書評:山本義隆『磁力と重力の発見』全3巻(みすず書房、2003年5月22日) 2003年9月15日『科学・社会・人間』No.86 掲載

第1巻:古代・中世、304頁、定価2800円+税、ISBN4-622-08031-1
第2巻:ルネサンス、300頁、定価2800円+税、ISBN4-622-08032-ⅹ
第3巻:近代のはじまり、343頁、定価3800円+税、ISBN4-622-08033-8

近代科学成立以前の千年余の空白を埋める物理学総体の壮大なドキュメンタリー:自然・実験の魔術「磁石」から「遠隔力」概念への軌跡

1.はじめに

 はじめにお断りしておきたいことがある。私の読書と勉強の仕方はこれまで一貫して、本書のような確固たる骨のある書物を真摯に読み熟考することである。レーニンの『哲学ノ-ト』がように、原著作の書き込み引用をくり返しながら論を進めるレーニンの学び方の手法に準じたいと思う。本文を書くことそのことが、私の読書と勉強でもあるので、長文になることをお許し願いたい。

 さて、山本義隆氏の大著『磁力と重力の発見』全3巻(同時発売)が飛び込んできた。著者がこれまで刊行した書物とはいくぶん体裁がことなり縦書きである。ぱらぱらめくると、一見して数学(数式)がないので読みやすそうだ。身震いする気持ちを抑制しつつ、そろりそろり、まず、全3巻すべての手触りの触覚と鼻元に近づけ嗅覚を働かせて眺め触りまわした。ささえきれないほどの重さを感じた。

 まずはじめに気がつくのが、本書が古代から始まっていることだ。著者の執筆手法は一貫して原典主義だからおそらくラテン語を収得しなくてはならないはずだ。そう思って引用文献をひもとくとラテン語文献がざらざら登場する。うなってしまった。

 やはりそうなのだ。この本を書くにあたり、著者はラテン語を習得するため、アテネ・フランス(お茶の水)に2年半も「通学」していたのでる。そういえば、かつてフランス語の勉強のため、著者が勤務する予備校で学生(生徒)と一緒にフランス語を受講したと聞いていたことがあった。なんのためのフランス語、ラテン語かというと、壮大な物理学史と思想書を書くこと、この一点の目的のためであった。ドイツ語にかんしてはカッシーラーの多数の哲学書を翻訳しているから言うまでもない。

 ともかく、本書は磁力と重力の発見に至る物理学史的変遷を古代から説き起こし、近代科学が誕生するまでのきわめて錯綜した物理学の史的変遷を独自の観点から論じているらしいことだけは理解できる。そのためにはどうしてもラテン文献の解読が必要だったのであり、それはとりも直さず、著者がいぜん、物理学の思想書で論じた近代科学の誕生以降の力学的世界の変遷の考察ではなくて、それ以前つまり時代を遙かにさかのぼり、古代・中世・ルネスサンスの自然観の実体を考察することである。近代科学形成までの変遷を追いかけながら、近代科学の本当の産みの親たちの営みを追体験し、現代に蘇らせようとする目論見である。著者は20数年来、気になり考え続けていたというから、まさに渾身の力を振り絞って書いたに違いない。その営みはかならずや著者の人生観の反映であるはずである。

2.本書の概要を学ぶ

 そのような重大な本であれば、すぐに各論的な考察に入ると自分の位置が見えなくなる。つまり木を見て森が見えなくなるので、はじめに、本書の内容の外堀(概要)をじっくり見回してみることにする。まずは、全巻にわたる帯と裏表紙の解説をきちんと読んでみよう。

 まず、第1巻の「古代・中世」の帯「物理学誕生〈前〉史」には、こう書いてある。

 近代物理学成立のキー概念は力、とりわけ万有引力であろう。天体間にはたらく重力を太陽系に組み込むことで、近代物理学は勝利の進軍の第一歩を踏み出した。ところが、人が直接ものを押し引きするような擬人的な力の表象とちがって、遠隔作用する力は〈発見〉され説明されなくてはならなかった。遠隔力としての重力は実感として認めにくく、ニュートンの当時にも科学のリーダーたちからは厳しく排斥された。むしろ占星術・魔術的思考のほうになじみやすいものだったのである。そして、古来ほとんど唯一顕著な遠隔力の例となってきたのが磁力である。

