第104回懇話会のお知らせ(終了しました)

2021年6月27日(日)茅ヶ崎市勤労市民会館 14:00~17:00
メアリー・アニングの新しい映画
講師:矢島 道子さん(古生物学、地学史、東京工業大学非常勤講師)

講演概要

 メアリー・アニング(1799-1847)はイギリスの南海岸にある小さな町ライム・リージスの貧しい家具職人の家に生まれた。ライム・リージスにはジュラ紀の地層が分布し、アンモナイトなどの美しい化石を多産する。メアリーは父から化石の採集法を習い、父亡き後、化石採集、販売で生業を立てた。時は地質学勃興の時代で、ロンドンの紳士地質学者たちはメアリーの掘りだす化石を記載・発表して地質学を進めた。論文にはメアリーへの謝辞は一切なかった。

 20世紀になって、イギリスのジュラ紀アンモナイト研究者でイギリス科学史学会会長になったヒュー・トレンズ(1940-)が丹念にメアリーについて調査した。私も、シナリオ・ライターの吉川惣司氏とメアリーについて調査していた。1997年に偶然にトレンズ氏と会う機会があり、トレンズ氏の成果も取り入れて『メアリー・アニングの冒険』(朝日選書)を2003年に上梓した。

 メアリーについては、現代作家ジョン・ファウルズ(1926-2005)氏がトレンズ氏と一緒に調査し、『フランス軍中尉の女』(1969年)という小説を書き、それはメリル・ストリープス主演で映画(1982年)にもなった。

 これ以上の映画はできないと、私は思っていたが、21世紀になって、『アンモナイトの目覚め』という新しい映画が作られ、日本でも2021年4月9日に封切された。この映画に見られる新しい切り口を紹介し、メアリー・アニング研究を進めていく現在的意義を探ってみる。

メアリー・アニングの新しい映画  矢島道子(古生物学、地学史、東京工業大学非常勤講師)

 メアリー・アニング(Mary Anning 1799-1847)を何かの縁で知ってしまうと、みんなメアリーの魅力のとりこになる。19世紀、今よりももっと階級の差がはっきりとしていたイギリスで、あの不愛想な、気位の高い、メアリーはやっぱり格好いいのだ。

 メアリーの掘りだす化石の質は大変良かった。そして、何よりも紛い品・フェイクが一つもなかった。当時の地質学者たちはみんなメアリーの顧客になった。メアリーは商売をしていたのだから、どの地質学者もメアリーを顕彰しなかった。

 現在、メアリーの研究者は世界中にたくさんいて、多くの研究書が出ている。そしてメアリーを扱った映画、童話、漫画もたくさんある。1982年に制作された『フランス軍中尉の女』以上の映画はできないと、私は思っていたが、21世紀になって、『アンモナイトの目覚め』という新しい映画が作られ、日本でも2021年4月9日に封切された。この映画に見られる新しい切り口を紹介し、メアリー・アニング研究を進めていく現在的意義を探ってみる。

1メアリー・アニングはどんな女の人

 メアリーはイギリスの南海岸にある小さな町ライム・リージスの貧しい家具職人の家に生まれた。ライム・リージスにはジュラ紀の地層が分布し、アンモナイトなどの美しい化石を多産する。メアリーは父から化石の採集法を習い、父亡き後、化石採集、販売で生業を立てた。時は地質学勃興の時代で、ロンドンの紳士地質学者たちはメアリーの掘りだす化石を記載・発表して地質学を進めた。しかしながら、紳士地質学者たちの書いた論文にはメアリーへの謝辞は一切なかった。

 メアリーの発見したジュラ紀の化石は、魚竜・首長竜・翼竜・ウミユリ・ベレムナイトなどで、恐竜は発見していない。19世紀初頭、古生物学の巨人の時代で、オックスフォード大学にはバックランド(William Buckland 1784 - 1856)、自然史博物館にはオーウェン(Richard Owen 1804-1892)、ケンブリッジ大学にはセジウィック(Adam Sedgwick 1785年- 1873)、医者のマンテル(Gideon Mantell 1790-1852)、地質調査所を作ったビーチ(Henry De la Beche 1796-1855)、その他に聖職者コニベア(William Conybeare 1787-1857)、元軍人だったマーチソン(Roderick Murchison 1792 - 1871)などの地質学者を輩出した。この地質学者たちに素晴らしい化石を売りつけたのがメアリーであった。メアリーは化石を採掘し、販売したから化石業者であって、地質学者でも古生物学者でもない。

 一時は大変有名になったメアリーだが、アニングの晩年は悲惨である。多くの借金を抱え、乳がんのため47歳で亡くなった。

 ロンドンの自然史博物館の海棲爬虫類を展示した廊下に、メアリーの肖像画があるが、肖像画の横にある首長竜の標本はアニングの発見したものではない。自然史博物館がメアリーに対していかに無知だったかの証拠である。

