書評:柳田邦男『犠牲-わが息子・脳死の11日』(文芸春秋、1995年) 2002年7月『どよう便り』第56号掲載

 まずはじめに著者の柳田邦男氏を簡単に紹介しておこう。

 柳田邦男氏は「人間の事実」を希求するノンフィクション作家のパイオニアである。私の目前に、柳田氏の著書『人間の事実』という重厚な本がある。柳田氏が四半世紀に収集した一万数千冊のノンフィクション作品と作家を関連づけながら、膨大な作家と作品が作り出す「地図」を作ること、いわば「所番地」を確認しようとする作品である。これは柳田邦男責任編集『同時代ノンフィクション選集』全12巻(文芸春秋)に書いた解説文が基調になっている。

 本誌の読者には周知のように、柳田氏がノンフィクション作家として登場したのは『マッハの恐怖』(1971年、ふじ出版)、『続・マッハの恐怖』(1973年、同)である。これらの作品は当時NHK社会部記者時代の取材が基調になっている。前者は1966年春、東京湾で起きた全日空機墜落事故を扱い、後者は1971年夏、函館上空で起きた東亜国内航空「ばんだい号」の墜落、そして1972年、日本航空のニューデリーとモスクワの墜落事故を扱ったものである。

 その後、柳田氏は独立し、『ガン回廊の朝』、『零戦も燃ゆ』、『死の医学への序章』、『事実の素顔』、『日本は燃えているか』、『ガン回廊の炎』、『空白の天気図』、『マリコ』、『事実の時代に』、『事実を見る目』などの数々の重厚な問題作を発表してきている。

 これらの柳田氏の作品を眺めると、氏の仕事は、あくまでの科学的事実を自分の目と足で丹念に取材・理解・分析しつつ、それらの事実を書き手・柳田氏の価値観や感情がこもった文脈のなかにおくことだ。つまり、柳田氏は現実の事実を使うことで、自分の思考、価値観、人生観、喜怒哀楽を意識・無意識に語っているのだ。事実、柳田氏が朝日記者の取材にそうのように答えている。(『朝日新聞』、1997年3月2日)。

 これだけの準備をして本論『犠牲-わが息子・脳死の11日』の紹介に入る。

 柳田氏の息子で次男・洋二郎氏(1967年12月18日~1993年8月20日)が、93年8月9日に自宅二階の自室で自殺をはかる。25歳のときである。自ら死出の旅に出てから「科学的な死」が確認される20日まで、11日間にわたり、次男・洋二郎氏、兄で長男・賢一郎氏、お連れ合い、父親・柳田氏、そして病院の医師たちに起こった事実が、それぞれのこころの葛藤ととに作家の父親の手によって詳細に書かれたものだ。

 洋二郎氏は精神を病んでいた。父親の柳田氏も気がつかない早い時期から病んでいた。8月9日の深夜、実際は10日の午前1時頃になっていた。通信教育で学んでいた大学のスクーリングに行けそうもないことなどを父親に話した後、自室にもどり、ベットでコードを首に巻きつけ、心臓も呼吸の止まっていたのを父親は発見するのである。

 対人緊張・対人恐怖に病んでいた洋二郎氏は「誰の役にもたてず、誰からも必要とされない存在になっていることを非常に悩んでいた」いう。その洋二郎氏が骨髄ドナー(提供者)登録をしていた事実を知った父親は医師にドナーとなることを申し出るが、結局、洋二郎氏とぴったり合う血液型のレシピエントが現れなかった。その後、第1回の脳死判定(5日目、8月14日)、第2回の脳死判定(6日目、8月15日)が実施され、正式に脳死患者となる。

 当初、父親の柳田氏は、本人の希望した骨髄ドナーとするだけを考えていたが、それは無理とわかると、医師から意表をつかれるように「腎臓の提供もある」と言われる。家族に相談し苦悩した父親は次のように医師に次のように述べる。

 「洋二郎の肝臓を提供したいと思います。洋二郎が生前に献腎の意思表示をしているわけではありませんが、骨髄のドナー登録ををしていたことや彼が書き遺した文章に表現された思想から推測して、献腎が彼の意志を一番生かす道だと判断したのです」(本書131頁)。

 この判断をするまで、父親の柳田氏は洋二郎氏が書き残していた膨大な日記をつぶさに読むのであるが、その一部分を具体的に紹介している。

 それを私は、涙無くしては読めない。洋二郎氏は毎日、毎日、克明な日記を書き付けることで社会と接点を持とうとしていたのである。その一部分を生前、洋二郎氏は本にまでしている。その内容は見事なものである。将来はまちがいなく作家になれた私は思う。洋二郎氏が一番ぴったりくる作家は安部公房であり、二番目が大江健三郎であった。

 さらに本書のタイトル『犠牲』とは、洋二郎氏が深く感動していた旧ソ連の亡命映画作家タルコフスキーの映画『サクリファイ(犠牲)』から取ったものである。この映画は「名の知れぬ人間の密やかな自己犠牲」を表現した作品だ。洋二郎氏はこれに自分を重ねていたという。なんと苦しかったことか。

 私の世代になると、親・兄弟・友人たちの死去に遭遇する機会が多い。その際、いつでも理性を取り乱す。それは科学者であろうが文学者であろうが、何であろうが、場合によっては何ヶ月も落ち込んで立ち上げれないこともある。そういう多くの現実を見てもきている。これは人類共通の悲しむべきことだ。

 私が初めに本書の著者柳田氏の仕事を詳しく紹介したのはこのことと関係するからである。柳田氏はこれまで数々の事故(航空機、ガン等々)による多くの死者たちの嘆きの現実を冷静沈着に筆を進めることで知られる第1級のノンフィクション作家である。その事実に立ち向かう精神的態度はあくまでも「科学的事実に基づいた判断的精神」の持ち主でもあり、その科学的事実に基づく判断を信条とする柳田氏が掛け買いのない自分の息子の自殺という重大な事態から、最後の死去にいたる過程でどのように科学的判断を下して行ったかが注目されるところである。それは有名作家としての立場ではない。息子を失った一人の父親としての立場である。

 言葉の重さはここにある。柳田氏は正直に告白する。こころを病んでいる息子とお連れあいも病んでおられ家庭内の事情があるにも関わらず、「死・病気・障害・戦争・事故死・生き甲斐・男・女」等々、現実社会に起こる多様な事実を書いてこられ、テレビにも登場し発言してこられた。これもまた苦しい現実であったことだろうと察する。ノンフィクション作家としての立場と一人の父親の立場が渾然一体となった作家柳田邦男氏のこころの葛藤をひとつひとつつぶさに明らかにしたことが、私のこころをゆさぶっている。