 こうして本書の追跡がはじまる。従来の科学史で見落とされてきた一千年余の、さまざまな言説の競合と技術的実践をたどり、ニュートンとクーロンの登場でこの心躍る前=科学史にひとまず幕がおりるとき、近代自然科学はどうして近代ヨーロッパに生まれたのか、その秘密に手の届く至近距離にまで来ているに気づくにちがいない。

 6年前の著書『古典力学の形成』のあとがきで遠回しに予告されていた大テーマ、西洋近代科学技術誕生の謎に、真っ向からとりくんだ渾身の書き下ろし、全3巻。

 第2巻の「ルネサンス」の帯「魔術・技術・遠隔力」ではどうか。こう書いてある。

 古代以来、もっぱら磁力によって例示されてきた〈遠隔力〉は、近代自然科学の誕生をしるしづける力概念の確立にどのように結びついていったのか。第2巻では、従来の力学史・電磁気学史ではほとんど無視されてきたといっていいルネサンス期を探る。

 機械論・原子論的な要素還元主義と、物活論・霊魂論的な有機体的全体論のふたつの自然観がせめぎあった古代ギリシャのあと、ローマ時代からキリスト教中世にかけて後者が圧倒的優勢を誇る。ではその次にくるルネスサンスの時代に遠隔力の観念を担い、近代初頭へとひきついだものはいったい何だったのだろうか。ガリレイやデカルトの機械論哲学がアリストテレス-スコラにとってかわる新哲学として現れて、科学革命をなしとげたなどという単純な図式は、とうてい成り立たないのではないか。

 本書は技術者たちの技術にたいする実験的・合理的アプローチと、俗語による科学書執筆の意味を重視しつつ、思想の枠組みとしての魔術がはたした役割に最大の注目を払う。脱神秘化する魔術と理論化される技術。精新の気にみちた時代に、やがてふたつの流れは合流し、後期ルネサンスの魔術思想の変質-実験魔術-をへて、新しい科学の思想と方法を産み出すのである。

 そうなのか。私は17世紀科学革命を単純な思考的枠組の転換としか見ていなかったようだ。これは面白くなってきた。どうも、著者は物理学の空白のルネサンス期に本腰を入れているらしい。しかし、その詳細に入り込むことに禁欲しよう。ともかく、最後の第3巻にすすみ、その概要を読んでいこう。

 第3巻「近代の始まり」の帯(科学史空白の千年)には、こう書いてある。

 近代物理学成立の真にキーは力概念の確立にある。そこから〈遠隔力〉概念の形成過程を追跡してきた長い旅は、第3巻でようやく近代科学の誕生に立ち会う。

 実験的研究と「地球は磁石である」という結論によって近代科学への道を開いたと高く評価されるギルバートは、一方、それゆえに地球は霊魂を有した生命的存在であるとも論じた。しかし、ルネサンスの魔術師デッラ・ポルタ(本書第2巻)に通じるその認識こそが、地球を不活性で不動の土塊と見るアリストテレス宇宙像を解体し、地動説の受容を促したのである。実験と観察の重視という方法もまた、スコラ学に対する魔術・錬金術の系譜にある。他方、スコラにかわる新哲学として登場した機械論は、原因やメカニズムに解明を要求することで魔術の解体をはかったが、みずからは遠隔力の説明に失敗したのである。

 霊魂論・物活論の色彩を色濃く帯びたケプラーや、錬金術に耽っていたニュートン。重力理論を作り上げたのが彼らであり、近代以降に生残ったのはケプラー、ニュートン、クローンの法則である。魔術的な遠隔力は数学的法則に捉えられ、合理化された。壮大な前-科学史の終幕である。

 以上が、全3巻を通じた帯および裏表紙に記されているみごとな概要説明である。この概要説明を読むだけでも「磁気と重力の発見」に至るマクロ的な思想史的変遷が読みとれるが、最後に、これらをひとまとめにした総論的概説をきちんと読んでみよう。

 下記の文章は、本書の出版元のみすず書房の特集広告「出版ダイジェスト」(2003年6月1日)に掲載されたものである。大見出しは「〈遠隔力〉が近代科学の扉を開いた」とある。おそらくこの著者は上記の裏表紙の解説を書いた人物と同一人物かも知れず、重複するところもあるが、ともかく、じっくり読んでみよう。

