書評:山本義隆『世界の見方の転換』全3巻(みすず書房、2014年3月20日)

西欧に近代科学が誕生する条件はなんであったのか。その条件を探る大河ドラマである。本書の各巻のはじめに、16世紀中部ヨーロッパの同じ地図が示されている。それをじっくり眺めると、北には北海とバルト海、南には地中海とアドリア海があり、この南北の大海に囲まれた地域とその周辺の諸国が主要な舞台である。大雑把に言うと、同諸国地域周辺に、十五世紀中期から一七世紀初頭まで、天文学や地理学を基調とする人間と自然を包括する世界認識全般の転換が、どのように起こったのかを論じたものである。

天文学と地理学を手短に「天地学」(評者による)と呼ぶことにすると、天地学の復活と転換の歴史的考察を経て、西欧に近代科学が誕生する種々の条件が整うまでの多様な理論的学説を克明に追体験し、独自の壮大な物語に仕立てられたものである。

著者が渉猟し読み込んだ膨大な文献には驚くばかりだ。第3巻の最後の詳細な索引を拾ってみると、考察された人名は800名余で、文献と研究書は886本(冊)以上に及ぶ。これらの膨大な諸文献(一次・二次)は時代的に区別され、この大河ドラマを読み切るのに大変に見通しのよい構成になっている。

これらの膨大な文献は35年ほど前、著者が天文学に実質的な革命を起こしたヨハネス・ケプラーの著作に大変に魅了されて以来、コツコツと蒐集してきたものだが、著者の脳裏に宿り続け徐々に熟成・発酵し、世の中に放出され拡散される時期を待つばかりになっていた。本書の行間からは、著者自身が、あたかも、その時代を生き、天地学を論じた膨大な人物と直接に交流した体験の記録ではないか、とも錯覚するほどリアルで臨場感あふれる流暢な文体になっている。

具体的な骨格となる内容は、プラトン・アリストテレス以来の古代哲学に基づく自然観や宇宙観の世界認識の概説から出発し、プトレマイオスの天地学の数学的理論が詳述され、その天地学にたいする15世紀中期のポイルバッハやレギオモンタヌスなどの多様な研究と、それを引き継いだ16世紀のコペルニクスやティコ・ブラーエの天文学理論を詳述したのち、最後は古代以来、連綿と続いたドグマ「惑星の円軌道」の呪縛から人々を解放し、画期的な惑星理論(楕円軌道等々)を完成させたケプラーまでを考察したものである。ケプラーの画期的な惑星理論は、近代科学が誕生する曙を告げる中世と近代の分水嶺となり、古代以来の物の見方(世界認識)が逆転する終着点であり、近代科学が成立する出発点である。

これまでの1500年にもおよぶ天地学をめぐる議論は、それまで上位にある思考上の思弁的で論証的な自然的宇宙観が、下位にある実用的で技術的(数学的)な自然的宇宙観に取って代わり、人間の世界認識が転換する過程である。本書が描くのは、上記の膨大な文献と研究書が示すごとく、その過程の時代のおびただしい数学者・技術者・宗教者・宮廷人・職人・商人の諸活動、そしてこれらの人物たちの諸活動を育んだ中部ヨーロッパの街の在り様とともに、複雑に交錯する事態をリアルに描き視覚化させ、その全貌を浮かびあがらせている。その事態とは、中世スコラの動向、印刷技術の誕生と発展、占星術の興隆、古代精密科学(数学的天文学)の復元と継承、等々のことである。

本書の特徴を三つだけ挙げておきたい。

第一は、いついかなる時代の論者に向き合うときでも、その時代に生きた論者に、思いのたけを、十分にありのままを語らせ、それらの発言に虚心坦懐に耳を傾け、それらをそのまま読者に披瀝していることである。各時代の論者の天地学が正しいのか、まちがっているのか、を性急に論断するのではなく、それらの人物たちの発言に「べったり」と寄り添いながら、物語を進めていることである。これは以前から著者の一貫した論述の様式である。

