西欧に近代科学がなぜどのように誕生したのかという問題意識から、著者は10数年の間に、近代科学誕生の前史の全貌を解き明かした『磁力と重力の発見』『一六世紀文化革命』そして『世界の見方の転換』の三部作を上梓してきた。この三部作のなかで解き明かしたことは、「ルネサンスと人文主義運動がほぼ終焉を迎える15世紀後半から17世紀初頭までの時期、とりわけレギオモンタヌスからコペルニクスを経てティコ・ブラーエとケプラーにいたる天文学の革新が、その「科学革命」への助走期間として決定的であった」(1頁)ことである。
本書は、『世界の見方の転換』を執筆する過程で、十分に語り切れなかった数学的解析を補充する目的で執筆されたいわば「副産物」である。本書の濃密な内容を俯瞰すると、古代から16世紀までに数概念が転換され、小数と対数が発見されるまでの一世紀半の数学史を論じたものになっている。この一世紀半に自然学が物理学に生まれ変わる過程は、思弁的で定性的な議論から精密な観測結果にもとづく数学的で定量的な議論へと転換してゆく険しい道のりであった。その険しい道のりの実態が本書の核心的内容である。具体的に言えば、「数直線上の点で表される連続量、すなわち実数上での小数と対数の発見をもたらした原動力であった。そしてその学問的序列の転換をふまえて、17世紀に実験と測定にもとづく科学としての近代科学の誕生を見ることになるが、それは同時に、小数と対数の発見の延長戦上に、連続量として実数上での解析学を生むことになる」(15頁)のである。
その連続量として実数上での解析学を生むまでの過程は、60進小数(第1章)、中世の10進法と小数(第2章)、数概念の転換(第3章)、対数の発見と対数表(第4~8章)、そして常用対数の誕生(第9章)の論述の中に、具体的に見ることになる。そのために著者は、イエズス会の数学者クリストフ・クラヴィウス(1537-1612)、ネーデルランドの技術者シモン・ステヴィン(1548-1620)、スコットランドの数学者ジョン・ネイピア(1550-1617)、ドイツの数学者ヨハネス・ケプラー(1571-1630)、スイスの機械技師ヨースト・ビュルギ(1552-1632)、そしてイギリスの数学者ヘンリー・ブリックス(1561-1630)などの人物が書き残した原典(ラテン語原本)を忠実に解読し平易な文章で語っている。とくにネイピアの対数の提唱と対数表の構成にかんする詳細な論述には目を見張るものがある。
上記の一連の数学者たちの生没年を眺めると、ほとんどが同時代人(16世紀中頃-17世紀前半)である。小数や対数が発見され成立する時代は、先の三部作で明らかにされた16-17世紀における近代科学誕生の前史の時代とほぼ重なっていることがわかる。そのことは、近代科学誕生の前史を基礎づけ構築してきた人物たちが、それらと並走しながら、新たな数の概念を創り出したことを物語っている。
彼らの創り出した数学は、数学のための数学ではなく、多様な現場で要求される実用性を重んじる応用数学であった。この実用性を重んじる応用数学を創造する営みは、考察の対象とされるすべての数学者たちに共通して見られる現象である。ひとつの例としてシモン・ステヴィンの仕事に典型的な形で見ることができる。ステヴィンは複式簿記と利息表を作成し、築城術や航海術のための数学を創り出し、古代以来の数の概念を転換させ数の連続性も主張している。
対数の発見は通常ネイピアに由来すると言われるけれども、天文学の革命的な三つの惑星理論を創造したケプラーもまた、独自の対数表を作成していることを知るのはうれしい(第7章)。さすがケプラーだ。しかし、ケプラーはネイピアの対数表に刺激され対数表を作成するのだが、三部作を考察する時点から彼の数学的解析に注目してきた評者には、とくに印象が深い。
こうして著者による近代科学誕生の前史は、本書で数学的解析的補充がなされ事実上の完結を見たのである。万感の思いで受け止めている。(猪野修治:湘南科学史懇話会代表)