 近代物理学成立のキーは力、とりわけ万有引力だろう。重力は発見され説明されなくてはならなかった。人がものを押し引きするような擬人的な力の表象とちがって、遠隔作用する重力は、ニュートンの当時にも新しい科学のリーダーたちから激しく排除されたのである。

 そして古来ほとんど唯一の顕著な遠隔力の例となってきたのが磁力である。こうしてニュートン、クーロンにいたる「遠隔力」概念の心躍る追跡が始まる。機械論・原子論的な要素還元主義と物活論・霊魂論的な有機体的全体論がせめぎあう古代ギリシャのあと、これまでの力学史・電磁気学史では一足飛びにガリレイやデカルトの機械論哲学がアリストテレス-スコラにとってかわって、科学革命をなしとげることになった。しかし、ローマ時代からキリスト教中世にかけては、有機体的自然観が圧倒的優性を誇るのだ。空白の一千年余に、遠隔力の観念を担い、近代初頭へひきついだものは一体何だろう?

 玉随の静電引力は12世紀のマルボドゥスに発見されたことや、後期ルネサンスには「実験魔術」ともいうべきものが生まれていること、数々の新知見を交えきめ細やかな論証が重ねられていく。実験的研究から地球が磁石であると結論したギルバートが、それゆえに地球は霊魂を有した生命的存在だと述べた逆説も氷解する。ギルバートの認識論こそが、地球を不活性で不動の土塊と見るアリストテレス宇宙像の解体を促したのだし、実験と観察の重視もまた、事物の本質からすべてを演繹しようとするスコラ学に対立する魔術・錬金術的方法だった。他方、スコラ学にかわる新哲学だった機械論は、原因やメカニズムの解明を要求して、魔術の解体を図るが、自らは力の説明に失敗する。やがて魔術的な遠隔力は、本質や原因への問いを棚上げすることで、数学的法則に捉えられ合理化される。

 カッシーラーやボーアの翻訳でも高い評価のある著者が、6年前『古典力学の形成』(日本評論社)のあとがきで遠回しに予告していたとおり、西洋近代科学技術誕生のつきせぬ謎に真正面から取り組んだ、渾身の書き下ろし全3巻。

 なんと見事な論評であろうか。すんなりわかる。これらの四つの概要説明は、いずれも出版元のみすず書房の関係者が書いたものであるから、当然といえば当然だが、練りに練られた概要説明となっている。これらのいわば虎巻の指南書を念頭におきながら本書の全体の構成と詳細な項目を見ていこう。

3.全体の構成と主要な項目

 まず本書(全3巻)全体の構成(巻)と章(項目)をじっくり眺めていただきたい。[ ]内は頁数である。じっくり眺めながら専門家もそうでない人も想像力をたくましく虚心坦懐に、あれこれ考えてみよう。ここでも面倒がらずにすべての細目を明らかにしておきたい。

第一巻 古代・中世[1-304]
序文
第1章 磁気学の始まり-古代ギリシャ
 ①磁力のはじめての「説明」 ②プラトンと『ティマイオス』 ③プラトンとプルタルコスによる磁力の「説明」 ④アリストテレスの自然学 ⑤テオプラストスとその後のアリストテレス主義
第2章 ヘレニズムの時代
 ①エピクロスの原子論 ②ルクレティウスと原子論 ③ルクレティウスによる磁力の「説明」 ④ガレノスと「自然の諸機能」 ⑤磁力の原因をめぐる論争 ⑥アプロディシアスのアレクサンドロス
第3章 ローマ帝国の時代
 ①アイリアノスとローマの科学 ②ディオスコリデスの『薬物誌』 ③プリニウスの『博物誌』 ④磁力の生物態的理解⑤自然界の「共感」と「反感」 ⑤クラウディアヌスとアイリアノス
第4章 中世キリスト教世界
 ①アウグスティヌスと『神の国』 ②自然物にそなわる「力」 ③キリスト教における医学理論の不在 ④マルボドゥスの『石について」 ⑤ビンゲンのヒルデガルト ⑥大アルベルトゥスの『鉱物の書』
第5章 中世社会の転換と磁石の指向性の発見
 ①中世社会の転換 ②古代哲学の発見と翻訳 ③航海用コンパスの使用のはじまり
 ④磁石の指向性の発見 ⑤マイケル・スコットとフリードリッフ二世
第6章 トマス・アクィナスの磁力理解
 ①キリスト教社会における知の構造 ②アリストテレスと自然の発見 ③聖トマス・アクィナス ④アリストテレスの因果性の図式 ⑤トマス・アクィナスと磁力 ⑥磁石にたいする天の影響
第7章 ロジャー・ベーコンと磁力の伝搬
 ①ロジャー・ベーコンの基本的スタンス ②ベーコンにおける数学と経験 ③ロバート・グロテスト ④ベーコンにおける「形象の増殖」 ⑤近接作用としての磁力の伝搬
第8章 ペトロス・ベレグリヌスと『磁気書簡』
 ①磁石の極性の発見②磁力をめぐる考察 ②ペレグリヌスの方法と目的 ③サンタマンのジャン注[1-20]

