書評:吉岡 斉・名和 小太郎『技術システムの神話と現実―原子力から情報技術まで』(みすず書房 2015年5月20日)

 現代の科学技術社会には渾沌とする多数の諸問題が存在する。二つだけ取り上げると、進化し続ける情報革命に翻弄される人間たち、直近では、原子力発電所の再稼働の是非で揺れるエネルギー問題などである。この進化する情報革命とエネルギー問題は、人間にとり避けては通れない文明論的な課題だ。

 この渾沌とする情報技術とエネギーの問題について、世代の異なる吉岡 斉(1953年生まれ)と名和小太郎(1931年生まれ)が、それぞれが四つ、あわせて八つのテーマを提供し、それぞれが提供したテーマを真摯に対論した記録と、ふたりが単独に書き下ろした論考(二本)を収録したものある。

 八つのテーマとは、「核施設の過酷事故」「コンピューター西暦二〇〇〇年問題」「SPEEDI(緊急時放射能影響予測)」「グーグル」「放射性物質の隔離管理」「知的財産」「再生可能エネルギー」「自動機械(人口知能)」であり、単独論考とは「新技術をめぐる誇大妄想と高速増殖炉開発の未来」(吉岡)と「信頼すなわち相互監視―情報セキュリティ問題」(名和)である。

 対論者のプロフィールを紹介する。まず吉岡は若き時代、広重徹(科学史)から決定的な影響を受け理論物理学から科学史・科学社会学に転じて以来、現代科学技術の諸問題とりわけ核融合問題の社会学的研究を皮切りに原子力全般や宇宙科学等々の巨大科学の社会学的分析と批判を展開してきた。3・11以後は、東京電力福島第一原子力発電所事故の政府事故調査委員を担ったことは記録に新しい。

 一方の名和は物理学を専攻した後、企業の現場に入り石油開発分野や地震探査、ロケットエンジンの品質管理、情報処理等々の研究、電電公社の民営化等々にも関わるなど、国策企業内部の現場を歩き、定年後は大学に職を得て、取りわけ情報技術と法律(著作権、知的財産権、情報セキュリティ等々)の諸問題を深く研究し、いわば国策企業内部の現実的実態の動向を知る生き証人でもある。

 この二人の対論は、いわば日本の科学技術社会の諸問題を冷ややかに外部から論じる吉岡と、それとは対極にある科学技術社会の企業内部で具体的な仕事に関わってきた名和が、急速な人口減少化に伴う脱低成長時代が続く未来社会で健康で文化的な生活を確保するための科学技術はいかにあるべきかを語り尽くしたものだ。

 まず核融合・原子力・エネルギーの諸問題を論ずることを責務とする現代史家吉岡の語りと最終章の論考を読むと、日本原子力開発機構は、かくもあきれるほどユートピア的で誇大妄想で刹那的な新技術の高速増殖炉開発にこだわるのか、ということが詳述されている。つまるところ、高速増殖炉を開発すればするほど、核兵器に使える理想的な原爆材料プルトニウム239を確保できるからであり、つまり核保有国家を目論んでいる、としか考えられない。この辺のことは、若き時代の処女作『テクノピアをこえて』(1982年)以来、一貫して原子力・核融合の諸問題を展開する吉岡ならではの緻密で重厚な解説は、きわめて具体的で説得力がある。

 他方で情報技術の倫理と法的問題を研究する名和は、信頼し得る情報の相互監視(情報セキュリティ)を有効に機能させには文書主義を徹底させることが枢要であり、また技術倫理や情報倫理に関しては、過剰に複雑化した情報社会では、技術者自身に過度な負担かけすぎるきらいがある、と指摘する。その他、無数の体験的事例が披瀝され、あらためて情報革命の凄さと複雑さを知った。

 ともかく年齢差も大きく専門分野も異なる科学技術の代表的な二人の論者の対論の内実には、結果的に、科学技術の多数の悲観的な諸事情が披瀝されている。しかし、それでも科学技術の異分野の特殊事情を相互に披瀝と交換を繰り返しながら、何としても社会的な連帯を損なうことがなく前向きに議論を行うことで、人間の健康で文化的な生活を確保するために、冷静な正気の精神を回復させるべきである、との強い問題意識が貫かれている。

 総じて述べると、異世代異分野の二人の論者の真摯な対論には、未来世代が何かを発見するための手がかりとなる豊富な材料が含まれている。(猪野修治:湘南科学史懇話会代表)