書評:スティーヴン・ワインバーグ『科学の発見』(文藝春秋、2016年5月10日)

 著者はアメリカの素粒子物理学の泰斗である。素粒子間に働く電磁力と弱い力を統合する「ワインバーグ=サラム理論」を提唱し、ノーベル物理学賞を受賞している(1979年)。この理論は、日本人ノーベル物理学受賞者(2008年)の南部陽一郎の「対称性の自発的破れ」の理論から影響を受けたものだ。

 著者の理論は、いまでは素粒子物理学の標準理論となり、近年話題の「ヒッグス粒子」の発見にも、大きく貢献をした。また、科学読み物の『宇宙創成はじめの3分間』(ちくま学芸文庫)は、世界中で読み継がれる古典である。

 若年より歴史全般が好きな著者は、高齢になるにつれ、専門外の科学史(物理学史・天文学史)を本格的に勉強をはじめ、自分が学ぶのには、自らが教えることが有効である、との信念から、テキサス大学教養課程の学生に講義をしたのが、本書として結実した。83歳になるいまでも『古典幾何学と天体物理学』の授業を行っている。

 ざっとその内容を見ると、古代ギリシャの物理学と天文学(第一部・二部)、近年、新たな脚光をあびている中世のアラビア科学(第三部)、そしてニュートンの物理学で完成にいたる16-17世紀の科学革命(第四部)が詳しく論述される。ようするに、現代物理学者が紐解く古代から科学革命までの物理学と天文学の歴史である。

 歴史家ではない物理学者の著者のねらいは、現実の世界をいかに無矛盾に説明できるかどうかにある。物理学や天文学の歴史を考察するにしても、最高の発展段階にある現在の科学からみて、古代から中世をへて17世紀の哲学者や科学者の学説的理論が、はたして科学的合理性を持っていたのか、いなかったのか、という観点から、厳しい批判を展開し論述しているのが、本書の大きな特徴だ。

 数例だけ挙げればこんなぐあいだ。古代のタレス、プラトンなどの想念や学説は、自然の観察や実験を施すことなく、なにひとつ、たしかめようとしない。科学の名には値しない詩的・情緒的・美文的な表明に過ぎない。また近代哲学の創始者のデカルトには、「地球は篇長だ」、「真空は存在しない」、「光は瞬時に伝わる」など、たくさんのまちがいをおかしている、と厳しい批判を浴びせる。その一方で、古代の数学者で天文学者のプトレマイオスには、彼の天動説それ自体は、まちがいであったにしても、現象を数学で説明する彼の数学的解析の手法は、実に科学的であったと評価している。

 これらの指摘は過去の知的巨人を誹謗中傷しているのではない。科学は多くのまちがいを繰り返しながら、進歩し発展していくもので、現代科学に対する重要な警告と戒めにもなることを言いたいのである。

 しかし、著者のごとく現在の科学の基準で過去を裁くこと(ウイッグ史観)を禁じている科学史家には、とうてい容認できない論述であり、実際、著名な科学史家スティーヴン・シェイピン(ハーバード大学教授)は、科学者は歴史を書くべきではない、と批判する。

 この批判に対して著者は、地動説も相対性理論も知っている現代の科学者が、過去の時代の科学者の意識と感覚のふもとに、本当に立てるのか、いや立てない、と反論をくわえるなど、アメリカで大論争が巻き起こった。

 たしかに科学史家の言い分は一理あるにして、それでも第一流の科学者が描く物理学と天文学に関する歴史記述はかぎりなく明晰判明で、小気味がいいほど躍動感にあふれる論述はさすがである。さきの歴史記述をめぐる大論争を木端微塵に吹き飛ばすほどの説得力をもった痛快な書物である。

 表紙を飾る、フェルメールがレーウェンフック(微生物学の父)を描いたといわれる「天文学者」の絵画は、想像性をかきたてる。

 最後に本書は、著者と同じ素粒子物理学から科学史に転じた日本人の山本義隆氏の近代科学誕生史の三部作の最終巻『世界の見方の転換』全3巻(みすず書房)の内容と、多くの点で重複し連動している。両著をあわせ読むと、両著が相互作用し、物理学と天文学の歴史がより鮮明になるだろう。(猪野修治:湘南科学史懇話会代表)