第二巻 ルネサンス[305-604]
第9章  ニコラウス・クザーヌスと磁力の量化
 ①ニコラウス・クザーヌスと『知ある無知』 ②クザーヌスの宇宙論 ③自然認識における数の重要性 ④クザーヌスの磁力観
第10章 古代の発見と前期ルネサンスの魔術
 ①ルネサンスにおける魔術の復活 ②魔術思想普及の背景 ③ピコとフィチーノの魔術思想 ④魔力としての磁力 ⑤アグリッパの魔術-象徴としての自然
第11章 大航海時代と偏角の発見
 ①「磁石の山」をめぐって ②磁気羅針儀と世界の発見 ③偏角の発見とコロンブスをめぐって ④偏角の定量的測定③地球上の磁極という概念の形成
第12章 ロバート・ノーマンと『新しい引力』
 ①伏角の発見 ②磁力をめぐる考察 ③科学の新しい担い手 ④ロバート・レコードとジョン・ディー
第13章 鉱業の発展と磁力の特異性
 ①16世紀文化革命 ②ピリングッチョの『ピロテクニア』 ③ゲオルギウス・アグゴラ④錬金術にたいする態度 ⑤ピリングッチョとアグリゴラの磁力認識
第14章 パラケルススと磁気治療
 ①パラケルスス ②パラカルススの医学と魔術 ③パラケルススの磁力観④死後の影響-武器軟膏をめぐって
第15章 後期ルネスサンスと魔術思想とその変貌
 ①魔術思想の脱神秘化 ②ピエトロ・ポンポナッツィとレジナルド・スコット ③ジョン・ディーと魔術の数学化・技術化 ⑤カルダーノの魔術と電磁気学研究⑥ジョルダ・ブルーにおける電磁力のい理解
第16章 デッラ・ポルタの磁力研究
 ①デッラ・ポルタの『自然魔術』とその背景 ②文献魔術から実験魔術へ ③『自然魔術』と実験科学 ④『自然魔術』における磁力研究の概要 ⑤デッラ・ポルタによる磁力の実験 ⑥デッラ・ポルタの理論的発見⑦魔術と科学 注「1-18]

第三巻  近代のはじまり[605-947]
第17章 ウィリアム・ギルバートの『磁石論』
 ①ギルバートとその時代 ②『磁石論』の位置と概要 ③ギルバートの電気学の創設 ④電気力の「説明」 ⑤鉄と磁石と地球 ⑥磁気運動をめぐって ⑦磁力の本質と球の形相 ⑧地球の運動と磁気哲学 ⑨磁石としての地球と霊魂
第18章 磁気哲学とヨハネス・ケプラー
 ①ケプラーの出発点 ②ケプラーによる天文学の改革 ③天体の動力学と運動霊 ④ギルバートの重力理論 ⑤ケプラーの動力学 ⑥ケプラーの動力学 ⑦磁石としての天体 ⑧ケプラーの重力理論 第19章 十七世紀機械論哲学と力
 ①機械論の品質証明 ②ガリレイと重力 ③デカルトの力学と重力 ④デカルトの機械論と磁力 ⑤ワルター・チャールトン
第20章 ロバート・ボイルとイギリスにおける機械論の変質
 ①フランシスス・ベーコン ②トマス・ブラウン ③ヘンリー・パワーと「実験哲学」 ④ロバート・ボイルの「粒子哲学」 ⑤機械論と「磁気発散気」 ⑥特殊的作用能力の受容
第21章 磁力と重力-フックとニュートン
 ①ジョン・ウィルキンスと磁気哲学 ②ロバート・フックと機械論 ③フックと重力-機械論からの離反 ④重力と磁力の測定 ⑤フックと「世界の体系」 ⑥ニュートンと重力 ⑦魔術の神聖化 ⑧ニュートンと磁力
第22章 エピローグ-磁力法則の測定と確定
 ①ミュッセンブルークとヘルシャムの法則 ②カランドリーニの測定 ③ジョン・ミッシェルと逆二乗法則 ④トビアス・マイヤーと渦動仮説の終焉  ⑤マイヤーの磁気研究の方法 ⑥マイヤーの理論-仮説・演繹過程 ⑦クーロンによる逆二乗法則の確定
あとがき
注[65-79]
文献[24-64]
索引[1-23]