たとえばその一場面を挙げると、「地理学・天文学・占星術」から「数学的科学と観測天文学の復興」をへて「プトレマイオス地理学が更新」される物語の過程(第2章~第4章)などを読むと、コペルニクスの『天球回転論』が登場するまで、それに大きく貢献したポイルバッハやレギオモンタヌスやヴァルターなどの思考と行動の在り様は、何重にも奥深く豊饒である。

観測天文学と数学的科学の重要性を認識し、プトレマイオスの『数学集成』や『地理学』などを批判的に検討し、多方面で多様な独特の活動を行ったレギオモンタヌスの功績はきわめて大きいし、また彼がそこで水を得た魚の如く活躍する舞台となったニュルンベルクという街が、天地学の新地平が切り開かれてゆくうえで、枢要な役割を果たしたことなどである。こうした中部ヨーロパの街と科学者の活動が多面的・重層的に描かれているのも、本書の大きな魅力のひとつである。

第二は、精密科学としての数学と物理学を駆使し、その時代の天地学の理論的学説を詳細かつ厳密に解説していることだ。枝葉をもぎ取り、おもいきってマクロ的に見ると、大きな骨格となる議論の主体は、何と言っても、プトレマイオスの『数学集成』とコペルニクスの『天体回転論』とケプラーの『新天文学』となろう。この大河ドラマを物語る途中で、そのつど、彼ら自身が説くところの天地学の理論的学説の解説は、精密性に富む科学史を重んずる物理学者たる著者の面目躍如たる場面だ。まさに圧巻と言うほかない。

それでも、本文の数学的解説だけでは満足せず、それぞれの巻末に5つの付記まで設けて、厳密な数学的解説を補足し、数学的天地学の理論的学説の変転を考察することの重要性を、何度も力説するなど、物理屋の真情を覗かせている。

第三は、占星術と天地学の交錯を詳述していることである。紀元前より数千年前、メソポタニア流域から発した占星術は、発生・形成・衰退・復興を繰り返し、現代まで生きのびているが、12世紀から16世紀頃の占星術は復興期にあったと言われ、天地学と密接に関係し、現在と未来を予測する実用的な科学であった。

天上世界と月下世界が閉じた別世界であったアリストテレス・プトレマイオス以来の有限的宇宙体系のもとでは、十分に説得力のある実用科学であったのだが、いったん奇怪な惑星や彗星が出現する事態になると、古代以来、確信されてきた有限的宇宙像と対立する兆候が出始めると、これらの奇怪な惑星や彗星の運動を、占星術の科学と無矛盾的に整合させ理論化する営為が要求されるのは必然で、その結果、占星術の科学それ自体が深刻な危機に陥ることになる。

以上、手短な三つの特徴を挙げたに過ぎない。総じてみると、これほど精密な科学性と豊饒な物語性を備えた世界認識の転換を論じた科学思想史書を評者は知らない。まさに文化と科学を統合する抜群の作品である。

最後に本書の位置づけを簡単に述べておこう。本書は近代科学誕生史の三部作の「完結編」であると著者は述べている。その三部作とは言うまでもなく、第一部は『磁力と重力の発見』全3巻(2003年)であり、第二部は『十六世紀文化革命』全2巻(2007年)であり、そして第三部が本書『世界の見方の転換』全3巻(2014年)である。前著(第一部・第二部)は、科学思想史の読書界に前例のないほどの大きな反響を呼んだが、今回の完結編もそうなるであろうことは間違いない。

この三部作により、近代科学の誕生の条件が整ったわけだが、振りかえると、この三部作が完成するまでの長い道のりは、実に険しい茨の道であったと推察する。長年、難産に難産を重ねてきた孤高の学者による本書は、いまや広範な読者の手に委ねられた。こうして、長大な文章で論述された近代科学誕生の条件をもとに、やがて17世紀のニュートンらによって、近代科学が構築され成立してゆく。その物語は著者の別の書物で論述されているとおりである。科学思想史界に冠たる大河ドラマの登場を喜び感謝し祝いたい。(猪野修治:湘南科学史懇話会代表)