膨大な文献がそれを示しているが、評者は詳細な内実は知らない。しかし、著者の執筆スタンスはアカデミズムの業績競争とはまったく関係ないところにある。なによりも本書の特色は、ひとりの人物が「十六世紀文化革命」なる思考の枠組みを設定し、その思考的枠組みの中に、一次文献をひもとくことはもちろん、多種多様な個別研究史に丹念に目を通し、それらを取捨選別し調査を重ね、それらの相互連関的総覧を作り上げ、著者独自のくっきりとした輪郭をもった「十六世紀文化革命」の具体的な実態的内実を示してくれたことである。しかも、著者が専門とする物理学とはほど遠い学問領域の多種多様な文献が次から次へと登場するのには驚きを禁じえない。各章の後半にはかならず、これでもかこれでもかと16世紀文化革命たる「知の地殻変動」の具体例が頻出する。これまでアカデミズムに排除・抑圧・弾圧されてきた上記の各種の職人たちの叫びを復権するその執念の執筆スタンスは、『パリ燃ゆ』に共鳴する著者の長きにわたる一貫した「執筆思想」を体現しているものだ。長年、アカデミズムの学問世界とは無縁の立場から、かずかずの「大河ドラマとしての物理学」を刊行してきた著者でなければ、およびもつかない壮大な文化革命論であると評者には見える。その背景には、言葉遊びに興じるばかりのインテリ階層ではなくて、もくもくと汗して働く名もなきもの作り職人たちにたいするかぎりなき共鳴と連帯がある。それは現代に通じる。

歴史を語ることは現代を語ることであることはいうまでもない。これまで科学史の世界で個別的に論じられてきた、さまざまな研究を実証的に調査検討し、独自の視点で、16世紀文化革命という「知の地殻変動」の実態を明らかにした著者は、必然的に、こんどは科学と技術が無制限の成長と発展を遂げる現代の科学技術社会にたいしても、「あらたなる文化革命」が必要であると提言することを忘れてはいない。前著共々、是非とも英語版の刊行を期待したい。本書にたいする内外の批判的論考を期待しているからである。(猪野修治)