4.評者の感想

 そもそも私ごとき未熟者が本書のような重厚な大作を「書評」などできるはずがない。だから「書評」ではなく「感想」である。感想であればなにがしかのことを述べることを許していただけるのではないかと思ったのである。本書が刊行されて以来、いつものように、全3巻を鞄の中に入れて持ち歩いてはすこしでも時間があればいつも読んでいる。その矢先、編集部から依頼があった。すぐに承諾した。身に余る要請である。その後、悩みがつぎつぎと襲ってきた。何を述べるかである。あれこれ考えるが堂々めぐりするばかりでまとまりがつかない。いつまでたっても落ち着かないから、思い切って脳裏に浮かんだことをそのまま正直に述べるしかないと思う。

■本書全3巻の一度目の通読してすぐ脳裏をよぎった論文がある。山本義隆「シモン・ステヴィンと16世紀文化革命」(『湘南科学史懇話会通信』第7号、2001年11月22日、33-48頁)である。この論文は私がご多忙な著者に無理を強いて寄稿していただいた論文である。この論文を丹念に読んで驚きを禁じえなかった。

 簡単に内容を紹介すると、オランダの技師・数学者・自然学者のシモン・ステヴィン(1548-1620)の論考に光をあてた論文である。シモン・ステヴィンは近代科学の発端を創ったケプラーやガリレイの先駆者であり、この時代に17世紀科学革命に先行する「16世紀文化革命」という知の世界の地殻変動があったというのである。それは目を見張る革命的な内容である。当時の学問的言語はラテン語であるのは当然であるが、いやラテン語でなければ学者として社会的認知を得られなかった。それにたいしてシモン・ステヴィンは学問用語として認知できない俗語であるオランダ語(母語)の使用を執拗に主張したことである。そのオランダ語は後に職人や技術者の学術語となり、職人や技術者の「蛮族」の著作は、それを「武器」にヨーロッパ中世の支配層を形成するラテン語使用の知識人あいてに立ち上がったことなどである。こうして「天才の世紀」と称される17世紀科学革命は、16世紀の文化革命によって出現した無名の「蛮族」たちによって、その礎が創られたというのである。そしてシモン・ステヴィンこそ「科学革命の真の先駆者」であると断言している。いかにも著者らしい断固たる確信にみちた言明である。詳細な議論は『通信』第7号を読んでほしいが、このような科学革命論を読んだのは初めてことである。

■この論文を寄稿していただいたとき、「磁性」のことを調べているとはお聞きしていたが、まさか、古代にまでさかのぼっておられたとは驚きである。ノンフィクション作家の橋本克彦氏がどこかで「著者はほんとうにおくゆかしい方だ」と話していたが、ほんとうにそのとおりで、作品が刊行されるまでは何も語られない。私は身をもって体験している。こうして 著者の問題関心は17世紀ならぬ「16世紀の文化革命」とそこへいたる永久の遙かなる物理学の実体を調査する歴史の旅に出ていたのである。もう20年も前の作品『重力と力学的世界』(現代数学社、1981)執筆時にはじまり『古典力学の形成』(現代数学社、1997)を通過してもなおなそうだった。その問題関心とは何であろうか。