 オックスフォード大学自然史博物館にもメアリーの発掘した標本はいくつか展示されているが、取り扱いは簡単である。

2 メアリー・アニング研究

 メアリーは生前から有名だった。しかしきちんと研究されていなかった。研究は、ドーセット出身の元自然史博物館に勤務していた古生物学者のラング(William D. Lang 1878-1966)に始まった。イギリスのジュラ紀アンモナイト研究者でイギリス科学史学会会長になったヒュー・トレンズ(1940-)が丹念にメアリーについて調査していた。

 シナリオ・ライターの吉川惣司(1947-)は、「女の子と恐竜」というシナリオのイメージをもってメアリーについて少しずつ調査していた。私は化石カイミジンコの研究をしていたので恐竜には興味がなかったが、1997年にハットン・ライエル200年記念シンポジウムに参加するためにイギリスに行ったときに、メアリーについてなんでもよいから情報を入手してほしいと頼まれた。そのシンポジウムの巡検で、案内人に「ここに、メアリー・アニングはやってきたのですか」と愚問を発した。なぜ愚問なのかは後ほど述べる。案内人は非常にびっくりしたようだった。なんと、案内人はメアリーの研究者トレンズだったのだ。

 1999年にはメアリー生誕200年記念シンポジウムがライム・リージスで開催され、ハーバード大学の故グールド教授の講演もあり、メアリー研究はますます盛んになった。多くの絵本や童話がイギリスで発行され、それは日本語に翻訳もされた。吉川氏と私はトレンズ氏の成果も取り入れて『メアリー・アニングの冒険』(朝日選書)を2003年に上梓した。

 その後もメアリー研究はどんどん続き、最近出版された『The Fossil Woman: A Life of Mary Anning』(Sharpe, 2020)には、新しい成果が載っている。ビーチが書いたという、シルクハットをかぶったメアリーのスケッチ(図1)は、オックスフォード大学のバックランド教授であり、ビーチが書いたものではないとされた。いかにも男勝りのメアリーらしいスケッチと思い、私の好きな絵であったが、もう使えない。もちろん、シルクハットの怪は解決したけれど。

図1 もう使えない図
  3 映画『フランス軍中尉の女』  

 現代作家ジョン・ファウルズ(John Fowles 1926-2005)はライム・リージスの突堤(コブ)に近いところに住み、トレンズと一緒にメアリーのことを調査していた。それを踏まえて1969年二小説『フランス軍中尉の女』を書いた。1982年には、メリル・ストリープス主演で映画になり、映画はいくつかの大賞を受賞している。1999年にライム・リージスで開催されたメアリー生誕200年記念シンポジウムにはジョン・ファウルズも出席していた。ジョン・ファウルズは自宅を開放し、ローズティー・パーティで歓迎してくれた。私は彼のサインを入手してほくほくして帰ってきた。

 映画ではメアリー・アニングの凄さがよく描かれている。どの地質学者・古生物学者にも引けをとらない古生物学の知識を持っているが、決してそのように評価されない。ザクセンの王様が化石を購入に来た時に「私はヨーロッパで有名な人間です」と書いた自負。ライム・リージスで疎外され、そして自立を求めるが、実生活ではどうにもならない。

 メアリーを扱った映画はたったひとつ、『フランス軍中尉の女』であって、もうこれ以上の映画はできないと私は思っていた。

4 映画『アンモナイトの目覚め』

 昨秋から、メアリー・アニングの映画ができたらしい、女性が女性を恋している映画らしいというニュースが耳に入ってきた。どんな映画だろう、メアリーが恋する女性は誰だろうと思っていた。

 映画を見て、脚本家というのは天才だと思った。シャーロット(マーチソン夫人)とメアリーが恋するなんて、今までの研究者は誰も考えなかった。メアリーは貧しく、化石の町ライム・レジスで生まれ、育ち、化石を掘り、売り、そして死んだ。たった1回だけロンドンに行ったことがある。(私のトレンズへの質問はどれくらい愚問であったか。)シャーロットの招待だ。研究者仲間では、これは計算高いシャーロットのやったことだと言われている。夫のロデリック・マーチソンは軍人だった。しかしイギリスでは戦争がなくなり、ロデリックは失業した。世の中の動きをよく知っているシャーロットが地質学者になることを勧めた。産業革命で石炭が重要になり、地質学はこの時代に勃興した。地質学者は紳士の職業とされた。ロデリックは瞬く間に地質学をよく理解し、あっという間に地質学会の会長になった。ロシアにも招待され、多くの勲章をもらっている。

