書評:山本義隆『福島の原発事故をめぐって―いくつか学び考えたこと』(みすず書房、2011年8月25日)

山本義隆『福島の原発事故をめぐって―いくつか学び考えたこと』

著者は駿台予備学校(東京)に勤務する物理教師である。著者の授業を受ける大学受験生は、単なる受験技術ではなく、自然の営みの探求とそのための勉強の仕方を学び、高校時代には体験したこともない、物理を学ぶ面白さをはじめて知るという。その一方で、著者は物理学の専門書や科学哲学の翻訳書そして多数の重厚な科学史書を刊行しており、アカデミズムと無縁の場所で孤軍奮闘する学者としてよく知られている。

たまたま物理学を専攻した私は、1970年代以降、著者が刊行する上記の多数の著作から物理学と物理学史・科学史を学び続け、また、同期間、物理学者の社会的責任サーキュラーの「科学・社会・人間」および科学者の市民運動の機関誌「核兵器・核実験モニター」(原爆・核兵器問題)と「原子力資料情報室通信」(原発問題)から自然科学と現代社会が関係する諸問題を学び続けてきた。その結果、端的に言えることは、原爆と原発はあらゆる生命体とは共存できないことだ。福島原発事故の現実を見れば明らかである。

1960年代後半の一時期、猛烈な近代科学批判を展開した著者は、その後、真正面からの現代科学技術批判を控えていたが、全種族の生命体に攻撃を仕掛けた福島原発事故の重大性に触発され重い口を開いた。それが本書である。本書は別に特異で斬新な内容ではないが、物理の教師らしい冷静な論述を展開している。晩年の朝永振一郎の絶筆となった名著『物理学とは何だろうか』(岩波新書、1979年)を彷彿させる。社会的責任を帯びた物理教師が若者に向けて発したメッセージだと、私は受け止めた。副題の「いくつか学び考えたこと」などという控えめな言い方が、物理教師を生業とするものの表現であることからも知れる。

百十四頁というコンパクトな著作であるが、しかし、これが重要なことだが、本質を崩さず平易な言葉で語るべきことは十分に語り尽くしている。

まず、第一章「日本における原発開発の深層底流」では、原爆と原発の開発はアメリカの原爆製造計画としての「マンハッタン計画」の延長線上にあり「原子力の平和利用」も、しかりである。戦後の日本の原発開発は東西冷戦下のアメリカの要請で進められてきたが、戦後日本の政権政党自民党の有力政治家と上級官僚が専門の学者や原発立地自治体と住民を札束で丸め込み、それに連動した巨大企業を主体とする原子力産業が利権と営利をむさぼりながら進められた。さらに、本当の目論みは、日本が核武装する潜在能力を確保し、国際的発言を高める外交・安全保障政策であり、収益性・安全性は二の次、三の次であった、こと。

第二章「技術と労働の面から見て」では、原爆と原発の理論は基本的に物理学者が実験室で発見したものだが、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニで、人体と自然にたいする「政治的な実験」をへて巨大な技術となった。その巨大な技術の内実は、ほぼ永久に始末もできない膨大な「死の灰」を発生し、いったん事故が起これば「人間の手には負えない」未熟な技術である、こと。

第三章「科学技術幻想とその破綻」では、前著『十六世紀文化革命』(みすず書房、二〇〇七年)で試みた科学史的考察を踏まえて論ずる。古来、自然にたいして畏れを有していた人間が、いかにして自然を手玉にとり征服し攻撃的な科学技術を作り出してきたか、という自然観・科学観の変転を考察した後、人間は自然の許容範囲を超えるべきでなく、自然への畏れをとり戻すことを自覚すべきである。いまや無差別放射能汚染状態をもたらした原発事故を体験してしまったわれわれは、いかに困難をともなおうとも「二一世紀における文化革命」を起こすときだ。以上のようなことである。

総じて、捏造された原発安全神話が完全に崩壊し、放射能をたれ流し原発加害国となってしまった日本は、世界に先駆けて「脱原発社会、脱原爆社会を宣言し、そのモデルを世界に示すべき」(九四頁)ときなのである。「物理学とは何だろうか」を真剣に問いかけている著者のメッセージが、現在の若者はもちろん、日本の為政者とすべての人々に確実に届くことを祈るばかりである。(猪野修治:湘南科学史懇話会代表)