 著者はケプラーとニュートンによる 万有引力の導入こそが近代宇宙論-近代の力学的な太陽系像-形成のかなめであったが、しかし現実にはその万有引力は近代科学の思想と言われる機械論哲学からは厳しく排斥されたこともそうである。すくなくとも万有引力にかんしては、ニュートンはその他の機械論者たちとかなりの経庭を有している。とすれば、通説のようにニュートンをガリレイやデカルトをひとまとめに機械論哲学の提唱者として括るのはかなりの無理があるし、そもそもスコラ哲学にかわる機械論哲学が近代物理学を創ったとも安易に片づけられないのではないか」(第3巻、あとがき、939-940頁)と、年来の議論を熱っぽく述べている。

 こうして、著者はそもそも近代の自然科学(とくに近代物理学)がいかにしてヨーロッパに誕生したのか、という新たな問題意識からその謎解きの大航海の旅に出るのだ。しかし、この種の従来の研究のような「大風呂敷を広げた一般論」ではリアリティを持たないと考える。そこで、「議論を一段階深化させるためには、近代自然科学の成立にとってキーとなる概念に議論を収斂させ、その概念形成をめぐり具体的に論ずることが必要される」のである(第3巻序文、2頁)。 そのキー概念とは、本書3巻をいくえにも自由自在に変転・流転する「磁力の概念と説明」であることは言うまでもない。そのあくなき探求はまさにドラマを見ているようである。

■言われてみればそうである。太陽系の惑星はなぜ回るのか。磁石はなぜ引きあったり、反発したりするのか。言わずと知れた常識に反した「遠隔作用」である。近接作用は一般常識として理解できるが、遠隔作用は、現代でも不思議な現象で、よほど物理学の知識がなければ簡単には「説明」できない。いわゆる「場の理論」の理解を前提とする。ともかく、古代以来の知識人が不思議な作用「力」に、様々な解釈を与えながら自らの自然哲学をうち立てるのである。著者の仕事は自らの疑問をひとつひとつときあかすために、上記の各章に登場する時空を隔てた膨大な著作を原典からひもとき、それらの点と点をあいだにかすかに流れる目に見えない糸をひっしに黙々と探し出す営みを自らに課したのだ。まさに気の遠くなる仕事であったに違いない。

 その過程でこれまでの科学史(力学史、電磁気学史)が見落としていたあるいは無視していた数多くの「新発見」を明示している。私にはこれまでの科学史において「何が常識で何が新知見か」を論ずることはできない。そこで、著者自身が述べていることがらを要約しておこう。著者はあとがき(第3巻、945-946頁)で次のようなことをあげている。箇条書きにすると、次のようになる。

(1)12世紀のマルボドゥスによる玉髄の引力の発見の考察。
(2)トマス・アクィウナスとニコラス・クザーヌスにたいする新たな見解。
(3)クザーヌスによる磁力強度の定量的測定の提案が力概念の決定的な転換点になった。
(4)ルネサンス魔術は1400年代と1500年代では異なる。つまり15世紀の論者は魔術を自然魔術とダイモン魔術に区別し、ダイモン魔術を宗教上の理由で忌避したが、ダイモン魔術の存在そのものは否定しなかった。それにたいして1500年代は、自然の力を使役するという自然魔術だけを信じる立場が有力であった。
(5)このうえに本書でもっとも重要な中世から近代につうじる概念の登場の場面だが、古代からの伝承ではなく「実験」に依拠したデッラ・ポルタに代表される実験魔術とも言うべき後期ルネサンス魔術が形成され、近代科学へのひとつのチャンネルが開けた。
(6)さらなるチャンネルは、技術者による技術にたいする実験的・合理的アプローチである。
(7)その背景には、「16世紀文化革命」というともいうべき知の世界の地殻変動があった。
(8)こうして、脱神秘化した魔術と理論化された技術の流れが合流し、新しい科学(近代科学)を産み出す背景、つまり近代科学の形成が準備された。
(9)磁力研究の歴史のうえで有名なギルバートの研究が、宇宙観(太陽系像)の転換と、どのように関わったかがほとんど論じられてこなかった。
(10)さらにギルバートの実験的研究は地球が磁石であるという結論ばかりが評価されてきたが、地球は霊魂を有した生命的存在というギルバートの地球論は無視されか低く評価されてきた。
(11)しかし、現実には地球が自己運動の原理を有する生命的で霊的な存在であるという。ギルバートの認識こそが、17世紀初頭の段階で、地球を不活性で不動の土塊と見るアリストテレス宇宙像の解体と地動説受容を後押しをしたのであり、さらにケプラーの重力論への道も開き、やがて万有引力概念へと結実していった。これが第3巻のテーマになる。
(12)つまり、ギルバートとケプラーの磁気哲学が、その後のフックとニュートンによる「世界の体系」の解明に、どのように影響を与えたのかも、これまでの科学史では触れられなかった。