 シャーロットの内助の功である。シャーロットはメアリーにうまく取り入って、よい化石を優先的にロデリックにまわるようにしたのだと、これまでの研究者は解釈した。

 しかし、考えてみると、シャーロットの招待の理由には、たしかに少し不思議な隙間がある(矢島、1921)。フランシス・リー脚本家はこれに気がついたという次第だ。『アンモナイトの目覚め』では、シャーロットは上流階級だが、とても弱々しく登場する。そして、メアリーと会って変身していくのだ。貧しいメアリーと美しいシャーロットが恋することになる。

 ライム・リージスには何度も行った。イギリスの上流階級の避暑地でとても美しい。でも化石を採集するには冬に行かなければならない。残念ながら私は冬に訪れたことはないのだが、ライム・リージスの冬は厳しい。ドーバー海峡を渡ってきた嵐がライム・リージスの崖にあたって、崖を崩す。崖が崩れて、今まで見たこともないような化石が突然現れる。化石の採集にとってこれが目玉なのだ。しかし、化石の採集は容易ではない。崖の上に登るには、何度も滑り落ちることになる。衣服も身体もどろどろになる。『アンモナイトの目覚め』の始まりはこの場面だ。

 この映画のタイトル『アンモナイトの目覚め』を見てほしい。英語のタイトルも『Ammonite』である。そして『みつけて、泥の中の私を』と宣伝コピーがついている。泥の中にいるのはアンモナイトだけではない。メアリーもシャーロットも19世紀のイギリスにいる女性だからどろどろの泥の中にいるのだ。二人が愛し合うことによって、一瞬、泥から解放されるような幻想にとらわれる。映画の最終場面では二人の間に深い境界のあることが示される。

 なるほど、21世紀のメアリーの映画だとうなずいた。きっとこれから先にも、人間をめぐる思想状況が変わるにつけ、新しいメアリー像も生まれてくると思った。と同時に、日本ではLGBTがまだ十分には理解されていないようにも思った。頭で理解することは簡単だが、骨の髄まで理解することはまだまだ難しいと思った。映画中で、メアリーもシャーロットも饒舌ではない。薄暗いイギリスの光景の中にたくましいメアリーがよく映る。何も言わなくてもすぐわかる。フランシス・リー脚本・監督が描いた21世紀の新しいメアリーが皆様に愛されることを心より祈る。

文献
矢島道子.2021.映画『アンモナイトの目覚め』劇場用パンフレット
吉川惣司, 矢島道子.2003.『メアリー・アニングの冒険:恐竜学をひらいた女化石屋』.朝日選書
Sharpe, Tom. 2020. The Fossil Woman: A Life of Mary Anning. The Dovecote Press

講師プロフィール

矢島 道子(やじま みちこ)
1950年 新潟県高田市生まれ、新潟県立高田高校を経て、
1970年 大学理科II類入学
1975年 東京大学理学部地学科卒業
1977年 東京大学大学院理学系研究科修士課程修了
1981年 東京大学大学院理学系研究科博士課程修了(理学博士取得)
1981年 東京成徳大学中等・高等学校教諭(理科)2003年に退職
以後、各大学の非常勤講師(科学史)

著書と活動
■『地球からの手紙』(国際書院、1992年)
■『メアリー・アニングの冒険―恐竜学をひらいた女化石屋』(共著、朝日選書、2003年)
■『はじめての地学・天文学史』(編著、ベレ出版、2004年)
■『化石の記憶―古生物学の歴史をさかのぼる』(東京大学出版会、2008年)
■監修『漫画メアリー・アニング』(漫画:北神諒、ポプラ社、2018年)
■『地質学者ナウマン伝―フォッサマグナに挑んだお雇い外国人』(朝日新聞出版、2019年)
■その他、お雇い外国人科学者「フランツ・ヒルゲンドルフ」展(1997~1998年)を企画、日本地質学会125周年記念事業(2018年)を実行、そして、科学史学会(地学史分野)と地質学史懇話会の運営と編集など、を勢力的に行っている。この功績は大きい。
■これと同時並行して、小さきもの(虫たち)に熱いまなざしを向け、長年にわたり絵画(油絵)制作に取り組む画家でもある。

日時/会場

日時:2021年6月27日(日)14:00~17:00
会場茅ヶ崎市勤労市民会館(茅ヶ崎市新栄町13-32 TEL 0467-88-1331 FAX 0467-88-2922)
参加費:1,000円
連絡先:猪野修治(湘南科学史懇話会代表)
〒242-0023 大和市渋谷3-4-1 TEL/FAX: 046-269-8210
email: shujiino@js6.so-net.ne.jp
湘南科学史懇話会 http://shonan-kk.net/