■こうして先に述べた『重力と力学的世界』執筆当時から20数年来、著者が抱いていた疑問にたいして、自ら気のとおくなるような知的挌闘をつうじて壮大な解答を示したことになる。この気のとおくなるような原典研究の過程で、1500年代ルネサンスと言われる西洋社会に、私が冒頭でふれた「16世紀文化革命」の知の世界の地殻変動があったという著者による独自の歴史観を獲得することになった。

 そのためには、シモン・ステヴィンはもちろん、これまでほとんど考察の対象にされてこなかった中世の論者の原典を忠実に読み込む必要があった。そのいったんを具体的に示そう。

 たとえば、後期ルネサンスのジャンバッティタ・デッラ・ポルタ(1535年頃-1625)の『自然魔術』の詳細な考察に見られる。デッラ・ポルタの『自然魔術』は、16世紀から17世紀前半にかけてヨーロッパできわめて広範な階層の人々に読まれ、「文字どおり全ヨーロッパ規模でのベストセラーであった」という(第2巻第16章参照)。

 ところがデッラ・ポルタは「異常なまでに後世からその名を忘れられた人物」でもあり、科学史上では押して図るべきであった。プリーストリーの『電気の歴史と現状』(1775)、ヒューエルの『帰納的科学の歴史』(1857)にも、そして100年後のバーナルの『歴史における科学』やバターフィールドの有名な『近代科学の誕生』にも、デッラ・ポルタは登場しないという。私もまったく聞いたことも読んだこともない。しかし、著者によると、「デッラ・ポルタの『自然魔術』は光学や磁気学の分野での実験物理学の第一歩とも言うべき内容を含んでいるのであり、簡単にネグレクトされるべきものではない」とする。

 それから著者は1585年の第二版全20巻の『自然魔術』の解読に渾身の力をそそぎ込んでいく。このデッラ・ポルタの『自然魔術』の世界を論じる著者の文体は圧巻であり、グングン引きつけられてしまう。

 著者によるデッラ・ポルタの仕事の科学史の位置づけを要約するとこうなる。『自然魔術』は初期ルネサンスの魔術思想から神秘性や宗教色が洗い落とされ、実用や実利性が強調され、自然の内懐に隠されている秘密を暴き出す意志と情熱が込められていて、この自然にたいする姿勢こそが近代科学につながるものだ(第2巻567-568頁)。

 さらに『磁石論』で有名なギルバートはデッラ・ポルタから多くを学んでいるのに、その著作『磁石論』ではもっぱらデッラ・ポル批判を繰り返し、デッラ・ポルタはギルバートの名のもとに追いやられ、後の科学史家から完全に無視されていく。この様子を描いていく著者の筆の運びは「怒りに満ちている」とさえ感じるさせほど迫力に満ちている。

 その詳細は本書に譲るがともかく、ルネサンスの魔術思想はデッラ・ポルタによって近代の科学技術思想にあと「一歩」に到達したと著者は結論する。この辺の魔術思想の解釈の変遷過程の考察は本書の中心的テーマであったのだといえるだろう。

 このような著者の苦心の研究と論述を踏まえると、評者が刊行する雑誌『湘南科学史懇話会』第7号に掲載された著者の論文「シモン・ステヴィンと16世紀文化革命」は、国際的な科学史研究において、中世の科学史の世界を塗り替える画期的な論文になるかも知れない。主宰者・発行者冥利と言わざるをえない。物理学史の磁力をめぐる議論はたんなる科学史上のことのみならず、壮大な文明論史的な議論ともなっていることに注目していただきたい。そして、遠隔作用の理解をもとめてえんえんと進めてきた中世ルネサンスの魔術思想の読み解きと16世紀文化革命という新見解にたいする専門家の「見解」をぜひとも聞きたいものである。著者はアカデミズムの閉鎖的な学会(会員でなけれは参加できないという意味)ではなくて、その気になれば、誰でも読むことができる公開の単行本でぞくぞくと新見解を表明したことに、中世の専門家たちは、公開された同じ土俵で、著者の「新見解」に答えてほしいと思うばかりである。著者も期待しているはずであり私もそうである。

 さらに、切望したいことがある。本書の英語版がほしい。本誌の読者で本気になって翻訳を担ってくださる方はいないだろうか。全世界の研究者と民衆に読んでほしいと思うからである。

■だいぶ紙数もつきた。最後にいくつかのことを述べて終わりしよう。とにかく私には聞いたことも読んだこともない時空を隔てた多数の論者の著作を縦横無尽に読み解き、かぎりなく平易に解説してくれているので、たいへんに読みやすく刺激的であった。しかし、著者の労は余人にはできない相談である。読みやすいと言うのは数式が少ないことから来ているが、このような壮大なドラマを描けるのは物理学の内容にかんする「確固とした知識と理解」があるからである。

 私は著作が刊行されるたびにそのつど、著者の著作世界にのめり込んできた。この20数年というもの、ひとときも脳裏から離れずに読み込み熟考の日々を送ってきたが、これらの多数な重厚な著作を逐一追体験するのは不可能なことがわかった。しかし、理解の程度はきわめて曖昧ではあるけれども、それをひもとく私自身の精神は、著者の作品を真摯に読み込み熟考することで、著作のなかに奥深く脈々と流れているほんものの学問への執念と真摯な学問思考の姿勢を、ほんのわずかではあるが体得して来ているような気分になっている。そして、またこんかいの重厚な世にも類のない大作である。これではいつになっても追いつけにないことは自明である。つまり、いつまでたっても死にきれないのである。

 きわめて私的なことになって恐縮だが、中年にさしかかったある時期(35歳)に、著者から個人的に大きな励ましと勇気をいただいた。それ以降、自堕落な生活を一変させ、本気でなにがしかの学問的活動に関係するようになった。事実上の学問事始めとなった。現在、私が寺小的学問所「湘南科学史懇話会」を主宰し、精力的な学問活動を展開できるのも、元をただせば著者との出会いからであった。そのあたりのことを拙著『科学は開く思想を創る-湘南科学史懇話会への道』(つげ書房新社、2003)にくわしく述べた。一読していただければ幸いである。

 ともかく、1960年代後半、著者(山本氏)が激動の時代に言明した「攻撃的知性の復権」を求める学問活動はいささかも揺るがず一貫している。その一貫した著者の学問活動の姿勢と態度に共感するのは私だけではあるまい。本書はそのことを具体的に示してくれている。こころから感謝と御礼を申し上げ、ほんとうにおつかれさまと言いたい。著者にはつぎの著訳書がある。

単行本
■『知性の叛乱』(前衛社、1969)
■『重力と力学的世界-古典としての古典力学』(現代数学社、1981)
■『演習詳解力学』(共著、東京書籍、1984)
■『熱学思想の史的展開-熱とエントロピー』(現代数学社、1987)
■『熱学第二法則の展開』(共著、朝倉書店、1994)
■『古典力学の形成-ニュートンからラグランジュへ』(日本評論社、1997)
■『解析力学』Ⅰ・Ⅱ(共著、朝倉書店、1998)編訳書
■ カッシーラー『アインシュタインの相体性論』(河出書房新社、1976、改訂版、1996)
■ カッシーラー『実体概念と関数概念』(みすず書房、1979)
■ カッシーラー『 現代物理学における決定論と関数概念』(みすず書房、1974)
■『認識問題(4)ヘーゲルの死から現代まで』(共訳、みすず書房、1966)
■『ニールス・ボーア論文集(1)因果性と相補性』(岩波文庫、1999)
■『ニールス・ボーア論文集(2)量子力学の形成』(岩波文庫、2000)資料集
■「68・69年を記録する会」編『東大闘争資料集』全23巻、マイクロフィルム3本(国会図書館と大原社会問題研究所に保管)

(編集部注)本文は『科学・社会・人間』2003年9月15日掲載の文章を一部改定したものである。なお、本書は2003年度の第1回「パピルス賞」、第57回「毎日出版文化賞」、第30回「大佛次郎賞」作品である。